建速勇人、己の生きる道を探し始め、師と巡り合う

2-1 北畠小夜

 多賀国府が少しずつ騒然とし始めている。

 京で大塔宮護良親王が尊氏殺害と帝位簒奪を企み、結城親光、名和長年の二人によって捕えられた、と言う報せが入って来ていた。

 宮廷での政治闘争の結果追い詰められたのだろう、と小夜は思った。

 大塔宮の正室である立花姫は親房の娘でつまり小夜の姉だ。表向きは父や自分との繋がりが強く、 自分が陸奥守に任じられて奥州に派遣される事になったのも、元々は主上への大塔宮の進言があったからだった。

 息子である親光がその大塔宮を捕える事になった事に付いて、宗広は申し訳の無いような反応を見せていた。

 大塔宮とは、決して組もうとするな、とかつて大塔宮が征夷大将軍に任じられる直前、親房にはきつく言われた。

 一度出家してからの親房が公卿としての小夜の振る舞いにはっきり口を出すのはほとんど無い事で、その言葉の重さに小夜は理由も聞けず、ただ頷くしかなかった。

 大塔宮は皇子でありながら武将として卓越した物を持っている人物だった。

 大塔宮が軍を率い、親房が政治を行い、その上に後醍醐帝が立つ。それが今望み得る親政の形としては最上の物のはずだった。しかし何故か、倒幕の直後から大塔宮と後醍醐帝は対立し始めた。

 いや、直接の対立の原因は分かっている。大塔宮は軍を率いるだけでなく、武士にかわって武門の棟梁になろうとし、征夷大将軍の地位を望んだ。それは第二の幕府を作って帝から軍権を独立させる事で、親政を望む帝の考えと真っ向から反する事だったと言っていい。その先には自分に代わって帝にならんとする大塔宮の野心がある、と後醍醐帝が考えたとしても無理はない事だった。

 小夜にどうしても分からないのは、大塔宮が武門の棟梁を望んだ理由だった。いくら政治の乱れがあったとは言え、大塔宮と後醍醐帝の対立がなければ、足利尊氏がここまで力を伸ばす事は無かっただろう。今、武士が再び朝廷とは関係の無い所でまとまり始めている原因の一つは倒幕後の大塔宮の振る舞いにあったと言ってもいい。単純に武士の中で声望を集めていた尊氏に対抗するためだったとしても、あまりに軽率だった。

 小夜にとっては幼い頃から最も身近にいた貴族の一人で、自分が本当は女であると言う事を知っている数少ない人間の一人でもある。その人柄も良く分かっているつもりだった。

 激しい気性だが、同時に人間離れしているほどに世俗の欲や野心と言った物とは無縁の人だった。父である後醍醐帝の理想とする事を成し遂げる事だけが己の生き様だと思い定めていると思えるほどに純粋に見えた人だった。

 どこかで、それが変わってしまったのか。本当に、野心に目覚め、自身の父である後醍醐帝の地位を脅かす事まで考えてしまったのか。親房には、大塔宮がそんな風に変わって行く事が見えていたのか。

 仮にそうだとしても、身近に控えてそれを諌め、目を醒まさせる事が自分の役目では無かったのか。あるいは後醍醐帝との争いになった時、大塔宮の側に付いて共に政を正す事までも考えべきではなかったのか。

 政略、と言う物にはまるで縁が無い人で、身近でそれを補佐する人間もいなかった。親房と自分が距離を置いた時点で、いずれ没落するのは決定付けられていたと言ってもいい。

 自分は家族を見捨てたのだ、と言う思いが心の奥底にある事に気が付き、小夜はいたたまれない気持ちになった。もし今のような道を歩んでいなければ、姉の代わりに自分が大塔宮に輿入れしていたかも知れない。それほどに身近な人間だった。

 大塔宮は裁きに掛けられ、主だった側近は処断されると、本人は尊氏の手で鎌倉に幽閉される事になった様だった。これは本来は武士同士の私闘を裁く際の作法のような物で、実質、大塔宮の生殺与奪剣を足利に委ねたような物だ。

 恐らく、このままでは大塔宮が生きてそこから自由になる事は無いだろう。

 いても立ってもいられなくなり小夜は親房の元に向かった。親房は六の宮の書見を見ている最中だった。六の宮が小夜の顔を見て喜色を見せる。陸奥に赴任してからは忙しく、ほとんと親房に任せきりだったが、それでも懐かれているようだった。

 六の宮にはまだ大塔宮が捕えられたと言う話はしていない。親房は小夜の顔を見て何かを察したようで六の宮をそこに残し、部屋を変えた。


「大塔宮の事か」


「聞かせて。お父さんには、大塔宮の何が見えてたの?」


 小夜の言葉に親房は首を横に振った。


「わしにも本当の所は何が分かっていた訳でも無い。ただわしは、倒幕の戦の前から出家して、ずっと外側から物事を見ておった。その中で大塔宮に何か危険な事を感じた。それが本当は何だったのか、はっきりとは未だに見えん」


「曖昧でもいいから、教えて」


「憶測で語ってはいかん事なのだ」


「憶測で私に大塔宮を見捨てるように言ったの?お父さんにだって、いずれこうなるのは見えてたでしょう?」


 小夜は詰め寄った。親房が諦めたように息を吐く。


「わし自身本当に何故そう思ってしまったのか分からん。だが、倒幕直後からの大塔宮の動きを見ていて思ったのだ。大塔宮が本当に倒すべき敵と心の中で思い定めているのは、主上ではないかと」


「大塔宮が本気で帝位の簒奪を考えてらしたって言うの?」


「違う。それならば分かりやすい野心だ。もし単純にそうであったのならばわしは身命を賭してでもあの方を諌めただろう。いや、お前以外の前では口に出せる事ではないが、あるいはそれがこの国のためになると思ったのならば大塔宮と組んで主上に退位頂く事を画策したかも知れん」


 親房はかなり思い切った事を話していた。政を執り行う者としての父が単純な忠誠や勤皇の志と言った物とは別の考えを抱いている事を当然小夜は知っていたが、それをはっきり口に出すのは珍しい事だった。

 それから親房は一度言葉を切り、続けた。


「わしには単純に、大塔宮が主上を討とうと目論んでいられるようにしか見えなかったのだ」


「まさか。実の父で、今の帝であられる方を、どんな理由があって」


「分からぬ。だから言ったであろう、わしがそう思っただけの憶測だと。ただ、結局倒幕が成ってから今までの大塔宮のなされようを見れば、その憶測が正しかったような気がするのだ」


 小夜は黙り込んだ。大塔宮が征夷大将軍の地位を欲し、武門の棟梁とならんとしたのは、尊氏に対抗するためでも、野心のためでも無く、ただ後醍醐帝を討つための力を持つためだったと言うのか。本当に、そんな事があり得るのか。


「どこかで、大塔宮は狂われたように見えた。あるいは、狂われるだけの理由があったのかも知れん。それ以上はわしにも何も言えん」


「忍びを使って機を見て大塔宮を救出する。止めないよね」


「それはもう止めはせんよ」


 大塔宮を救い出し、匿う。大塔宮が何を胸中に秘めていようとも、陸奥でなら正面から真意を問い、力を貸すか、あるいは表舞台から引いてもらうか小夜が決める事が出来る。


「しかし、いよいよ戦の形が見えて来たな、小夜」


 親房が話を変えた。小夜は頷く。

 師行の奮戦と、小夜自身が出向いて叛乱を叩いた甲斐があって、今の奥羽は比較的静かになっていた。親房は、関東、そして京を見ている。

 大塔宮が失脚した今、一つきっかけがあれば次は尊氏が征夷大将軍の地位を求め、幕府を開こうとするのは目に見えていた。帝は、決してそれを認めないだろう。そこで必ず戦が起きる。


「勝てるか、戦で。足利に」


「西上しても、気が付いたら奥州軍だけが宮方として戦ってる、なんて事になりかねない事を考えると、勝てるって軽々しくは言えないね」


 京には新田義貞がいて、奥州には自分がいる。尊氏が軍を興すとしたら間違いなく関東から兵を集め、最後は必ず京を向く。だから自分が西上すれば挟撃する形になる。あくまで形の上では、だ。


「やはり兵が集まらんか、京は」


「武士は尊氏さんに靡くよ。例え、義貞さんが錦旗を掲げてもね」


 朝令暮改を繰り返し、不公正な恩賞と領地没収の沙汰を濫発し、そして各地に重税を課している今の朝廷は、嘆きたくなるほどに人心を失っている。反面、その朝廷に不満を持つ武士達の人望を一身に集めているのが足利尊氏だった。

 公正な恩賞の沙汰と言うのは、単純な損得の問題だけではなかった。戦で死を恐れず勇敢に戦った事、主君のために忠誠を尽くそうとした事の証と言ってもいい。武士が武士であると言う誇り、生き方の根幹をなすものだ、と小夜は思っていた。

 武士には公家とは別の血脈に対する伝統と崇敬がある。恩賞と清和源氏の血筋。その二つが合わさって初めて武士との棟梁としての信望を集める事が出来る。楠木正成や名和長年と言った武将がいくら帝の信任厚く、朝廷から役職を与えられ、倒幕の戦での実績があっても、生まれが定かでない下級武士である以上、集められる兵の数は限られていた。


「奥州の武士はどうなのだ?」


「さあ、何人かは最後まで付いて来てくれるとは思ってるけど、事が起きれば足利に靡く人が多いんじゃないかな」


 結城宗広、南部師行、それに伊達行朝と伊賀盛光。白河以北の有力な豪族の中で、自分が生きている限りは奥州軍として戦ってくれると信じられるのは今の所それぐらいだった。

 自分もまた、武士ではない。そして自分が出す恩賞や本領安堵の沙汰も、結局は朝廷の意を超える事は出来ない。


「足元も固まらんか。難儀な事だな」


「足元は固まるよ、その内ね」


 小夜の言葉に親房は少しだけ考えて口を開いた。


「なるほど、いずれ斯波家長が奥州に入ってくる。その時、足利に付きたい者は一斉にそちらに靡き、白河以北が分かりやすく二分されると言う訳か。だが、その状況で西上出来るのか?」


「それは家長君の力量がはっきり分からない限りは何とも。ただ、私は陸奥に入った時からずっと色々な状況での西上を想定して、それに備えた準備はしてた。今の状況はその想定の中ではあるよ。だいぶ悪い方でもあるけどさ」


「勝ちの目は見込んでいる、と」


「あくまで私の中では、だけどね」


「しかしそうして西上し、仮に首尾よく尊氏を討てたとしても、次は新田義貞が尊氏に代わって征夷大将軍にならんと欲するだけではないのか。いや、新田が起たなくても、政が今のようである限り、第二第三の尊氏は必ず武士の中から現れよう」


「仮に尊氏さんの次に義貞さんが自ら幕府を開く野心を見せたら私はそれも討つよ。もし他から第二第三の足利尊氏が出て来ても、それも討つ」


 足利尊氏と比べ、新田義貞に武士の心を掴もうとする動きが乏しく、そのために尊氏一人が大きく膨れ上がっているのは確かだ。それは義貞の器量が尊氏に劣っていると言う事かも知れない。だが、武士の信望を集めようとせず、ただ朝廷に愚直にしたがっているだけの義貞は、尊氏と違い武士としての分を弁えているとも言えた。

 朝廷の臣としては本来あるべき姿に近い側の方が信望が無い、と言う現実が、今の政の愚かさを如実に表していた。

 武士の信望を集めなければ、義貞はどうあっても尊氏に勝てない。だが、今の朝廷に従順に従っていては武士の信望を集める事は出来ない。仮に義貞が尊氏をしのぐ事が出来たとしても、その後いつまでも義貞が朝廷の臣としての立場に留まり続ける、と言うのはあまりに甘い考えだった。

そしてもし義貞が朝廷の臣としての分を超えて武士達の不満の受け皿となる事を選ばなかったとしても、武士達は別の棟梁を探しはじめるだろう。親房はそのどうしようもない現実を見通している。


「その後は?」


「私がそこまでやってもまだ政が改まらないで、他に政を委ねられる人も現れないなら、仕方ないからもう私が関白か太政大臣になるよ」


「やれやれ、とうとう我が家から天下人が出るまでの話になったか。しかも仕方ないから、とは関白や太政大臣の地位が泣いておるな」


「冗談や笑い事じゃないんだよ。お父さんが出家なんてせずにもうちょっと政を見てたり、宮廷の中で人を育ててくれたりしてたら、私がそこまで考えなきゃ行けない事もなかったんだから」


「それはすまん」


 自分が天下人になる以外に戦の終わらせ方が描けない、と言うのは、確かに笑い出したくなるような話だった。

「どうあっても尊氏に天下を取らせる、と言う道は選べんか」


「それだけはどうしても、ね。本当はそれが出来れば一番良かったのかも知れないけど。あの人に天下を任せれば、間違いなく鎌倉幕府とそんなに変わらない物が出来る。そして多分、同じように世は乱れる」


 この国のためにはどんな政の形が望ましいか、と言う事は幼い頃から数えきれないほどに親房と二人で語った。親房の言う通りだと思う事もあれば、そうではないと思う事もあった。そして今の幕府と言う仕組みは相応しくない、と言う所だけは間違いなく一致していた。

 個々の武士が棟梁に忠誠を誓う一方で、各地で所領を独立して支配し、そこで力を蓄えると言う仕組みは、どうしても世を乱す原因になる。

 武士は元々、まだこの国が朝廷によって一つによって治められる前、蝦夷と呼ばれた北の豪族達と戦うために遠征した先の土地に依って戦った者達が始まりであったのだと言う。

まだどこまでがこの国かも定まっていなかったような時代に、中央から遠く離れた地で兵馬を養い、国を一つにするために戦うにはその仕組みは合理的であったのかも知れない。だが今の時代、この国が安定し豊かになるためには、もっと集権的な別の軍の制度がいる。


「恩賞の不公正を正そうとしてる尊氏さんは確かに正しいし、大義があると思うよ。けれど、それは武士にとっての大義でしかない。私にはあの人がこの国全体を考えてるとはどうしても思えない」


「だから代わりに自分が、か?」


「それをやらなきゃ行けない身分に生まれちゃって、それが出来る気がするんだもん。仕方ないよ」


 他人には出来ない、自分には出来る。そう考える自分は傲慢なのだろうか、と時折思う事もある。だが、小夜はどこまでも公卿の家に生まれた者として自分の責任を果たそうとしているだけなのだ。それが分不相応な事だとしたら、勇人が言った通り、野に屍を晒す結果になるだけだろう。

 親房が一つため息を吐いた。自分と共に赴任して以来、寒い奥州の地で政務と六の宮の教育に掛かりきりである。老け込むにはまだ早い歳だが、自分のせいで色々な気苦労も掛けているだろう。

 磊落で気ままで快活な人物である、と周囲には思われている。けれど実際にはどこか心の深い所で親房は世俗に倦んでいる。

 親房の廷臣としての生命は、本当は世良親王の教育に全てが掛けられていたはずだった。

 後醍醐帝の皇子達の中でも賢才と言われ、最も将来を嘱望されていた皇子の事を、小夜は思い出した。

 世良親王は小夜より十年ほど早く生まれ、親房の元で歳の離れた兄妹の様に過ごして来たが、二人に対して親房が教えた事は全く異なっていた。小夜に対しては時に淡泊な所があり、特に政の思想に関してはどこか俯瞰的で一線を引いて教えている所があったが、世良親王に対しては親房は自分の理想、いや、その人としての有り様の全てを注いで、帝たる人物して形作ろうとしていたように見えた。

 恐らく小夜が持っている物とは全く違う、この国の頂点に立つべき人間としての資質を、親房は世良親王に見出していたのだろう。父は自分よりも世良親王の方を愛しているのだろうか、と小夜が思った事も、一度や二度ではなかった。

それほどに、親房は世良親王を育て上げる事に入れ込み、熱中していた。

 今思えば、世良親王を育て上げ、帝にし、共に政を行ってこの国を変える、と言う事が親房が生涯で持った唯一の夢であり、野望であったのかも知れない。

 もし世良親王が生きていれば、親房も宮廷の中で力を持ち続け、世良親王を帝に押し上げ、新しい帝による親政を実現するためにありとあらゆる手立てを尽くしただろう。倒幕の戦も建武の親政も世良親王と親房が最初から中心人物として加わっていれば、、今とはまるで違った物になったはずだ。

 そして自分も、その二人を支える事に何の迷いもなく全身全霊を注いだだろう。

 けれど、世良親王はわずか二十三歳であっけなく病で死んだ。

 親房は、世良親王が急逝した時に、廷臣としての自分も死んだ、と言う思いで、それだけの覚悟を込めて出家したはずだった。小夜が公卿として世に出る事を望み、陸奥守として赴任する事が無ければ、きっと還俗する事もしなかった。

 本当は、小夜が戦に出る事など望んでいないのだろう。

 親不孝な娘だ、と言う思いはある。けれど、一度は出家した父が、自分を支えるためにもう一度表舞台に出て来てくれた事は素直に嬉しかった。


「そう言えば今日は夕餉は宮と一緒に食べていい?」


「構わんぞ」


 最近は食事の時にはそれにかこつけて勇人と過ごして話を聞く事が多かった。久々に親房と六の宮との三人で時間を過ごそう、と小夜は思った。

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