第17話 「人類の幸せを願っちゃう?」
とりあえず、あれだ、お茶菓子のストックがまだあってよかった。
まぁ、一口も手をつけてくれてないけど。
「ねぇ、二人ともいつまで黙ってるの?」
うるさいぞシノ。この緊張感がお前には分らんのか。
こんな、死ぬほどの美少女が至近距離にいるんだぞ。どどどどうしようどうしようどうしよう……。
「そうね。いつまでもこうしていても仕方ないし、まずは改めて名乗らせてもらうわ。私の名はリリ、本名ではないけど、今はこれで勘弁してちょうだい」
帽子を頭から取りながら、リリさんがこちらに視線を向けてきた。
何をしに来たのかは不明だが、推しにこうして名乗られた以上はこっちも名乗らないといけないだろう、礼儀として。
「えっと、俺の名はシンだ。です」
「本名は心弥だよ。んで、ウチの名前はシノ~」
おいこらてめぇ。
「シンヤ……シノ。いえ、シノ様、とお呼びするべきかしら?」
「ん~。ウチは確かに向こうじゃ神様みたいなものだったとは思うけど、今は大した力もないし、この名前も心弥がつけてくれたものだしね。様とかはいらないかな」
なるほど、この子にとってはシノは一応敬う対象なのか。本当に神様的な存在だったんだなぁシノって。
でもだからって人の名前を勝手に教えんなよ。
「本名を教えてよかったの? 私はまだ信用されているとは思えないけど」
「信用してはないよ。でも、どーせリリっちが心弥に何か出来るとは思えないし。逆に、心弥はリリっちと仲良くなりたいっていうか、応援したいって言ってたからね。こっちから情報を開示するくらいで丁度いいかなぁって」
おいぃっ! 何勝手に人の内心を全部喋ってんだよでも今はありがとう!
……俺一人だといつまでも黙ってて話が先に進まなそうだしな。
あぁ、それが分ってるから代わりに言ってくれたのか?
なんか、最近はシノに俺の願望や本音がダダ漏れになってないかな?
「ふぅん、随分と嘗められたものね。ま、この前の力を見れば私が敵う相手じゃないっていうのは事実か。それにどこまで本気か分らないけれど、協力したいと思ってくれているのなら話が早いわ」
どこまでも本気だけど、どんな話だろ?
「私たちに協力してほしい。今日はその為に来たのだから」
「きょう、りょく?」
「そう。私たちのやっている、魔物からの魔力回収。それを手伝ってほしい。あなたなら強力な魔物からでも魔力を回収できる。例えば魔王級の魔物から魔力を回収できれば、私たちの目的は一気に達成へと近づくわ」
魔力回収。
そういえば前に狼の魔物と戦った時にシノが言ってたな。魔物を倒す時に消滅でも浄化でもなく魔力を回収してる。って。
ん? でも一体なんの為にだ?
正義の使徒が魔物を消滅させるのは単純に防衛の為だろう。
シノが魔物を浄化するのは、混ざってしまった二つの世界、それによって生じる『歪み』とやらを修繕する為らしい。
なら、リリさんが魔物から魔力回収をするのは何故だ?
「その、目的を聞いてもいいか――いいですか?」
「当然説明する。あと、もっと普通に話してくれていいわよ?」
うっ……。普通って言われてもなぁ。
リリさん相手に俺の普通を出すと、推しへの愛が漏れすぎてめっちゃキモいことになることうけあいなんだが。
かといって、変身して素顔が隠れているという前提が既に崩れた今、リリさんの美貌を前にして強気キャラも難しい。
「こ、こほんっ。えっと、リリさんの目的を聞かせてほしいかな~、と」
「……それが普通なの? なんというか、戦闘態勢じゃない時は結構印象が違うのね、あなた」
ど、どんな印象がどんな印象に変ったのだろう。凄く気になるけど聞くに聞けない。
「心弥は素だとこんな感じだよ。あ、でも普段はもうちょっとおもしろフグッ」
「で、目的っていうのは?」
シノを口を慌てて塞ぎつつ、リリさんに話を振る。
こいつに自由に喋らせると何を暴露されるか分らんからな。
ただサイズの関係上、口どころか顔面全体を手で覆ってしまい、苦しかったのかシノに噛みつかれた。地味に痛い。
ので、もう片方の手で頭を撫でてドウドウと落着かせる。
「仲がいいのね。異世界の存在同士の癖に」
ふっ――っと、リリさんが一瞬微笑んだように見えた。
恐ろしく綺麗で、可愛くて、どこか悲しげな。
そんな表情。
……に、見えたような気がしたけど、俺は女の子の心情とか全く察せないので実際のところはよく分らん。
「さて、目的の話ね。私たちが魔物から魔力を回収する理由は、ある大規模魔術を起動させるためよ」
「だいきぼまじゅつ?」
「そう。世界中に作用するほどの規模になるわ」
またえらくスケールのデカイ話になってきたな。
「その効果は精神干渉系魔術の一種と思ってくれていい。影響を受けた者に夢を見せる魔術」
「夢……って、寝てる時にみる夢のことです?」
「それに近いけれど、もっと現実に近いかもしれないわ。明晰夢っていうのかな? 現実と見分けがつかないような、そんな夢。個人個人が理想とする世界。それを
、本人の頭の中に展開する魔術」
ん、んん? それってつまり……。
「それってさ。要するに超強力な洗脳に近いことをして、幻の世界で幸せな夢を世界中の皆でみよーね。ってこと?」
シノがえらく簡単に纏めたが、つまりそういうことだろうか?
この町全体にかかっているという常識改変の異能、それの強化版みたいな?
「簡単に言えばそういうことね。今のこの世界は混乱と悲劇に満ちている。あなたがどれだけ知っているか知らないけれど、あの時、世界同士の衝突で一体どれだけの知恵ある者たちが死んでいったか……」
そ、そうなんだ。ちっとも知らんかったけれども。
でも、なるほどね。
なんつーか、割とよくある話つーか。よく聞く話つーか。
SFとかのネタでも偶に聞くんだけど、要するに仮想空間に個人専用の世界を用意して、その中で個人個人が各々幸せに暮らしましょうね、という思想だよな。
ある意味でディストピアめいた考え方だ。
何しろ、言ってしまえばただの幻。その中で例え恋をしようと、家族を作ろうと、親友ができようと、それらは全て実在しないのだから。
だが、本人すらも幻であることに気が付かないのなら?
それは、現実と何が違うのか?
みたいな、そんな話だろう。
「あの、それって夢の中では他人同士の接触があるのかな? あと夢の中って自覚とかもあるのかなーって」
一応確認の為に聞いてみる。
リリさんはこちらの様子を観察するようにしながら、口を開いた。
「接触は、ないわ。それがあったら意味がないもの。あくまで本人の心の中だけの閉じた世界だから、人は傷つけ合うことなく平等に幸せになれる。夢の中という自覚もなくなるわ。魔術が発動すれば、夢の中の世界こそが現実世界になる」
なるほど、な。
「それは、いいね」
「……本当に、そう思う?」
「思うよ、俺は」
だって、人類全員が幸せになろうと思ったら実際のところ手段はそれしかない、とも言える。
リリさんは『二つの世界が衝突してから悲劇が沢山あった、だからこの魔術で救う 』という感覚でいるみたいだけど……。
でも、そんな分かりやすい大げさな悲劇などなくたって、端っからこの世界には苦悩と不平等がいくらでも、どこにでも転がっている。
全員が幸せに。などということは原理的に不可能なんだ、ここでは。
だったら、この魔術が本当に有効なら、例え幻の世界であろうと俺は。
「協力する。魔力回収ってやつを」
こちらの目を、リリさんの不揃いな瞳が真っ直ぐに射貫いてくる。
「私たちの仲間にこっちの人間はいない。それでも、私たちを信用できるの?」
「あぁ。他の人は知らないけど、少なくともリリさんのことは信用してるから」
「――っ!」
何しろ、俺は彼女の過去を不可抗力でのぞき見てしまった。
あれを見て、リリさんの真摯な思いに疑いを持つなどありえない。
本当に、誰かを、誰もを救いたい一心で動いている。
俺にはそうとしか思えない。
リリさんの方も俺が過去を知っていることを知っている。
なら、出会ってすぐに信用されることへの違和感はさほどないはずだ。
「……そう」
リリさんは目を閉じて小さく頷いた後、すっと小さなメモ用紙のようなものを差し出してきた。
そこには魔方陣が刻まれている。
「連絡用の魔方陣よ。シノには使い方が分るでしょ?」
「うん、分るよ」
妙に静かだったシノが紙を見て頷く。
「思ったより話がスムーズにいってよかったわ。さて、今日はそろそろ失礼するわね。この家を監視してる奴らの目を誤魔化すのも、そろそろ限界だろうし」
はい!? この家監視されてるの!?
「あー、正義の使徒って人たちのやつね。魔術で誤魔化してたんだ。相変わらず良い腕だね」
「元神様にそう言って貰えるのは光栄だわ。じゃあ、これからよろしくね、心弥」
「あ、あぁ。よろしく頼みます」
「……もっと砕けた感じでいいわ。その、私も、段々あなたを信用できるように努力するから」
「へ? あ、えっと、はい。いや、うん」
去り際に見せた、リリさんのなんともいえない表情に不整脈を起こしたんじゃないかと思うほど心臓を締め付けられつつ、推しとの衝撃的な再会は終わりを迎えた。
リリさんが去り、1時間ほど経った。
流石に心のキャパがオーバーしてしまって、今はひたすらぼ~っとしている。
まさか推しが二人もこの部屋に来てくれるなんて思いもしなかったもんなぁ。この部屋の空気を保存できないかな?
「……ねぇ、心弥。本当にリリって子に協力するつもりなの?」
「え? あ、あぁ。そうだけど?」
シノは少し躊躇いがちにそんなことを聞いてきた。
魔力回収しちゃうと浄化できない、ってことで文句でもあるのだろうか?
「やっぱ、シノ的には浄化できないとダメな感じか?」
「う~ん、勿論それもあるんだけどさ。あの夢の中で幸せになろう計画みたいなやつ。あれ、本当に心弥は賛成なのかなって」
夢の中で幸せになろう計画って、えらく幼稚なタイトルつけられたもんだなぁ。
まぁ直接的で分りやすいけれども。
「賛成だけど? まぁ、そりゃ魔術に詳しいわけでもないから、絶対賛成とまでは言えないけど。本当にリリさんの言ってた通りの効果があるのなら、試してみる価値はあるだろ」
「でもさ、夢の中に皆が引きこもるってことは、そこで知恵ある生き物は滅びるってことになるんじゃないかなって思うんだけど」
……それは、正直俺も気が付いていた。
他人との接触がなくなり、個人個人が夢の中で勝手に幸せになる。
それはつまり、種の保存を放棄し、人間としての幸せを優先するということだ。
誰かが夢の外にいて人口的に人間を生産でもしない限り、人類種は途絶える。
ある意味で究極の個人主義とも言えるかもしれない。
今この世に生きている人間全てが平等に救われて幸せになる為に、人類種の未来を代価とする。
なんといったか……えっと、反出生主義? とかいうやつが近いかもしれない。
生まれてくる子供がいなくなれば、不幸になる者はいなくなる。
後は、生きている者全員が幸せになって死ねれば、完全に人類全体が救われたままに人という種は滅亡する。
幸福な絶滅。
多分、そんな話なのだこれは。
「ぶっちゃけて言えば、俺は難しいことはよく分らん」
「そーだろうねぇ」
「だから、単純に考えてみた結果。この計画で不幸になる人はいない、幸福になる人は増える。ならこっちのがいいよなぁって思った」
「本当に単純」
だって、実際単純なんだもん俺。
それに、人間なんて言うほど複雑な生き物でもないと思う。
なら、結末も単純でいいと思うんだよなぁ。
「ふ~ん。そっか」
小さな体がふわりと舞い上り、こちらの顔を一瞥した。
だが、その視線は俺を見ているようでいて、俺ではないどこかを見つめているように思える。
「……ま、人の子らがそれを選択するっていうのなら、それでいいのかなぁ」
シノは、まるで何を考えているのか分からない、無色透明な表情でそう言った。
なんだか、初めて彼女のことが『神様』みたいに見えた瞬間だった。
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