カイブツカリ
猫乃助
第1話 満月と少年
街中にサイレンが鳴り響く。
聞きなれたいつもの音。この町では毎日、何かしらの事件は起こっている。男は無線で指示された地区へ向かう。
古びたアパートの一室で殺人事件が起きたという報告だった。
すでに現場に近かった同僚が周囲の聞き込みや現場維持の手続きを行っている。いまさらここにきて何かをする必要性は無いように思えるが、男の到着に気付いた女性が手招きをした。
「どーも、今日の事件は? 痴情のもつれか」
「小学生の子供が母親を殺した。おそらくは正当防衛、住人の話によると数年前に旦那が出て行ってから母子家庭として親子二人で仲良く暮らしていたみたい。でもここ数日母親の様子がおかしかったらしいわ。
ほら、このアパート古いから音が筒抜けなのよね。隣や下の住人からも母親の金切り声が聞こえていたみたい。時々ものが壊れるような大きな音もね」
話を聞きながら男は他の同僚と話をしている子供に目を向けた。返り血を浴びているが、子供自身も怪我をしているように見える。
「なんでも、化け物になる前に殺しておかなきゃって口にしてたみたい」
「あー……だから、俺がここに呼ばれたのか」
通常の仕事では呼び出されることのない男は、自分の仕事が何なのか理解した。
「で、子供の方はどうなんだ。見た限りでは今は人間だが」
「人間よ、異常な回復もない。変質した様子もないし、彼が見た様子でも肉体に関しては人間と何ら変わらないといっているわ」
女性の指さす先にはへらへら笑いながら手を振る白衣を着た女がいた。
「アイツも呼んだのか……だったら俺は要らないだろう」
「伊藤君が彼女を苦手に思っているのは知っているけど、露骨に嫌そうな顔をするのは止めなさい。彼女曰く、今は間違いなく人間の体で性質もそうなっているけど、明日以降はおそらく違う。部屋に残っている匂いが可笑しいと言ってたわ」
「匂いねぇ」
母親は検死解剖に回され、子供は一時預かることになった。その子供の面倒を見ることになった男は面倒くさそうに溜息をついた。
子供は大人しく男の後をついてくる。車に乗せられてもずっと自分の手を眺めているだけだった。
車を走らせながら男は何度もミラーで子供の様子を確認する。何もしゃべらない。泣きもせず、ただそこに居るだけ。だが、署に近づき周りに建物が減って空に浮かぶ満月が見えると、子供は口を開いた。
「あの人は、お母さんは人間じゃなかった」
小さく震える声で、月を見ながらゆっくりと話し始めた。
「ずっと、言ってた。満月には、化け物が出るんだって。
人のフリをしていて、満月の晩には正体を見せるんだって。
だから、だから、僕を殺そうとしたんだ」
「……そうか。ここ数日お母さんの様子がおかしかったって聞いたけど、それは本当かい?」
子供は小さく、うんと答えた。
「きっと、お母さんの皮を被った化け物だ。お母さんは優しかった。……だから、今日死んだのはお母さんじゃない。化け物なんだ」
「じゃあ、君が殺したのは化け物で、人間じゃないっていうんだね」
今まで月を見ていた子供はミラー越しに男の方を見る。黒く沈んだ色をした瞳がじっと男を睨みつけてくる。
「人間は殺さない。人を殺しちゃいけないってお母さんが言ってた。
殺していいのは化け物だって。僕が殺したのは化け物だ、化け物以外は殺さない」
化け物なら殺していい、そうやって母親に言われて育ったと言った。子供の父親は怪物で、母親を殺そうとしたこともあった。その父親がいなくなって平和に過ごしていたというのに、急に母親は子供の事を怪物だと言って恐れた。
確かに満月に本性を現す存在はいる。月夜は力を増す化け物もいる。だが、この子どもは普通の人間の子供にしか見えないし、普通に子供にしか感じない。
「君はどうやってお母さんに化けた怪物を殺したんだい?」
「……よく、覚えて居ません。ただ、台所でもみ合ってて……気が付いた時には包丁で怪物を刺していました」
母親の死体は確かに胸元に包丁が突き立てられていただけで、あとはもみ合ったであろう傷があるだけだった。
「もしも、怪物じゃなかったら君はどうする?」
「それは……僕がお母さんを殺したって事ですか。……人を殺したら、僕も殺されるんですよね。知ってます」
本当にあれが母だったなら、自分は罪を犯した。死刑になってもかまわないと、どこか子供らしくない反応だった。妙に冷静というか淡々としていて、薄気味悪さを覚えた。
「死刑ねぇ……ところで、君自身が怪物だったら、どうする」
「僕が……怪物。なら、殺されておかなきゃいけなかったです。生きてちゃいけない」
走行中にもかかわらず子供は車の扉を開けて外へ飛び出した。
幸い対向車も後続車もいなかったお陰で交通事故は起こらなかったが、車から飛び出した子供は体中が擦り切れてひどいありさまだった。
「クソッ、何考えてんだ」
「……痛い、これ……死ねますか?」
「さぁどうだろうな。こっちは死なせる気はないんでね」
慌てて救急車を呼び、事の次第を上司へ連絡した。
「すみません、自分の落ち度です」
「なーに、伊藤君がしくじるのは今に始まった事じゃないさ。大丈夫、その子は助かるよ。その程度じゃ死なないさ。あと数時間で日も昇る。そしたらもう大丈夫」
子供の事を知っている様子で上司は笑っていた。
どうやら化け物は母親ではなく子供の方だった様だ。それに気づいた母親が子供を殺そうとした、しかしなぜ? 満月では化け物は力を増してしまう。それとも殺されることが目的だったのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます