世界の敵の敵であれ そして世界を救う者であれ

 この"蛇"は、異なる次元、異なる世界のおいて、世界の平和を願う善の意志の集合体であった。だがしかし、世界を混沌に陥れた邪神によって、その有り様は歪められてしまった。


 一体どうやったら、世界の平穏を願った数万の遺志がになるのか。


『シャアアアアアアアアアああああああああaaaaaaaaa!』


 富士山火口から現れた神話の怪物。異形。悪夢の具現。天へと伸びる邪悪の権化。


 八つの首に八つの頭、その全てが世界の敵そのもの。


「あ、あ、あ」


 その恐ろしい姿に、暴力を含めて誰もがただ呻き声のような、悲鳴のような言葉を漏らすしかなかった。


「っ!」


 ただ一人を除いて。


「ぐっ!?」


 幹也が、持たざる者の拳が暴力の顔に突き刺さる。普段なら何の痛痒も感じなかっただろう。だが、今の暴力は呆然自失であった。それも仕方ないだろう。蛇の首がほんの少しのたくるだけで、ただの人など押し潰されるような圧を感じるのだ。だからつい、火口に投げようと引っ張っていた少女達から手を放してしまった。


「蛇君頼んだ!」


「おじさん!」


「えっぐおじさんー」


 その少女達、アリスとマナの二人を担いだ幹也は、そのまま山の斜面を下っていく。


(山岳戦やっといてよかったー!)


『やっぱり嫌な経験で、お母さんまた涙が出そうです』


 幹也は急斜面を危な気なく走っているが、これもかつての経験のお陰だといえばいいのか、マスターカードと同じく不憫に思えばいいのか分からない。


 だが少なくとも今はそれが役に立ているのは確かだ。彼の人生はいつもこんなもんである。


「に、逃げ!?」


 ようやく我に返った暴力達が逃げる事を思いつく。それはそうだろう。一体誰がこんな神話の時代に殺されていないといけない怪物に挑むというのか。


 そして、この地にやって来たと同じように、転移で逃げようと術者が術を発動しようとした。


 だがもう遅い。


 せめて、最低でもこの蛇が現れる前に行動に移すべきだった。


『■■■■■■■■■』


 だからこうやって、千の魔法に術を打ち消されるのだ。



 アジ・ダハーカに



「じゅ、術が使えない!?」


「なに!?」


 うろたえた声を出しているチンピラ達に、蛇は拍子抜けしていた。肩透かしを受けたといっていい。

 なにせ蛇が想定している仮想敵は、人類には完全に対処不可能、世界に破滅をもたらすものや、外宇宙からやって来た、地球に存在する生物全ての敵なのだ。そういった存在達と真正面から戦い、なお粉砕する。それこそが役割。


 だというのに、呼ばれてみたはいいものの、目の前にいるのはどいつもこいつも取るに足りないチンピラ共。もし蛇に人間の声帯があれば、俺いる? と聞いた事だろう。まあ一人だけ首一本にも満たないが、比較的、そう、比較的ましな奴がいるから、呼ばれた意味はあったのだろう。と、仕事に対する納得を済ましたが。


「おおおおお!」


 その比較的ましな力こぶが飛び上がって、よりにもよってある首に拳を叩きつけた。


「馬鹿な!?」


 無機物の様な蛇の瞳に、はっきりと嘲りの色が宿った。これでよくぞ"暴力"と名乗り、暗黒街の帝王と呼ばれているものだと。力は猿に劣り、あの皇帝のような能力もない。しかもである。見る目も無い。なにせ殴ったのは日ノ本最強の蛇



 八岐大蛇だったのだ。



「傷一つないだと!?」


 そもそも力こぶの力が足りない。どころでは無い。この日ノ本最強の蛇は、まさに日ノ本最強。自らを打倒した神話体系、その中でも素戔嗚、もしくはその力を扱う日本出身の者以外の一切の攻撃を受け付けない。例外があるとすれば、蛇の絶対なる天敵、ガルダの力を扱えるものくらいだろう。


 だから、日本の外の、何の神の力を宿していない、単なる力こぶでは


 絶対に勝てないのだ。


 そして、幹也達は十分離れた。もうそろそろいいか、さてどうしてくれよ……




 出目は黒。許可は出た。




 その八つの首の内、二つの首。今まで閉じられていた四つの眼が力こぶたちを睨みつけた。


 絶対に見てはいけない



 宝石と王の眼を。



 力こぶたちから呻き声も悲鳴も上がらなかった。


 なぜなら石になるか、ただの物言わぬ死体となるか。


 石化するか即死するかのどちらかだったからだ。


「くそがああああああ!」


 おや、と蛇は思った。どうやら比較的ましだと思った者のみ、間一髪で視線を逸らしたようだ。確かに、今の劣化した状態では見られたらなるではなく、蛇の目を見たらなるになっていた。


「落ちろおおおおおお!」


 力こぶにとってこれは使いたくなかった。いや、こういう使い方はしたくなかった。なにせ自分の夢が達成不可能になってしまうからだ。だが、最早この蛇相手にそんなことは言ってられない。力こぶは月の石を握りしめると、そのまま握りつぶした。


 月が落ちてきた


 一応そういう使い方も出来ると部下から説明された、月の石のもう一つの使い方。それこそが、月の住人達ではなく、月のレプリカを地表に落とす戦略攻撃。それを力こぶは発動したのだ。


 富士山どころか、日本を半分以下にするほどの月のレプリカ。それが地球に降ってくる。


 これだと蛇は思った。自分の仕事はこういうのでいいんだよと。だから全ての首を天に向け、己の霊基を全開にする。



 富士山山頂から闇夜に広がる首が、月の光を浴びながら妖しく蠢く。



 メドゥーサ宝石の目


 ウロボロス永遠


 バジリスク


 アジ・ダハーカ千の魔法


 八岐大蛇日ノ本最強


 ヒュドラ不死身


 ニーズヘッグ怒りて臥す者


 サタン神の敵


 一見するとその配置は、まるで宇宙万物の理、生命の樹とそれを守護する天使達のカバラ。


 だがそれは全くの逆。


 司るは


 無神論

 愚鈍

 拒絶

 無感動

 残酷

 醜悪

 色欲

 貪欲

 不安定

 物質主義


 それぞれの配置に着く蛇達。数が足りない? ならば増やせばいい。


『『シャアアアアアアア!』』


 更に二つ増える蛇の首。首の名はヴリトラとアポピス。


 あくまで土台となった八岐大蛇が八首であっただけの話。この蛇は一であり、八であり、百であり、悪と世界の敵の化身なのだ。


 そして完成してしまった。


 邪悪の樹が。


 闇色に輝く邪悪の樹と、周囲に浮かぶ人智を超えた邪悪な文字。


 そして十の首から、邪悪の樹から、クリフォトから


 破滅の光が放たれた。


「ぎゅ」


 その余波で力こぶは消滅し、闇夜に浮かぶ雲は消し飛び、大気の層を飛び出した破滅の光は月のレプリカに着弾。ほんの一瞬の停滞の後、月のレプリカは粉々に砕け散り、レプリカ故に、その破片は魔力となって宇宙に消えていった。


 だがまだ全て終わっていなかった。


『富士山内で活発な噴火兆候を感知。噴火するかも』


「げっ!?」


 マスターカードからの報告に悲鳴を上げる幹也。

 力こぶの手によって目覚めた富士山が、起き上がろうとしていたのだ。


『まあ、自然現象による大規模な被害なら、"森羅万象"を呼べるでしょうから問題ないでしょう』


「なら坊ちゃんを早く呼んでくれ!」


『はいはerrrrrrroooooorrrrrrr』


「は!? ちょっとマスターカードさん!?」


 だが箱の中にはこの事態にも対処可能な者が存在しており、そんな存在を呼ぼうとした矢先である。突然マスターカードの声が変わり、壊れた機械の様に言葉を吐き出し始めた。


『警告!』

『警告!』

『緊急事態!』

『異常を探知!』

『マスターカード内で深刻なエラーが発生しました!』

『原因ををををををを』

『メモリー容量を大幅に圧迫! 世界の敵を強制遮断!』

『エラーエラーエラー!』

『原因を特定! マスターカード"唯■■も■き■■■■"に致命的な異常が発生しました!』


「ちょっと待て!? それおやっさんだろ!?」


 尚も事態は進んでいく。


『マスターカードが何者かから攻撃を受けています!』

『緊急事態!』

『原因を調査中!』

『セキュリティーシステム崩壊!』

『マスターカード"唯■■も■き■■■■"がデリートされました!』


「ちょ!? 一体何が!?」


 汗を流しながら焦る幹也。だが当然だろう。そのマスターカードは、使い方によっては全人類を■えるのだ。そんなマスターカードがデリートされるだけならまだいい。最悪能力が暴走したら………。


『訂正! マスターカード"唯■■も■き■■■■"は通常カードに設定されました』


「は? どゆこと?」


『新たなマスターカードが発生いいいいいいいいいいい』

『errrrrrrrrrrr』

『システム復旧!』


『"■■"■■■■が新たなマスターカードとして認定されました!』


≪いえええええええええい! 椅子取りゲーム俺の勝ちいいいいいいい!≫


「お前かあああああああああああああああ!」


『マスターカード"第二形態"■■■■が強制召喚されます!』


「ちょ!?」


 度重なる異常事態に絶句していた幹也であったが、最後のはとびっきりであった。なにせ召喚しようとしている存在に任せると、状況がよくなるがとんでもない頭痛を引き起こすか、よく分からない内にとんでもない騒動になるかのどちらかにしかならないのだ。


 だから今回はとびっきり運がよかった。


≪第二形態変身! でりゃああああああああああ!≫


 なにせ、霊的な富士山の火気を収める程の、超強力な霊的な水気の超々集中豪雨で済んだのだから。


≪やり過ぎちゃった。てへ≫


「こぉの田舎もんがあああああああ!」


「きゃああああ!?」


「ひうううううう!?」


 憐れ幹也はアリスとマナを抱きかかえながら、富士山山頂から発生した水流、その天然のウォータースライダーに乗せられ下山するのであった。

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