7-15 斯波家長(2)

 陸奥守の軍勢が引き揚げ、動揺していた関東はそれで急速に収まりつつあった。

 陸奥守の転戦に同心した武士達は全体としては少数で、その武士達も陸奥守が引き上げると同時に動きは下火になったが、その分孤塁を守り抜く気概を持っている者が多かった。

 全てを力攻めすればこちらの犠牲も無視出来ない物になるのが分かっていたので、家長も無理な討伐は命じず、じっくりと懐柔に掛かっていた。昨今の帝の不可解な行動は、陸奥守の下にいる宮方の武士達も動揺させているのだ。

 時間さえ掛ければ、敢えてこれ以上無理な戦を重ねなくても関東の武士達は制圧できるはずだった。もっとも、それも陸奥守が関東に入ってこなければ、ではあるが。

 陸奥守にしたたかに打ち破られた上杉憲顕は、それで大人しくなる訳でも無く、家長の弱腰が陸奥守の攻勢を許しているのだ、と関東の武士達の間で吹聴しながら再びの陸奥攻めを画策している。

 愚かな、と思う一方で、憲顕とそれに同調する武士達の気持ちも家長は分からないではなかった。

 北陸に向かった新田義貞は劣勢であり、九州の宮方勢力も抑え込まれつつある。鎌倉には新たに総大将として尊氏の嫡子である義詮も入り、後はそれを旗頭にして関東の武士を糾合し陸奥守を討てばそれで天下の形勢はほぼ定まる。

 表に見えている物だけを見れば今は確かにそんな状況だった。残る足利が力を向ける先は大きな所では陸奥しか残っていない。

 積極的に陸奥を攻めようとせず、ひたすら睨み合いに徹しようとしている自分に不満を抱いている武士達が多いのは確かだろう。戦では慎重な者よりも、憲顕のような果敢で楽観的な意見を唱える者の方が大勢には受けがいい。

 それで攻勢を掛けて失敗しても、そんな武士達の頭の中では攻勢を掛けた事がそもそも間違っていたのではなく、消極的な家長が後ろから足を引っ張ったせいで失敗した事になる。

 人間の集団とはいつもそんな物ではあった。上杉憲顕一人が愚かな訳ではない。家長自身も今積極的に陸奥を攻めるのは無益でしかない、と言う事は分かっていても、それなら何が正しいのか、と言われればはっきりとした答えが出せる訳では無いのだ。


「兄上、上杉憲顕殿が今度は霊山城攻めを画策しておられるようですが」


 兼頼が居室に入って来た。兼頼は去年元服したばかりの家長の二歳年下の従弟であるが、昔から家長の事を兄上と呼んでくる。

 鎌倉に入って以来、主に身内の武士達の事で家長の事を補佐しようと懸命に働いていたが、まだまだ甘い所が多かった。独自に得て耳に入れてくる情報も、こんな風に家長がすでに得ている物である事がほとんどだ。

 ただそれでも家長に取っては全幅の信用が置ける数少ない相手ではある。


「今は好きにやらせておけ。無益とは思うがどのみち一度は霊山を攻めねば収まりは付くまい」


 前回の多賀城攻めは実として得られた物は何も無かったとはいえ、それでも形としては勝ちではあった。だから次も上手く行く、と思っている者はいる。

 霊山城は陸奥守が意図的に捨てた多賀城とは違い、半端な兵数で攻めても落ちる事は無い。家長が口でそう言っても納得する者は少ないだろう。ただ実際に攻めて失敗すれば家長の言っていた事の方が正しかった、と分かる者には分かる。

 そんな風にして陸奥を今こちらから攻める事の無意味さを多くの者が理解するようになれば、関東を一致団結させて陸奥守の再上洛に備える態勢がより強固に出来る。


「しかしそれで大敗すると言う事もあり得るのでは?」


「恐らく陸奥守は陸奥の中で激しい戦をする事は望むまい。それにもし憲顕殿が霊山を攻めると言うなら次は伊賀盛光を付けるつもりだ」


 伊賀盛光なら、戦場で陸奥守の意図をある程度読み、上手く立ち回るだろう。


「なるほど」


 どこまで家長の考えを理解したのかは分からないが、兼頼は納得したように頷いた。

 兼頼が退室すると、入れ替わるように白銀が入って来た。


「やはり北条時家殿は北条時行殿の下に移ったようですね」


「そうか。また面倒な事になったな」


 北条時家とは陸奥守の前回の征西の頃から何度か戦場で戦う機会があった。少数の徒を実に見事に使い、戦場で絶妙な働きを見せる。旗は上げていないが、それでも戦場で見ればそれと分かるように家長はなっていた。

 前回の戦でも、北条時家がいなければもう少し戦果を挙げられただろう。

 騎馬隊と違い徒の動きで戦況を決するには、先の先まで読む鋭さだけでなく、読み切れない部分に備える柔軟さがいる。数万の兵を指揮したり、あるいはその補佐をするようになれば、その北条時家の能力がどう出てくるのは予想が付かなかった。

 北条泰家の庶子であると言う。その男が何故わずか数百の兵を引き連れて奥州軍に加わる事になったのか、その経緯までは分からない。


「普通に考えれば厄介払い、とも思えますけれど」


「今までのあの男の働きを見ればそれはないだろうな。北条時行の元に集まる北条の残党を奥州軍に取り込むための下準備と言った所か、あるいは」


「北条残党を取り込もうとしている朝廷に対する奥州軍からの対抗策、ですか」


「相手の内情が探り切れない限りはっきりとした事は言えないが、そちらの方がありそうな事だと思ってはいる、私は」


 あの陸奥守が自分から北条時行とその下に集まる北条残党を配下として取り込もうとするとは考えにくかった。

 京で帝はあっさりと尊氏との和議を反故にし、吉野に脱出するとそこで朝廷を開いていた。無論、先に懐良親王に禅譲を行った事は無かった事かのように振る舞っている。

 徹底して自分の手で朝廷と帝の権威を貶めているようにしか見えないが、直義からの書状にあった帝の本当の目的を通してその行動を見れば、確かにそこには一貫した方針のような物が見える。

 帝を何人も作り、朝廷をいくつも作る。そして一つ一つの朝廷が持つ意味を薄めていく。

 そして天下その物をいくつにも割り、最後は朝廷と言う物を無意味にして行く。

 そこまでは見えていた。だがそれだけでこの国から全ての土地と血のしがらみを無くせるとも思えない。

 帝は、恐らく何かさらに決め手になるような事を企んでいる。今関東全域で暗躍している五辻宮配下の動きもそのためだろう。

 その企みの中で陸奥守の上洛はどのような役割を演じる事になっているのか。そして陸奥守は帝の企みに乗るのか、抗うのか。

 足利はもう戦でどれだけ勝利を上げようともそれだけではこの戦乱を終わらせる事は出来ない。唯一勝ちの道があるとすれば、帝が自分の目的を諦めるか、あるいは意思を継ぐ者を残さないまま崩御する事だけだろう。

 つまり今のこの膠着状態こそが帝に対する最良の対抗手段なのではないか。

 家長は帝の理想が本当に正しいかどうか、と言う事に関しては考えていなかった。

 ただ、戦は国を治めるために行うための物で、例えその先にどんな遠大な目標があるとしても戦乱のための戦乱などは絶対に許容できなかった。

 それはきっと陸奥守も同じのはずだった。公家と武家、どちらが政を行うか、などと言う話ではない。


「陸奥守がこれ以上動かなければ、関東と陸奥は平穏な状態が続く。それは日本の半分が静かに収まっていると言う事になるな」


「それが望ましい、と家長様も思われるようになりましたか」


 白銀が少し意地悪く笑いながら言った。


「少なくとも帝の企みが潰えるまでは、陸奥守と戦うべきではない。そう思っているのは確かだな。その後の事はまた別だが」


 敵に期待し過ぎるのは危険な事ではあるが、それでも陸奥守は自分と同じように考えるのではないか、と言う予感はあった。


「陸奥を陸奥守様が支配され、関東を家長様が支配される。後はお二人が政の力でゆっくり天下を統一される。いっそそうなれば良いのですけどね」


「それこそ夢物語だ。最後は見ている国の形が違う」


「政の形を競ってらっしゃるのですけどね、家長様と陸奥守様は」


 自分と陸奥守、どちらが理想としている政の形が正しいのか。それを戦ではなく内政で競えるのか。民が最後はどちらを選ぶかでそれを決める事が出来るのか。

 陸奥守が相手であるなら、それは不可能ではない、と言う気も確かにした。だが同時に、やはり夢物語だ、と言う思いもある。


「夢か」


 そう口に出して呟いていた。

 自分がこの戦乱の世で一人の武士として立つ事を始めた時、思い描いていた夢は本当は何だったのか。


「何か?」


 家長の言葉の意味が掴めなかったのか、白銀が首を傾げた。


「いや、何でもない。それよりも今宵は空けられるか?白銀」


「さほど暇もしていませんが家長様のお召しとあらば」


「酒の相手をしてくれ。もう少し白銀と語りながら考えをまとめたい」


「いい加減に夜伽を命じる踏ん切りを付けて下さるか、あるいはいっそ私以外の女を側に置かれる事をして下さいませんか。もう家長様も童ではないのですから」


 白銀が呆れたように言った。こんな事を面と向かって言ってくるような関係ではあったが、結局未だに家長は白銀に手を付けてはいない。


「もう少し待て、もう少し」


 少したじろぎながら家長は答えた。

 厄介な問題を抱えたまま、それから逃れるためのような形で白銀と関係を持ちたくはない。その拘りは変わっていなかった。

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