こっちでもこの世の地獄

 地球は平和だった。


 いや、ほんの少し前まではそうではなかった。ヒュドラだけでも人類の総力を挙げて戦わねばならない存在なのに、その親であるテュポーンが復活するなど、冗談なしに人類が滅亡する瀬戸際だった。しかし両者は打倒され、人類は、地球は救われたのだ。


 が


 救われていない者達もいた!


「はいお電話変わりました。こちらギリシャ騒動によるバチカンの対策本部になります」


「あの存在はなんだ!」


「現在調査中です」


「調査中とはいったいどういう意味だ!」


「調査中は調査中なんだよボケ!」


 そう、世界の裏を管理する"会合"、一神教の総本山バチカン、NATOにアメリカ、ロシアなど、先の騒動をめでたしめでたしで終える訳にはいかない者達だ。彼らは現在、テレビ会議で顔を突き合わせていたが、誰も彼もの顔色が悪い。


 ヒュドラとテュポーンはまあいい。裏の関係者からすれば、確かにギリシャ神話では明確に死んではいないため、最悪復活する可能性も頭の隅にあったのだ。


「あんなものがいたのに! どうして誰も! どこも知らない!」


 ロシアの責任者が声を荒げる。


 最大の問題は、世界各国の計測器をオーバーフローさせ、テュポーンを一瞬で片付けた真の怪物が、今まで誰にも知られず存在していたことだ。


 それは管理されていない核弾頭がうろつきまわるより恐ろしい事態で、今までその存在が誰かも、何をしていたかも全く情報が無いのだ。下手をすれば、自分達が絶対だと思っていた大地すら粉々にしてしまえるのに。


「一つ一つ片付けて行こう。そもそもあれは人間なのか?」


 バチカンからギリシャに派遣されてその存在を直に見た聖人が、状況を整理しようとした。


「……違う。一番分かりやすいのは超重力……?いや、陳腐に言うとバカでかいブラックホールだ」


 その問いに、なんの模様もない単なる仮面をつけた奇人が話し始める


「ブラックホール?」

「なんだって?」


「彼は?」

「"会合"の主要幹部、"仮面"です。詳しくは分かりませんが、"会合"で一二を争う達人だとか」


 "仮面"を知る複数の異能者は、彼が口にしたブラックホールという言葉に困惑し、政府や軍人はその奇抜な男の正体を側近に尋ねる。


「……なにが、なにがどうなったら、どうなったらああなるんだ。あ、あの時確かに、地球には極大のブラックホールが立っていたんだ……」


 仮面の言う事の意味が分からず、会議に出席している全員が困惑している。


「その、なんだ? ブラックホールみたいな、なんでも飲み込む人間って事か? テュポーンが消えたのは吸い取られた?」


「違う」


 なんとか自分で解釈した同じ会合の幹部が"仮面"に問うがすぐに否定された。


「ブラックホールみたいな人間じゃない。逆だ。人間の様な外見をしているブラックホールだ。俺達、人の尺度では測れないブラックホールがあそこにいたんだ」


 微妙なニュアンスの違いだが会議に出席している者達は皆優秀で、"仮面"の発言を飲み込め始めた。


「じゃあなんで地球は潰れてない?」


 尤もな質問が発せられる。"仮面"のいう事が正しければ、ブラックホールに地球は飲み込まれているはずなのだ。


「そ、そう。それだ。い、以前俺は、影絵だから気付けた。そいつには絶対に手を出すなと言った存在がいたな?」


「あ、ああ」


 テレビ画面越しでも、"仮面"が段々と震え始めたのを出席者達は気づいた。


「あ、あれが、あれが本物だ。か、影絵の本体。し、知らなかった、分からなかった。影絵の時でもあれだけ怒り狂っていたのに、ほんの一瞬だけ現れても、ちっとも漏らさなかったんだ。し、信じられない。あの怪物は、それだけの力を持っているのに、完璧にコントロールしてるんだ。あ、あり得ない。ちょっとだけ、ちょっとだけだ、本当にちょっとだけでも力が漏れたら、それだけで地球は拉げるんだぞ!?」


「こ、答えになってないぞ。幾ら力を完璧にコントロール出来ていたとしても、ブラックホールはブラックホールの筈だ」


 ヒステリックに叫び出した"仮面"に、会合から出席している者達はかつての狂態を思い出す。


「あ、ああ。地球が潰れていない理由か。物理法則を超越してるんだ。世界から解放されているんだ。ふう……。いや、何を言われているのか分からんだろう。そういうもんだと思ってくれ。矛盾だとか理屈に合わないとか、そういう言葉を全く無視出来るんだと、ルールそのものが違うんだと。だからブラックホールが地球に立っていたんだ。特異点なんだ。俺達が信じているルールは何一つ通用しない。あるいはブラックホールさえ破壊できる時代なら、少しは理解できるかもな」


 なんとか自分を取り戻した"仮面"が言葉を続けた。


「それは……無敵というのではないか?」


「そうとも」


 アメリカの政府高官が発した言葉に、"仮面"が真面目に頷く。


「遅れました」


「"巫女"か」


 そんな時、テレビ電話の一つがオンラインとなり、会合において"巫女"と呼ばれる女性の顔が映し出された。


「報告ですが、ヒュドラと戦った八岐大蛇は、単なる下僕である事に間違いありません。あの大蛇がテュポーンと戦っている最中、我々では理解出来ない超高次元の存在が、その霊基を改変しようとしていました」


「馬鹿な……」


 ヒュドラを殆ど一撃で消し飛ばした存在が下僕。それはつまり、まだ上の存在がいるという事だ。上の、ナニカが。


「それと……」


 驚く出席者を余所に"巫女"は俯く。


「その超高次元の存在は影絵なのですが、どこか、この世界ではない、どこか違うところに線を伸ばしていました。ひょっとしたら、その本体に、我々の、我々の世界の座標が伝わっているのかもしれません……」


 ぎくりとする出席者達。ブラックホール云々でもいっぱいいっぱいなのに、今度は超高次元のナニカに自分達の世界が伝わっている可能性があるなど、許容量を大きく超えていた。


「要は簡単だ。人類ではどうしようもない。触らぬ神に祟りなし。そうだろう"巫女"?」


「はい」


「それなら話は早い。探すな、触るな、関わるな。だ。利用なんてもっての外。前にも会合で言ったが破ろうとするなら、俺は"会合"に参加した理念に従い、世界の均衡の為そいつを殺す。必ず」


「私もです」


 "仮面"と"巫女"に息をのむ出席者達。いや、世界の重鎮たちが集まるこの会議で、このような事を言うのもそうだが、何よりもその鬼気は百戦錬磨の出席者達ですら怯むほどのものだった。


「馬鹿をしない様、きちんと質問には全て答える」


「私もです。そして絶対に忘れないでください。触らぬ神に祟りなし。と」


 中途半端な情報で何かをされるよりは、きちんと情報伝達するべきだと考えた"仮面"と"巫女"が質問攻めを受けたが、なんとか会議自体は修了するのであった。






























 "巫女"が質問に答えながら、インターネット端末の画面を見ている間


 その後ろの壁に黒いナニカが


 瞳が


 三日月の様に笑っていた



 ◆

 ―触らぬ神に祟りなし。この諺には致命的な欠陥がある。触りも関りもしなくとも、ただ見られてしまうだけで駄目なのだ-■■■■■■■ ■■■の追加分


 あるいは見ただけでも

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