第130話 剣舞

 それは、一瞬の出来事だった。


 男の名前はポーチ・ドエクス

 ————歳は三十五、家は伯爵家、小太り、鼻の下にクルンとしたカイゼル髭をたくわえた脂ギッシュな男。現在は独身(でもバツ二)性格に難があり、嫁に逃げられている。そのせいか自分より優秀な女性が嫌い。王都よりカウダートへ派遣された文官の一人。当然フィルタード派である————


 ちなみにこの情報を仕入れてきたのはネイトさんだ。ドエクス伯爵家と聞いても私はピンと来なかったが、コンラッド様がファスタさんに聞いたところ、中堅どころの伯爵家らしい。

 ただし、現当主であるポーチ・ドエクスに変わってからは、家が傾きつつあるとのこと。威張り散らすばかりで、領地運営能力は低いようだ。


 そのドエクス伯爵は、一緒に葬儀に参列していたと思しき取り巻きと一緒に腰を抜かしてカタカタ震えている。

 それはそうだろう。ほんの一瞬で鼻の下にあったカイゼル髭が、チョビ髭になってしまったのだから……


 ————時を遡ること、一時間ほど前。


 クリフィード侯爵の遺体が納められた棺は静かに神殿に運ばれた。大神官様の言葉を頂き、特別混乱することもなく葬儀は進んでいく。侯爵と縁のある貴族達もそれなりの人数が参列していたと思う。

 それにギリギリではあったが、ファスタさんを次の侯爵として認めるという書簡もお父様から届いていた。


 もっとも、頭に仮、が付くけれど……

 本来爵位というものは、王から直接下賜されるもの。きちんと爵位を受け継ぐには、ファスタさんも王都へ出向かなければならない。

 しかし今回は侯爵の亡くなり方に不審な点があり、それを調べるために時間がかかったことから仮ではあるが先に爵位を認めるとなったのだ。


 大体の貴族達は、ファスタさんが爵位を継ぐことを祝福してくれていたが、一部苦々しい顔で見ている者達がいた。それが王都から派遣されていた文官、ドエクス伯爵達だ。


 流石の彼らも葬儀中は何もせず、大人しくしていたのだけれど……その後の侯爵家主催の立食会では打って変わって、派手に飲み食いを始めたのだ。そしてアレがダメだ。コレが悪い。と文句をつけ始めた。

 見ていて物凄く見苦しい。こんな傍若無人な振る舞いを他国からお客様が来ている前でするなんて!


 主催であるファスタさんはそんな彼らの対応に苦慮していた。見ているだけでも腹が立つのに、きっとファスタさんはもっと腹が立っていただろう。

 大切なお父様が亡くなったのだ。みんなで語り合う時間なのに、彼らの行動はその大事な時間を汚している。そしてその行動は更にエスカレートしていった。


 そんな彼らにストップをかけたのが、アリシアのお父様。ファーマン侯爵だ。


「ドエクス伯爵、故人を語り合う時間に酔っ払っているとは何事です?それともドエクス家ではそれが普通なのですかな?」

「なんだとぉ!」

「見苦しい、と申し上げている。そのように酔ったままでは、話すこともままならないでしょう。部屋に引き上げては?」


 声をかけてきたのがファーマン侯爵だったせいか、彼らはわかりやすくムッとした表情をする。しかもチッと舌打ちまでしてる人までいた!

 どれだけ自分達を特別だと思っているのだろう?序列からいっても、ファーマン侯爵の方が断然上だ。それにも関わらず何て態度だろう!!


 自然、頬が膨らんでしまう。ぷくりと頬を膨らませていると、横からツンっと頬を突っつかれた。


「ルーちゃん、頬が膨らんでるよ」

「……だって、腹が立ちます」

「ま、気持ちはわかるけどね。アレは、人を悼む姿勢じゃない」

「あんなのが役人をしているなんて……恥ずかしいです」

「ルーちゃんのせいじゃないでしょう?上にいる人間が悪い」


 キッパリといい切られ、その一番上にいるのが私のお父様です……と情けない気持ちになる。お父様はあんな役人がいることを知っているのだろうか?知っていたのなら、どうしてクリフィード侯爵の葬儀に派遣したのか?


 もちろん数多いる役人全ての顔と名前を把握し、更にはその性格、仕事ぶりを覚えておくなんて無理だろうけれど。それでも派遣するのであれば、もうちょっとちゃんとした人を派遣して欲しかった。


 現に、後から来たファスタさんの侯爵位を認める書簡を持ってきた人達は、彼らの所業に眉を顰めながら見ているじゃないか!と、そこで違和感に気がついた。


「……お姉様、もしかしたらなんですけど」

「なあに?ルーちゃん」

「ファスタ様に書簡を届けに来た役人達が、王命を受けて来た役人なのかもしれません」

「……どういうこと?」

「えっと、つまりですね。先に乗り込んできた人達は、王命を受けたというよりはフィルタード侯爵の命令できたのではないかな、と」

「そんなことできるの?」

「できる、というか……フィルタード侯爵が選んだ人達を先に送るだけで良いんです。陛下は調べるのに忙しいでしょう?とかなんとか理由をつけて」

「先に派遣したもの勝ち、ってことね?」


 私は将軍の言葉に頷く。たぶん、そうだ。だからこそフィルタード派の役人だけなのだろう。普通はそこまで偏らない。

 それにあのハウンド宰相様がそんなことは許さないだろう。きっとクリフィード侯爵が亡くなった混乱に乗じて、フィルタード侯爵が勝手にやったのだ。

 急にクリフィード侯爵が亡くなったのだから、と善意を前面に押し出していい切ればお父様達も強くはいえない。文官を派遣する必要はあったのだろうから。


 だからこそ、クリフィード侯爵の亡骸が領に戻ってくるよりも先に、彼らが来た。クリフィード侯爵の亡くなり方に不審な点があったからこそ、こんな荒技ができたともいえる。普通は宰相様が偏りがないように選ぶはずだから。


 とはいえ、あんな役人をのさばらせているのは上の怠慢といわれても仕方ない。ちゃんと王命を受けて来ている彼らが、あの役人達の所業をお父様に報告してくれることを祈るばかりだ。


 そんなことを考えていると、不満タラタラなドエクス伯爵達がこちらを見た。なんだか嫌な予感がするな、と思っていると、彼らはわざわざこちらに向かって来たのだ。


 私はサッと将軍の後ろに隠れる。

 本当なら一発ぐらいぶん殴ってやりたいけれど!今の私にそんなことができるわけもなく、下手なことをいわない為に隠れるのだ。これは逃げではない。逃げではないのだ。そう自分にいい聞かせる。


 だって顔を見ていたら文句の一つもいいたくなるし!それに手だって出るかもしれないし!!


 そんな私の心情なんて全くもって理解していない、ドエクス伯爵達は将軍に視線を定めるとニヤニヤ笑いながら近寄ってくる。


「そちらのお国では、女も男みたいな格好をするんですなあ」

「ドレスの用意もできないのでしょう!」

「はははは!そうかもしれませんね」


 彼らのセリフに、私はテーブルの上にあったワイングラスの中身をぶちまけたい気分でいっぱいだった。ラステア国の衣装は気候に合わせた衣装で、ファティシアのような格好をしていたら暑くて大変なのだ。

 機能性諸々を重視した衣装だけれど、色を染めたり、刺繍が細かく入っていてとても手間が掛かっている。


 どちらが良いとか悪いとかない。どちらも素敵な衣装なのだ!!


「ま、女が将軍をできるような国ですし、人材だけでなく物資も不足しているのでは?」

「それもそうか!」

「ドエクス伯爵!何て失礼な!!」

「うるさい若僧が!!」


 止めに入ったファスタさんをドエクス伯爵が押し退ける。仮とはいえ、ファスタさんは侯爵家の人間。押し退けるなんて有り得ないし、怒鳴りつけるなんて以ての外だ。



「————そういえば、女は舞でも舞ってろ、とかいってましたか」



 ヒンヤリとした声が将軍から聞こえる。私が隣を見上げると、顔は笑っているけれども目は全く笑っていない状態の将軍がいた。


「はははっ!できるものか!!品のない女にそんなこと!!」

「そうだそうだ!!」

「いい加減になさい!この方々は父の為にわざわざ来てくださっているのですよ!!」

「売国奴め!お前なんかに侯爵家を任せられるものか!!」


 その言葉に思わず、近くのテーブルに置いてあったグラスを掴む。思いっきり投げつけてやろうとしたその手に、誰かの手が重なった。


「……気持ちはわかりますが、どうぞ堪えて」


 ひそりと背後からネイトさんが囁く。私の手を押さえたのはどうやらネイトさんだったようだ。私はネイトさんを仰ぎ見た。だって、こんなのってない!

 しかしネイトさんはニコリと微笑むだけ。そして唇に人差し指を持ってくる。


「ルーちゃーん!お姉様の舞、見ててね?」

「え?」

「殿下、剣を拝借させていただきますよ」


 そういうが早いか、将軍はコンラッド様が帯刀していた刀を抜きバッと、ドエクス伯爵達に向けた。

 いきなりのことにドエクス伯爵達は顔を引き攣らせる。それはそうだろう。その剣は模擬刀などではなく、真剣なのだから。


「どうぞ、私の舞をご覧くださいな?」


 にーっこりと笑みを浮かべ、将軍は剣舞を舞い始めた。その動きに辺りは一瞬にして静かになる。

 将軍は剣の重みを感じさせない動きで、ドエクス伯爵達を舞いながら追い詰めていく。剣先から逃げようにも、将軍の動きの方が早く酔っ払った彼らではうまく逃げることができないのだ。


 ダン、ダン、と地面を踏み鳴らし、将軍は華麗な剣舞を舞う。


 その姿にドエクス伯爵以外の弔問客はほう、とため息を漏らしていた。もちろん私もその一人だ。


「お姉様……かっこいい。素敵……」


 ポツリと呟いた言葉が聞こえたのか、将軍は私にニコリと微笑むと更に動きを大胆なものにしていく。

 くるりくるりと、まるで剣が手のようにしなやかに動き、その動きに怯えるようにドエクス伯爵達は逃げ惑う。

 誰も彼らを助けようと動くものはいない。これは、ただの舞。そう。ただの舞だ。


 死者を悼むための、舞なのだから。止める必要はない。


 そしてとうとう、彼らの中の一人が足を引っ掛けて転んでしまう。それにつられるように、ドエクス伯爵も地面に転がった。


「ヒ、ヒィィィッッ!!」

「殺さないでくれ!!」


 口々に訴える彼らに、将軍は微笑みかける。そして最後にドン!と大きく地面を踏み鳴らすと、そのままスッとドエクス伯爵の鼻下を剣先が通りすぎた。本当に肌に当たるギリギリだろう。その技量に思わず拍手しそうになる。


 そして————ドエクス伯爵の時間をかけて整えたと思われるカイゼル髭は……チョビ髭へと変わったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る