1-6 左近

 左近は、じっと草の中に伏せていた。

 昼間は、物売りに化けて城下の村を歩き回っていた。そして夜になれば昼間、気になった場所の近くにこうして潜み、一晩見張っている。それをずっと繰り返していた。

 今は、小さな水車小屋を見張っている。

 昼間、一人の男がこの水車小屋に入る所を見た。男はすぐに出て来たが、その時の動作がほんの少しだけ何か引っかかった。ただそれだけの事で、左近はその水車小屋を見張る事に決めた。

 そんな事をしていても、無駄な事の方がずっと多い。十繰り返しても、大抵は何も無い。二十繰り返してようやく何かが見付かるが、それでも大きく役に立ったり、物事が動くような事はあまりない。

 それでも、気に掛かった物を粘り強く見張る以外に、今は左近に出来る事は無かった。

 京に向かう自分の代わりに、ちあめと共に陸奥守の警護の指揮を引き継いでくれ、と影太郎に命じられて四日経つ。

 左近は、それからずっと多賀国府周辺の忍びの動きを追っていた。

 元々、影太郎の下で陸奥守の警護をしていたが、そこから影太郎と直属の部下が抜け、左近と左近の部下達だけで護衛をする事になった、と言う形だった。人数は半分になっている。

 頭目である影太郎の元で、鷹丸、楓、そして自分がそれぞれ五人から十人程度の部下を率いて動く事が多い。ちあめは部下を率いる事は無いが、下にいる者達とは別の扱いで、いつも自分と共に行動していた。

 自分には何の取り柄も無い、と左近はいつも思っている。何故忍び達の中で鷹丸や楓に次ぐ仕事を任せられているのか分からなかった。出来る事と言えば、せいぜい、誰にも分からないちあめの気持ちが少し分かるだけの事だ。

 今もこうして、誰にでも出来るような事を、一晩中やっているだけだ。

 今の所、奥州には足利直義が使っている忍びが少数入っているだけだ。足利の忍びとの暗闘は陸奥守が奥州に入る前から始まっていて、ずっと陸奥守に影のように付きまとっていた。ただ、その身辺にまでは近付かせてはいない。

 足利兄弟と朝廷の対立が決定的になれば、奥州での足利の忍びの動きも本格化するだろう。出来ればそれまでに、今奥州に入っている忍び達は潰しておきたかった。いすれ大量の忍びが入ってくるのは避けられないにしても、その時、足がかりになる物があるかどうかで、だいぶ相手の動き易さは変わる。

 不意に背後に気配が立った。

 それは本当に不意にとしか言えないような現れ方で、左近は全く反応できず、声を上げないようにするのが精一杯だった。一呼吸から二呼吸おいて左近はゆっくりと振り向いた。背後に、ちあめが無言でしゃがみ込んでいた。


「脅かすなよ、ちあめ」


 左近自身は完全に気配を殺していたつもりだったが、ちあめにはたやすく見付けられ、背後を取られた。一瞬、様々な感情が起きたが、それはすぐに忘れた。自分とちあめの間には言葉で言い表せないほどの腕の差があり、それを思い知らされるのは、いつもの事だ。

 ちあめは答えなかった。左近も返答を期待していない。ちあめは喋れないのだ。それだけでなく表情や仕草も酷く乏しく、心の動きがほとんど無いように見える。

 最初に出会った時からそうだったので、本当の名前や正確な歳は左近も知らない。

 ちあめは左近と共に行動する事が多いが、それ以外の時は大抵、一人で動いている。誰に何かを命じられる訳でもなく、勝手気ままに動いているように見えるが、後から見てみれば、忍び同士の争いではいなくてはいけない場所、いて欲しい場所にいて、そして仲間を助けている。

 それは恐らく深い洞察力かあるいは本能のような物で、ちあめは自分が何をしなくては行けないか、余人には分からない所でいつも理解しているのだろう、と左近は思っていた。

 あの山の中で出会った奇妙な男の事も、何かちあめにしか分からない理由で咄嗟に敵ではない、と判断して戦いに巻き込まないようにしたのだろう。

 腕は、陸奥守配下の忍びの誰よりも立つ。いや、左近はちあめより上の忍びを知らなかった。ちあめに忍びの技を教えたのは左近だが、最初の一年で教える事は何も無くなり、後は引き放されるだけだった。

 ちあめが、黙って左近が見張っていた水車小屋を差した。

 一人、二人、と闇の中、気配を殺して人がその小屋の中に入って行く。全部で四人。

 当たりだ、と左近は思った。ちあめも気まぐれでここに来たのではなく、左近とは別の所で人の動きに気付いて、それを追って来たのだろう。

 少し、迷った。他の仲間を呼ぶべきか。あるいはこのまま四人の動きを見張り続けるべきだろうか。

 ちらっと横のちあめの表情を見て、左近は決めた。今からここに仲間を呼ぶとしても、すぐ呼べるのは二、三人だ。それにこれ以上四人の動きを追った所で意味はない。見張っていても、いずれは別れてしまう。今はとにかく相手の人数を減らすのが左近のやるべき事だった。


「三人倒せるか、ちあめ」


 左近の言葉に、ちあめは頷いた。

左近の言葉はちあめにはほとんど通じるが、それ以外の人間の言葉だと、通じにくい所がある。自分と他の人間の言葉にどんな差があるのかは、左近自身にも良く分からなかった。


「やろう」


 打ち合わせも何も無く、左近のその言葉を待っていたようにちあめは立ち上がると闇の中に進み出る。左近はそれに続いた。相手は小屋の中の四人。どう戦うか決めるのはちあめに任せ、左近は彼女の動きに合わせる事にした。

 ちあめは何の躊躇もなく、ごく自然な動作で小屋へと進むと正面からその中に入った。半ばそれを予想していた左近は一呼吸だけ遅らせてそれに続く。

 小屋の中には四人おり、最後に入った一人の背にちあめが続く形になった。ちあめはそのまま流れるように背後からその四人目を刀で刺し通した。

 闇の中、小柄なちあめの姿はその男の影に隠れて中からは捉えづらい。中の三人が何が起きたかを把握し、動くのは一瞬、遅れる。左近がそこまで考えた時、すでにちあめは刀を引き抜き、片手でそれを振るうと同時に、手裏剣も打っていた。

 左近は鎖分銅を投げた。小屋の最も奥にいた男が唖然とした表情のまま崩れ落ちる。

 それで、動く敵はいなくなった。ちあめ一人で四人目まで問題無く倒せただろう、と左近は思った。

 左近は倒れた四人に近付いて行って三人目にまで一人ずつとどめを刺して行った。

 ちあめが刀で斬った二人はすでに死んでいるような物だったが、それでも小刀で首を斬った。念のため、と言うよりも、最後に手を汚す事はなるべく自分でやりたかった。

下らない自己満足だ、と嗤いたくなるが、ちあめも左近のその気持ちは察していてくれているようで、左近が一緒にいる時は、よほどの事が無い限り一撃で相手の首を飛ばすような戦い方はしない。

何度やっても人を殺す瞬間の感覚には慣れず、好きにもなれなかった。

最後に残った一人は後ろ手で縛り、小屋の外に運び出した。ここにさらに忍びが集まって来ないとも限らない。

男を適当な木の幹に依りかからせて目を醒まさせた。ちあめはじっと横に佇んでいる。


「化け物か、その女は」


 男は開口一番にそう言った。知らない顔で、表情には諦めと呆れが滲み出ている。


「人の女を捕まえて化け物とはひどいな」


 左近は軽い冗談を返した。ちあめが背中を強く叩く。怒っているのだろうか。


「そりゃ悪かったな」


「何を狙って動いている?」


 男は黙って首を横に振った。左近も元より期待はしていなかった。拷問などしたくはないし、まだそこまでやって情報を集めなくてはならない情勢でも無い、と左近は思おうとした。


「何か言い残したい事はあるか?」


 代わりにそう尋ねた。


「良く見たら結構いい女じゃないか。大事にするんだな」


 少しだけ考えて男はそう言った。左近は握っていた小刀で男の胸を突き通した。


「四人、消した。ここは一旦引き揚げて相手の動きを見よう」


 横に立っていたちあめの方を振り向く。ちあめはどうしてだか左近と目を合せず逸らした。やはり機嫌を損ねてしまったようだ。

 直に、暗闘はさらに激しさを増すだろう。足利方の忍び達は、規模も質も、左近が今までの仕事で相手にした来た者達とは段違いだった。

 それとの本格的なぶつかり合いが始まった時、自分は生き延びられるのか、と左近は良く考える。決まってその思考が行き着く先は、何故命を掛けて忍びの仕事をしているか、と言う事で、左近はいつもそこまでで考える事をやめていた。それ以上考えると、自分の臆病さと向き合わねばならなくなるのだ。

 こう言う生き方をする事になってしまった。それは諦めるしかない事だ、と左近は忍びの仕事をする時はいつも自分に言い聞かせている。


「行こう」


 もう一度ちあめを促した。ちあめは、今度は素直に応じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る