J-record -Star of February 8-

半井幸矢

2016

2/8,birthday



 特別な日だから力を入れる、はずだった。



「平田くん平田くん」

 声と肌寒さで目が覚める。暗い中、天井と共に、覗き込んでくる人形のような顔が見える。

「んっ、あっ?」

「お腹空いたよごはんは?」

「えっ……」

 慌てて身を起こして時計を見る。一時間ぐらいの仮眠をとるつもりでソファに横になったのは記憶にある。それが一時間どころか四時間以上寝ていたらしく、午後七時をとうに過ぎていた。アラームをセットしていたはずのスマートフォンが床に落下している。

「え、あ……飯……まだ作って……嘘、七時……今から……何時だ……ケーキ受け取り……マジか……」

 目は覚めてはいる、しかし寝起きであるのと予想外の事態に、思考が上手く働かない。


 今日は謠子の誕生日。

 だから彼女の好きなビーフシチューを作る予定だった。


 長年作っているから慣れているというだけで、料理の腕がずば抜けていいというのでもないし、自身も謠子の身の回りのことだけをしているわけではないから、そんなに凝ったものを作るつもりはなかったが、それでもめでたい日なのだからせめて好物ぐらいは、と思っていた。彼女のお気に入りの洋菓子店の、彼女の好きな苺を使ったシンプルなケーキも注文してあった。多忙な中での精一杯、たいしたことはできないが、それなりにはしようと考えていたのだ。


「ああぁ……どうしよ……店、は、ギリギリ…………ていうか飯……」

「落ち着いて平田くん」

 横にぽすんと座って謠子が言う。

「最近忙しかったからね、疲れてるんだよ。今日は外食にしよう。ついでにケーキ受け取りに行って、帰ってきたら食べようよ」

「いや、でも、」

「僕ラーメン食べたい。清和軒のラーメンと、炒飯半分こ。たまにはいいでしょ」


 気を遣われている。よりによって今日この日に。


 しかし時間も時間なのでそうせざるを得ないか、と平田は情けなくも申し出を受け入れた。

「……はい」



 二人は屋敷を出て徒歩数分とかからない場所にある古い小さなラーメン屋で食事を済ませ、そのまま徒歩で閉店間際の洋菓子店に注文しておいたケーキを受け取りに行った。


「ここしばらくずっと室内だったし移動も車だったから、何だかちょっと新鮮だね」


 謠子の言葉に、気分転換もさせるつもりだったのか、と気付く。益々ますますもって情けない。


「誕プレ、ほんとにサーバー増やすだけでよかったのか?」

「どうして?」

「もっと他に何かあるだろお嬢様、服とか靴とかいろいろさァ」

「そういうたぐいのものはきみが勝手にどんどん買ってきちゃうんじゃないか。そろそろまたクローゼット整理しないと入らないよ」

「だって可愛いの着せたいもんしょーがねえじゃん。……あー、年々やれるのなくなってくなぁ、化粧品なんてまだ早すぎるしなぁ」

「図書カードとか」

「小学生かよ」

 言ってから、逆にそれが歳相応なのかとも思う。施設の上層部を通して申請し通信制大学で学業を修めている身であるし、普段大人ばかりを相手取り情報の売買をしたりキャプターの任務をこなしたりしているが、まだ十三歳なのだ。


(十三年、か)


 謠子が生まれたときのことを思い出す。


(旦那様と奥様は何時間も前から興奮状態だったしウィリアムは狂喜乱舞で看護師に叱られるし……一番冷静なの喜久ちゃんだったな……)


「どうしたの」

 回想の中の赤子が急に成長して視界に入る。夜道でもわかる、金茶の髪に緑の瞳。父親に似た鮮やかな色彩だ。あの小さくてぐちゃぐちゃだったのがこんなにきれいに育つのかと思うと少し不思議な気分になる。

「いやぁ。よくこんなくっそ寒い日の真夜中に生まれようと思ったなぁってさ。真冬じゃんか」

「それは僕に言われてもね」

「はは、まぁなぁ。……でも星がきれいな夜だったなー、丁度今日みたいな」


 あの頃は平和だった。

 それがたったの十年で激変してしまった。


 あのとき家族に祝福されて生まれ、両親に、祖父母に愛されて育つべきだったこの子は今──


「僕が生まれた日だから、きみが伯父になった日でもある」

 謠子がケーキの箱を持つ方とは逆の平田の腕を取る。


「伯父様も十三周年おめでとう、だ。貴方がいてくれて本当によかった、ありがとう。いつも振り回しちゃってごめんね」


 そういうところはちゃんとするようにと教えてきたし、元々素直な子だ。己に非があればちゃんと謝る、挨拶もできる、礼もきちんと言える。それはわかっている。

 が、


「……お前さぁ、こういうときにそういうこと言うのほんとずるいよ」


 大人相手に生意気な口を叩いてばかりのこの子に言われれば弱い。


 にんまり笑い、謠子が覗き込む。

「泣いているの?」

「泣いてねえよ誰が泣くかよ、全くそういうとこばっかり喜久ちゃんに似やがって。どうせそうやって俺丸め込んでまた好き放題やる気なんだろ、わかってんだぞ」

「ふふ、ふ。僕きみのそういうところ好きだよ」

「はいはいそうでしょうねぇそうでしょうとも」

 ぎゅう、と腕を抱え込む手に力が入る。

「両親代わりの分と、伯父の分。三人分、大好きだよ」


 これからどんどん成長して、きっといつか、この手は離れていくのだろう。

 そのときが来るまでは、


「そりゃ濃厚だな」


 毎年、この日は一緒に笑っていられるように。


「今日食べ損なったから明日シチューにしますぞ謠子様よ」

「お肉いっぱい入れてね」

「野菜も食えよ肉食娘」




     了




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