7-17 建速勇人(6)
奇妙な気配が絡み付いて来たのは、長を見送った直後だった。
今の所危険な気配では無かった。数は一人で、さらに自分がいる事を敢えて晒しているように思える。しかし同時に相手がこちらの隙を伺っているのも分かる。
勇人は気配が近付いてくる方向へと視線を向けた。一人の男が闇に潜むようにしてゆっくり近付いてくる。僧形だった。手には錫杖を持っている。
男は小屋を前にして足を止め、頭を下げた。
「御坊様、こんな時間に何か?」
「主上からのお言葉を陸奥守様にお伝えに参りました。お取次ぎを」
勇人は黙って後ろ手で小屋の戸を叩いた。小夜が顔を出す。
「主上からの使者、です」
短くそう伝えると小夜は頷き、一度小屋に顔を引っ込めると、自分の刀を腰に差し、勇人の鬼丸国綱も持って出て来た。勇人はその鬼丸国綱を受け取ると小夜の前に立つ。
「お久し振りでございます、陸奥守様。主上からのお言葉をお伝えに参りました」
男は一度拝礼すると、感情を込めない声で静かに語り出した。小夜もその男の顔を見知っているのか、黙って言葉を聞いている。
「この国を根本から作り替える戦をするために今年の末に上洛せよ。上洛の戦においては新田義貞、義興、北条時行らの軍勢と呼応し、第一に光厳院と豊仁親王を戦場で誅する事を目標とせよ。その後は、陸奥守の思うように振る舞うが良い。そしてもしそれが無理であるなら、陸奥の地でこの国のあるべき姿を模索する事を続けよ。以上でございます」
「先の帝と皇子を討てと言うか」
「左様でございます」
「戦場で先の帝とその皇子を討たせると同時に、足利方の武士に戦場で主上ご自身を討たせる。それによって戦で帝を殺す事の出来る世をもたらす事が主上の狙いではないか?」
小夜がそう訊ねた時、空気にひびが入ったような気がした。
「それは、お答えいたしかねます」
わずかに間を開けて男は答えた。
「今の命が主上の勅命であると言うのなら、何故公に綸旨と言う形でこの顕家に賜られぬのか」
小夜が強い表情で男を見詰めながら言った。
「主上はご自身の理想がそれほど多くの者に理解されるとはお考えではありませぬ。真意は陸奥守様を始めとしたごく一握りの方達だけに分かれば良いと」
「この顕家が従うのは古来より連綿とこの国に続く朝廷と帝と言う権威である。いかに主上とは言え、その取り決めを無視して下された命に従う事は出来ぬ」
「帝の命に従うのではなく、この国を真に憂う同志として陸奥守様に手を貸して頂きたい。主上はそうお考えです」
「私は主上の臣下にはなれても同志にはなれぬ」
「そのお言葉の通り主上にお伝えしても構いませぬか」
「構わぬ」
「残念でございます」
小夜と語る男の表情は微動だにしなかった。その表情のまま懐に手を入れ、短刀を取り出すとぶつかるように小夜に向かって来る。
流れるような動きだったが、予想の中にあった動きでもあった。鬼丸国綱を抜き、一歩前に踏み出す。勇人がその動作を終えたと同時に、背後で男が倒れる。
小夜が小さくうめき声を漏らす。
「知り合い、だったかい?」
振り向きながら尋ねた。
「昔から、主上の側に仕えていた廷臣の一人だよ。護衛も兼ねていた」
「最初から君を殺す気だったのかな」
「主上の使者として来たと言うのは、嘘じゃなかったと思う。私が話に応じなかった場合は、殺すしかないって主上に関係無い所で決まっていたんだと思う。敢えて一人で使者として来たのは、主上と私に対する義理立てかな」
そう答える小夜の表情は硬い物だった。
「主上からの使者と言うだけでなく、五辻宮からの最後通告って事かな、これが」
気付けば、小屋の屋根の上に別の気配がいた。左近だった。
「陸奥守様、村の外で五辻宮の配下が動き出しています。恐らく、その使者が戻らない事が仕掛ける合図になっているかと思われます」
村の周辺から近付く気配には、勇人も先程から気付いてはいた。小夜が使者と会話している間に、少しずつ強くなっていたのだ。
「この村での私の身の事は、全部勇人と左近に任せてるよ。私を生き延びさせるために、二人の思うようにしてくれたらいい。ただ、なるべく村の人間は戦いに巻き込まないでほしい」
「はっ」
左近が短く頷くと、勇人の隣に降りて来た。
「敵の数は?」
「恐らく四十人を少し超えるぐらい、って所だ」
「ほぼこっちが事前に掴んでる通りの数だな」
五辻宮配下の組織は大きいが、純粋な忍びの技に長けた者がそれほどいる訳では無いようだと言うのは分かり掛けていた。それよりも人間の集団に浸透して影響力を与えていくための教養や立ち回りに長けた者が大きな役割を果たしている。
集団での暗闘に長けた者達は別におり、今の所その中で国府の勢力圏内に入って来た者達の数は把握できている。左近達忍びの働きと、白河関から陸奥に入って来る者を監視している宗広の尽力の結果だった。
「ただ、一人だけ明らかに放ってる気が違う男がいる。持っているのも仕込み杖じゃなくて、多分業物の太刀だ」
「強いのか?」
「遠目に見てちあめが緊張する程度には。陸奥に入っている五辻宮配下達の頭だと思う」
「味方は?」
「取り敢えずここにいるのはちあめと俺の配下が五人。向こうが動き出したと同時に一人走らせたから、待機している連中も向かっている」
村から少し離れた場所に作った仮小屋に、交代で五十人ほどの兵を詰めさせていた。
それが来れば数の上では互角以上になる。陸奥に入った五辻宮配下の武闘派を殲滅するのも難しくは無いだろう。小夜が狙われているようで、同時に小夜を囮にして敵を罠に掛けている構えでもあった。
ただ、恐らく相手もそれは分かって来ていて仕掛けている。小夜一人を殺せれば、それで向こうは勝ちになるのだ。
「こっちも村から出て動こう。敵の包囲を破って、味方と合流する」
耐えるだけなら、普通に考えれば村の住人を盾にする方がずっと有利だった。左近もそれは分かっているだろうが、異論を挟もうとはしない。逆にこちらが動く事で、相手の意表を突く事も出来るかもしれない。
危険があるのは、この村で小夜が暮らすと決まった時から分かり切っている事だった。それに対して備える事もした。後は戦と同じだ。
「憶えてるか、勇人。この小屋」
左近がふと小屋を見上げて言った。
「忘れるもんか」
二度目に左近と顔を合わせたのが、この場所だった。小夜を狙っている忍び達の動きを探るために、囮になって欲しい、と頼まれた。それと、その後で楓に声を掛けられたのが、自分が小夜に仕える事にしたきっかけだった。
そしてそのまま、忍び達に狙われる小夜を守ろうと無我夢中で飛び込んだのだ。
「あの頃はただ囮に丁度いい人間だ、と思って声を掛けただけの相手だったのにな」
「感謝してるよ。あの時君と会った事をきっかけに、僕の生き方は変わった。何もかも」
「止せよ。まだ互いに自分の人生を振り返るには早いさ」
左近が苦笑しながら言った。
確かのその通りだ、と勇人は思った。自分はまだ、生き方を変えただけで、それで本当に何かを成し遂げられた、と思うような事は何もない。
「敵はざっと四十人。あの時と比べれば数は少し少ないが斬り合いになれば質は多分上だ。そして今度は和政殿と師行殿はいないぞ。ちあめはいるが」
そう言う左近の口調は、真剣ではあってもどこか深刻な色が欠けていた。
「問題ないよ」
「今の自分はあの時とは違う、か?」
「僕だけじゃない。左近、君もあの時とは違う」
「俺の方は、あの時と大して変わってないさ」
そうかもしれない。だが、その大して、の残りの部分がぎりぎりの死線では大きな差になる。
そう思ったが勇人はそれ以上は言わなかった。後は左近が実戦の中で自分が積み上げた物を示せばいい。
小夜が身支度を整えた所で、五郎が顔を見せた。一瞬の斬り合いの気配を感じたのかもしれない。
「五郎」
おどおどした様子で何か言い掛けた五郎に対し、勇人は名を呼んだだけで後は頭を軽く撫で、それから持っていた小刀を差し出す。
それを見て五郎はうつむき、無言で泣き出した。
「もし僕がここに生きて戻って来て、そしてその時お前が武士になりたいと思ったら、その時はまた、な。それまでは長の言う事を良く聞いて、さくらと仲良くしてろよ」
五郎は頷き、小刀を受け取る。長にもすでに何か言い含められているのかもしれない。
いいのか?と言う様子で左近が目を向けて来た。勇人は頷く。これ以上自分に関われば、この先はいつ死んでもおかしくない戦いに巻き込まざるを得なくなるだろう。
小刀を受け取った後、しがみついて来た五郎をゆっくり引き離すと、もう一度頭を撫でた。
「さあ、危ないからもう家に戻れ。今夜は絶対に外に出るなよ」
勇人がそう言うと五郎は小刀を握りしめ、涙を拭うと走って家へと戻っていく。
「行こう、小夜」
小夜を促し、駆け出した。小夜も頷き、付いてくる。
残った死体の始末は、村長が付けてくれるだろう。
左近はいつのまにか闇の中に姿を消していた。
闇の中に、刺して来るような気配が広がっていた。獰猛な獣のような気配。一人一人が腕が立つだけでなく、集団が一つの意思に従って動いている。
手強い相手だった。ただ、突然動き出したこちらに対する戸惑いが、わずかな乱れの気配になって伝わっても来る。
突然気配が形を持った。敵。錫杖を構え、傘を被った僧形が四人。五辻宮配下では、これが特別に手強いのだ。
二人一組。四人が一斉に錫杖から仕込み刀を抜き放つ。二人で同時に斬りかかり、一人が相手の武器を受け、もう一人が斬り込んでくる、と言う構えなのが見て取れた。残りの二人は小夜に斬りかかる。小夜も剣を抜いた。
太刀を抜く事無く、一人の斬撃を鞘で受けた。そのまま片手で太刀を抜き、鞘で受けたままもう一人を斬り倒す。
小夜に斬りかかった内、片方は小夜が斬撃を受けた所で左近に横合いから倒され、そしてもう一人は飛び込んで来た小さな影と交差してそのまま倒れていた。
ちあめだった。それを横目で見ながら、残る一人に突きを放つ。
それでまず、四人だった。
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