第42話 時宗最初の弟子・真教





 真教さまは京のご出身で、上人さまよりふたつ年上。

 浄土宗鎮西派の弁西上人に師事されたあと九州に渡り、守護・大友さまの庇護を受けて草庵を結んでおられましたが、よほど思うところがおありになったのでございましょう、初対面の上人さまに、胸中の悩みを率直に吐露なさいました。


「ときに一遍どの。わたしはこの歳になっても、いまだに悟りを得ることができません。困ったことには、根本の法論からして、わたしの迷いのもとなのですよ」


「ほう、如何ような?」


「われらが宗祖・法然上人さまは『往生の業、念仏を先とす』(『選択集せんちゃくしゅう』)と仰せになられました。しかるに親鸞聖人さまは『往生の業、信心を本とす』と仰せでございます。両先達の矛盾を一遍どのはどのようにお考えですかな?」


「まことに僭越でございますが、わたしは両師の教えのどちらにも首肯することができません。なぜならば、念仏の行は仏から人へがすべてであり、人から人への教えは最初から存在しないからでございます。したがって、信・不信、浄・不浄を問わず、真っ白な気持ちで念仏称名いたすのみでございます」


「ふむ、なるほど」


「その証として、わたしは念仏札を配って歩いております。ただひたすらに念仏を申すときに、功徳も我執も存在いたしません。念仏を称えているのは、わたしの声ではなく仏の声、称名を発するのは、わが口にあらず仏の口なのでございます」


 それは長い苦節の歳月に自らの体験によって自然に獲得された、上人さまの真実のお言葉でございましたので、いささかの気負いもなかったことと拝察されます。

 

 深く考え込んでおられる真教さまに、上人さまはつづけて語られました。


「このごろ、わたしは"生死しょうじに七種の用心あり"と考えるようになりました」

「ほう。その意味するところは?」


 膝を乗り出した真教さまに、上人さまは臆するところなく持論を語られました。


 

  一に一息生死 すなわち 出る息を生となし、入る息を死となす。

  二に念々生死 すなわち 念の初めを生となし、念の終わりを死となす。

  三に時々生死 すなわち 時の初めを生となし、時の終わりを死となす。

  四に一日生死 すなわち あしたを生となし、夕べを死となす。

  五に一月生死 すなわち 朔日ついたちを生となし、晦日みそかを死となす。

  六に一年生死 すなわち 正月を生となし、師走を死となす。

  七に一期いちご生死


 

「以上を承知していれば、我執を捨て去り、愛欲の念からも解き放たれることを、まことに僭越ながら、わたしは自らの経験で悟ったのでございます。長いこと最大の苦しみであった妻子を想う情念もまた、わたしが人間であることの証であることに気づいたとき、ようやくわたしは心から楽になることができたのでございます」


 真教さまの眸には光るものが浮かんでおられました。

 そして、目の前の上人さまに深々と平伏されました。

 かくて、時宗最初の弟子が誕生したのでございます。

 

 真教さまは、師と仰ぐ一遍上人さまを大友頼泰さまの館に案内されました。

 偶然にもご先祖がやはり河野水軍でいらした大友さまは上人さまの「生死に七種の用心」説に賛同されて帰依され、衣類や糧食を喜捨きしゃされたのでございます。


 これを機に地元の信者が増え始め、大野荘を出立するときは、真教さまをはじめ7人の弟子たちが上人さまにつき従っておりました。真教さまとの出会いが、他の宗派には見られない、集団としての時宗の発端につながったのでございます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る