1-4 北畠小夜

「またえらく強がったね、小夜」


 声だけが、闇の中で聞こえた。

 廊下を歩く足を止め、小夜はじっと声がして来た方を見詰めた。しかし声の主は小夜の背後から現れた。

楓と言う、小夜が使っている忍びの内の一人だった。自分とさほど歳の変わらない少女で、友人だと小夜は思っていたし、楓の方も身分を慮らない喋り方をする。


「強がった?」


「四年後に死ぬなんて言われたんだから、助かる方法を教えて、って尋ねるぐらいはすれば、ちょっとは可愛げがあったのに」


 くすくす笑いながら楓が言った。服装は普通の下女の物だ。


「聞いてたの?って言うか、いつからいたのよ、楓」


「今、小夜の周りの得体の知れない人間は、取り敢えず監視する事にはしてる。これは悪いけど小夜の意思とは関係無しに。監視の必要があるかどうかは、最後は影太郎が判断してるよ。私はせっかくこっちに来たからちょっと護衛役を代わってもらったって所」


 影太郎は小夜の下にいる忍び達の頭目だった。十四になった頃、親房に引き合わされた。今、小夜の下で働いている忍び達は、全員影太郎を通じて集められた者達だ。

 自分は勇人には危険な気配を感じはしなかったが、影太郎はそうは思わなかった、と言う事だろう。当然の判断と言える。


「裏向きの護衛は、全部影太郎に任せてるよ。それは、好きにやってもいい」


 陰で働く者達の力、と言う物は実感としては武士の力よりも先に小夜の前にあった様に思う。宮中では様々な闇の争いが倒幕の戦が始まる前からずっとあり、親房はそれを嫌ってはいたが、親房自身や小夜を守るためにそう言った力も持たざるを得なかったのだ。

 卑しき者達、と忍び達を見下し、嫌う者もいた。小夜自身は忍びを見下している気はなかった。けれどそれは小夜自身がそう思っているだけで、楓から見ればどうなのかは分からない。


「私がどうしたら四年後に死なないで済むのかなんて、勇人に聞いたって仕方ないよ。何百年も先の人間が文字を通して読んで、頭の中で考えた物が実際の人の動きの中で正しいとは限らないし、多分正しくない事の方がずっと多い。勇人だってそれが分かってたから、あれだけしか言わなかったんだろうし」


「そんな風に割り切れるんなら、最初から自分の先の事なんて聞かなきゃ良かったのに」


 楓は楽しそうに切り返した。


「意地悪だね、楓は」


 ちょっとだけ虚を突かれ、憮然としながら小夜は言った。


「本当は不安なんでしょ、この先自分や奥州軍がどうなるか。だから、聞いてみた。けど、聞いた後で不安を表に出しちゃ行けないと思って強がった。私にはそう見えたよ」


「そうかも、知れない」


「小夜は凄い人間だけど、自分の弱さの使い方だけは下手だね」


「弱さの使い方?」


「強いは弱い、弱いは強い。孫子の言う所の虚実だよ」


 楓が謎かけのような事を言った。

 戦では強さが弱さになり得るし、またその逆もあり得る。大軍は数と言う面では強いが、その分動きは鈍くなり、統率も取りにくくなる。堅陣は守りには強いが、攻めには向いていない。そんな例を挙げればきりがない。いつどんな戦いでも絶対に有利な編成、陣形、策と言う物は無いのだ。

 それは知っているが、それが自分とどう関係あるのか、小夜には分からなかった。


「にしても、変な人だねえ、あの勇人さんってのは」


 小夜の戸惑いを知ってか知らずか、楓は話を変えた。


「そう?」


 小夜が知っているどんな人間とも違った。数百年も先の未来から来れば人はそんな物なのだろうか、と思ってさほど気にはしなかった。喋っていて、嫌な感じはしなかったのだ。


「どっか乾いてるよ、あれは。歪んでる、の方かも知れない」


「悪い人間には見えなかったけど」


「そうだね、歪んでるだけで、それがいい方向なのか悪い方向なのかは私にも分かんない。けど、変な人間だとは思う」


 楓は、人を見る目はあった。滅多にそれを見せる事は無いが、人の心の底を覗くような所がある。


「あの人、何かに使う気?」


「さあ。ここで暮らして行くつもりなら何か仕事はしてもらわなきゃ行けないけど、勇人本人に私の下で働く気があるかどうか。少なくとも、戦が出来そうには見えなかったしね」


 不健康では無かったが鍛えている様子はまるでなかった。通常の行軍に付いて来る事も出来ず、体力もさほど無いように見えた。


「ま、無理に使う事は無いと思うけどね。何かあったら大化けするかもしれないけど、あれは危ういよ、多分」


 そう言ってから楓は笑った。彼女は、とにかく良く笑う。


「まあ危ういとか歪んでるとか言っても師行のおっちゃん程じゃないけどねえ」


「師行さんとは上手くやって行けそう?」


 楓は今は津軽方面での諜報を主に担当している。師行との間の連絡も務めていた。


「あの人にはそもそも上手くやって行くとかそう言う普通の考えは通用するのかねえ」


「言い得て妙だね」


「嫌いじゃないけどね、忍びだから見下すとか、そんな人じゃないし。あの人は忍びとか武士とか公家とか、それどころか多分武士の棟梁も帝もそんな物全部どうでもいいんだろうけどね」


「私も、そう思うよ」


「あんな人間、本当にいるんだね。ただ強いとか、戦上手とかじゃない。人としての有り様の全てが、戦をする事だけに向いてる。武士は戦をするもの、とは言うけどあそこまで極端なのはちょっと珍しいよねえ」


 呆れたように楓は首を振った。

 師行には、勤皇の志など無かった。それは、自分の下に付く事になった時、本人からはっきりと言われた。師行は、自分は戦をするだけでいい、と思い定めている。ただ、戦は戦の前よりも良い世を作るためにする物だ、と言う意識は強くあり、そのための大将としてどうやら自分は師行の目に適ったらしかった。

 それは、ある意味で正しい武士の有り様かも知れなかった。

ただ、武士には一族郎党がおり、祖先が、親兄弟が、あるいは自身が命懸けで戦ってかち得た土地がある。

 ひたすら大将の命令に従って戦場で戦うだけでそれらを守る事が出来るのなら、師行の有り様はどこまでも正しい。実際にはそうでないから、武士は領地の安堵を保証し、武士同士の争いを仲裁し、公正な恩賞の沙汰を下してくれる棟梁を探し、それを担ごうとするのだ。

 南部一族内の事をほとんど弟の政長に任せ、何も考えず戦に明け暮れているように見える師行には、一族内での人望は無かった。師行がそれでいいと思っているのかは、小夜にも分からない。


「源平の時代なら、後もう少しだけ周りの人間に心配りが出来れば、天下が取れたかもしれないねえ、あれは。今だってその気になれば分かんないけどさ」


「今も、津軽をほとんど一人で制してる。無茶をさせてるな、と思うけど、多分あの人は無茶とも何とも思ってないだろうね」


 戦に関しては強いなどと言う物ではなかった。果敢や巧みと言ったありきたりな言葉では片付けられない物を持っている。兵の動かし方に無駄が無く、そして戦場の中で最も決定的な時と場所に自分の最大の力をぶつける事が出来る。それは優れた武将が持つ勘のような物で、小夜自身も自分にそれがあると思ってはいるが、鋭さに関しては恐らく師行は自分を大きく凌ぐだろう。

 師行の配下である南部勢は全部で三千。それと互角の兵力で野戦をやって凌げるかと言われれば、自信は無かった。小夜が実際に戦をする所を見てそんな風に思った相手は、師行と、そして楠木正成の二人だけだ。


「あ、そうそう。本題を忘れてた」


 ぽん、と楓が手を打った。彼女は良く笑うだけでなく、動作もいちいち大袈裟な所があった。それがわざとなのか、それとも自然にそうなっているのかは分からなかった。


「本題?」


斯波しば家長いえながが奥州に派遣される事が決まったみたいだよ。鷹丸から、報せが届いた」


「あの」


 斯波家は足利の有力な一門衆だった。斯波の本貫(その氏族の発祥、名乗りの起源となった所領)は陸奥斯波群であり、足利一門の中では最も奥州に対して影響力を持っている武士の家の一つだ。

斯波家長はその斯波家の当主である斯波高経の嫡男で、自分より三つ歳下のはずだ。直接顔を合わせた事は無かったが、神童である、との噂は以前から聞いていた。


「斯波家長について調べは?」


「手強そうだよ、鷹丸の見立てじゃ。自分で忍びも使ってるみたい。少なくともお飾りのお坊ちゃん大将って訳じゃなさそう」


「忍びの規模は?」


「それほど大きくはない。けど、腕はかなりいいみたいだね」


 単に自分に対抗するための旗頭として分かりやすく同年代の大将を用意しただけ、と言う訳ではないと言う事だろうか。足利尊氏と直義がその能力を見込んで派遣したのであれば、それだけで侮れない相手ではあった。

 足利兄弟は、いずれは敵である。まだ公然と朝廷に反旗を翻してはいないだけで、いずれ確実に戦は起きる。あちらもそれを見越しての動きを奥州でも始めた、と言う事だろう。


「鷹丸にはそのまま斯波家長について奥州にまで入ってもらった方がいいかな。京の方は影太郎に変わって見てもらおう」


「おーい、それじゃ小夜の身の周りの警護はどうするんだね」


「和政がいれば大丈夫じゃないかな」


「和政さんが聴いたら喜ぶべきか諌めるべきか迷いそうな事を言うね」


 また呆れたように楓は首を振った。ひょっとしたら楓には、自分も師行と同じような人間に見えているのかも知れない、と何となく小夜は思った。


「念のため、左近と部下は別に護衛役として残すように影太郎に言っておくよ。左近だけじゃ不安だけど、ちあめが一緒ならまず間違いないでしょ」


 ちあめは小夜に仕えている忍びの中では恐らく最年少の少女だった。忍びとしての腕は異常なほどらしいが、意思疎通に難があると言う。


「心配性だね、楓も」


「尊氏のおっちゃんの方はまだしも、直義の兄ちゃんの方は顔がいい分だいぶ陰険だからねえ。小夜を殺せるのならどんな手を使ってでも殺したいと思ってるだろうし、多分、その内やり始めると思う」


「あまり顔は関係無いんじゃないかな」


 ほんと弟の方が顔はいいんだけど性格がねえ、と楓は呟く。小夜は京で何度か直接顔を合わせた足利兄弟の容姿を思い出した。確かに朴訥としていてつかみどころが無い兄の尊氏と比べて見れば、直義は怜悧な貴公子然としており美形ではあった。


「ま、一応これで報告は終わりかな」


「もう行くの?一晩ぐらい止まって行けばいいのに」


「豪華な寝所は寝心地が悪くてね」


 楓はそう答えると小夜に背中を向けた。暗闇の中に消え、そしてすぐに見えなくなった。

 楓が立っていた近くに布包みが置いてあった。中身は、楓が自分で獲物を捕まえ、切り分け、焼き、味付けをした獣肉だった。楓は良く自分の所に何も言わずにこれを置いて行く。小夜が好きなのを知っているのだ。

 明日、隠れて食べよう、と思った。宮中で食べるようなどんな豪華な料理よりも美味しく感じるが、堂々と食べれば、間違いなく和政や侍女である朱雀達にうるさい事を言われる。

 公家とは、食べる事に苦労しない代わりに様々な窮屈さや責任を背負わなければ人間だ、と父である親房からは幼い頃に教わった。好きな物を堂々と食べられない、と言うのは食べる事に苦労している事にならないのだろうかな、と小夜は少しおかしく思った。

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