幻想と執念
朝霧
うつくしいもの
自分の夢が砕けたその瞬間を、今でも鮮明に覚えている。
自分は世界で一番美しい存在になりたかった。
その為に努力は惜しまなかった、出来ることはなんでもやった。
性別も年齢も人種も何もかも関係なく、本気でこの世に存在する全ての頂点に立ちたかった。
世界一になる為にあらゆる手を尽くして、それでも足らず悪と呼ばれる類の手段を取ろうとした時に、その女は自分の前に立ち塞がった。
その女は自分に向かってこう言った。
その顔には今にも泣きそうというか、残念そうな表情が浮かんでいた。
その顔で女はこう言った『あなたのことも、やっぱり美しいと思えない』と。
その言葉に激昂しかけた自分にそれはこう続けた。
人間という生物がどうしても好きになれない。
人の形をしているだけで、それが醜く見える。
自分を含めた人間という生物そのものが、気持ち悪くて仕方ない。
二つ並んだ目が、赤く色づく唇が、限られた場所にだけ生えている毛が、それぞれ二本ずつある手足が、五本ある指が、気持ち悪くて怖気立つ。
誰よりも美しいと噂されたあなたならあるいはと思ったけれど、やはり駄目だった――と。
例えば虫嫌いの人が全ての虫を、たとえ美しい見た目をしている蝶すら嫌うように、その女は人間という種族すべてが等しく醜く見えてしまう欠陥を持っていたのだ。
その女が嘲りと共にこの自分すら醜く見えると言ったのであれば、おそらく自分は激昂しただけで済んだ。
それでもそうならなかったのは、その女の目に深い絶望と悲嘆の色しかなかったからだ。
世間から美しいと称される存在ですら美しいと思えない自身への絶望で押し潰されそうになっている女の目の前で、自分の夢があまりにも呆気なく砕けた音を確かに聞いた。
いっそ嘲笑ってもらった方がましだった、それならヤケになって奮起するだけで済んだのに。
誰よりも美しくなりたかった、誰からも美しいと言われる存在になりたかった。
けれどそれがどうしようもなく不可能だと気付かされてしまった。
人にはそれぞれの嗜好があるのはわかっていた、それでもあらゆる嗜好を持つ全ての人間を魅了する自信が自分にはあった。
だけど人の嗜好というのは自分が思い描いていたよりも多種多様で、複雑だった。
人であるというただそれだけで、醜く感じる者がいる。
誰も嫌いたくないと泣きながら、それでもただ人間だからという理由で嫌悪してしまうようなどうしようもない異端者が。
そんな者がいるのなら、もうどうしようもない。
例えその女に合わせて人間であることをやめたとしても、その人間でない何かであるという理由で醜く感じる者もいるだろう。
絶望と共にそう思い知った直後、ふと一つの疑問に行き合った。
そもそも、美しいとはなんだろうか。
基本的に自分が求めた美しさは姿形だった。
顔は当然、体格や髪型、髪色、頭の先から爪先までの全て。
それらを磨き続ければいいと思っていた、だけど本当にそれだけでよかったのだろうか?
見た目だけ気遣ったところで、例えば盲目の人間に対してそれは一切通じない。
人間全てが醜く見えるような人間よりも、そのような人間に行き当たる可能性は高いはずだ。
なのに何故自分はその可能性に至らなかったのだろうか?
夢破れたその瞬間に、今更のようにそんなことを考えて、自分の夢があまりにも自分本位なものであったことに気付いた。
夢が破れた後も、自分は美しさを追求することを止めなかった。
今更やめられなかったというのもあるが、あの時点でそれをやめるのは非常に悔しかったというのが本音だ。
あの日彼女の絶望を目の当たりにして、今まで自分が大事に抱え込んできた『美しさ』の薄っぺらさを思い知った。
それを自覚してしまうと、美しかったはずの自分が酷くみすぼらしく見えた。
薄っぺらいとはいえ世界一の美しさを目指した自分は自身のみすぼらしさに目を瞑れなかった。
負けず嫌いの子供のようだと自分で自分を笑いたくなるけど、こんな性格でなければ初めから世界一の座なんか狙わない。
結局、夢破れたくせに諦めはつかなかったというわけだ。
だから一から美しさを見つめ直して、その上でできうる限るの美を追求することにした。
容姿はもちろん、それ以外も。自分が持っている全てを多種多様な美しさで埋め尽くすように。
あの日、自分の夢を完膚なきまでに叩き潰してくれたあの女とは今でも交流を持っている。
相変わらず人間が醜く見えて仕方がないらしいけど、それでも自分が描いた絵や作った菓子は『美しい』と認めたので、第一歩としては上々だろう。
それでもまだ足りない、誰も彼もを人間だからと嫌ってしまうあの子に、人間だけど好きだと言わせないと自分のプライドが許さなかった。
幻想と執念 朝霧 @asagiri
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