1-2 結城宗広
北条氏の残党の討伐をひとまず終え、帰路の軍勢だった。
鎌倉幕府が倒れて以来、その残党の武士達の多くが奥羽に流れ、在地の武士と結びついて叛乱を起こしていた。
八戸の根城に依る
だが、元々津軽三群は北条氏の得宗領であった事もあり、土地の武士と北条氏との結び付きも強かった。正面の戦で勝ちつつ、後は少しずつ土地の武士達を懐柔して腰を据えてかかるしかない、と宗広は思っていたが、
未だわずか十七歳の公家である。
父親である
倒幕において何ら功績があった訳でもない少年をこのような職に付ける朝廷に、宗広が不信を抱かなかったかと言えば嘘になる。都で接していた時も、その人柄に悪い感情は抱かなかったものの、学識だけの子どもである、と思っていた。
実際にその元で働いてみれば顕家の能力は確かに傑出していた。
都より下向してきた数千の軍勢を難なくまとめ、倒幕以来乱れて当然であったはずの奥羽を見事に治めていた。
合戦における指揮は水際立っており、それだけでなく陸奥守自身が討伐の戦に出る事の意味も良く分かっているようだった。
今では、顕家に従う武士も、叛乱を起こしている側の武士も、顕家に対してはほとんど畏敬や畏怖の念に近い感情を抱いているかも知れない。少なくとも下向した当時のように、青公家が、と侮っている者は奥羽にはもういないはずだ。
「奥羽は相変わらず乱れているな、宗広」
隣で馬を駆る顕家が声を掛けて来た。近侍である
「顕家様がいらっしゃらねば、もっと乱れておったでしょう」
「そうだな、その程度の自惚れは私にもある」
顕家は軽く笑う。面のせいで表情は見えないが、笑っているのは宗広には分かる。冷厳かつ鬼神の如き貴公子だと言われているが、実際には感情豊かな人間なのだ。
「だが、私は陸奥守としてこの地に赴任する前、正直な所もっと簡単にこの地を平定できると思っていた。私ならそれが出来る、と。それが、実際にはいつまで経っても叛乱の芽は絶えぬ」
「幕府は倒れたとはいえ、北条執権の勢力は根強いようですな」
顕家の声に憂鬱そうな物が混じるのを感じつつ宗広は答えた。
「
馬上から南の空を見詰め、顕家はそう呟いた。
「左様でしたか」
知らない話だった。顕家は何人もの忍びを裏からの護衛や諜報など様々な事に使っている。そこから入った情報だろう。
「播磨守護の恩賞を没収された事に反発したとされているが、恐らく実際にはそれで何かを見限られたのだろうな」
赤松円心は倒幕の戦において
「大塔宮との繋がりのせい、でございましょうかな」
「かも知れぬ」
京では大塔宮と足利尊氏の争いが激しさを増していた。楠木正成と赤松円心は倒幕に参加した武士の中でも最も大塔宮とのつながりが強いとされている。赤松円心の冷遇には二人の争いを利用しようとする帝の思惑がすいて見える気がした。
「武士の棟梁であれば、恐らく許されぬ事であろう。戦の恩賞を政争の駆け引きの道具に使うなど」
「それは」
「私も一年陸奥守として務め、少しは武士と言う物が分かるようになっている。何の功績も無い公家が鎮守府将軍陸奥守として任じられ、死を賭して六波羅と戦った者が恩賞を没収される。これは一つの例だ。今の朝廷の有り様に不満を持つ武士は数多くいる。奥羽が未だ収まらぬのは、そのせいであろう」
宗広は返答をしなかった。顕家は帝の親政を批判しているのだ。
「本当は奥羽の叛乱を力で抑え付けては行けないのであろうな。だが、今は急ぐ。急がねばならない気がする」
「やはり、いずれ西上せねばならぬとお思いですか」
顕家は頷き、それから深刻さを振り払うように声の調子を変えた。
「私が急いでいるせいで、師行には特に苦労を掛けてしまっている。だが、直接会ってみればあの男はあれでいいような気もしたな」
「師行殿はまるで調子が変わりませんでしたな。根城は大変な重圧が掛かっているでしょうに」
戻る前に出会った南部師行の顔を思い出しながら、宗広は言った。
「師行は、私の知るどの武士とも違う。あれは、戦をするためだけに生まれてきたのかな」
「それがしも、あれほどの武士を他に見た事がございませぬな」
南部師行は自分と共に顕家の下向に従った主だった武士の一人だった。恐らく戦に関しては他のどの武士よりも顕家に信頼されている。
南部一族の庶流である波木井南部氏の当主でありながら一族内の事には全く関心を持たず、当主として役目はほとんど弟に任せてもっぱら戦と兵の調練に明け暮れている荒武者だが、その率いる兵と師行自身の強さ、戦上手ぶりは並大抵では無かった。武神とはこれの事か、とその戦を始めて見た時宗広は思った物だ。
寡黙で狷介と言ってもいい性格をしており、ほとんど孤高を保っているように見えるが、顕家との間には余人に理解出来ない信頼関係があるようだった。
「ところであの若者、どうされるおつもりですか」
宗広は話を変えた。数百年の先から来た、と言う奇妙な話をしたあの若者は今は軍勢の後方で宗広の兵が見張って共に進ませているはずだ。
「さて、実を言うとまだ何も考えておらぬ」
顕家はまた僅かに声の調子を緩めて答えた。
「気の違った人間かと思いましたが、中々どこかで肚は座っているように見えましたな」
「いささか戦と政務ばかりの日々に飽いているのかも知れぬな、私も。どうしてだか拾ってみたくなった。あれほど面白い事を言う者には今まで会った事も無かったのでな」
「あまり得体の知れぬ者をお近付けになられますな、顕家様」
今まで黙っていた和政が初めて口を開いた。まだ二十を少し超えた程度だが、長年顕家の側に仕えているらしかった。控えめなように見えて、顕家に対する忠誠が先走る所がある男だ。若さだろう、と宗広は思っていた。
「心配性だな、和政は。あまり悪い人間にも見えないと私は思ったのだが」
「いえ、あの男の事だけでなく。顕家様のお命を狙っているであろう者は恐らく大勢おりますので。先の北条の手の者のような事は、この先何度も起こりましょう」
「それは分かってはいる。身辺には気を使う事にしている」
「和政殿には顕家様の身をお守りする勤めがありますからな。顕家様もその辺りはお汲みになられませ」
顕家にはどこかで軽率な所がある、とは宗広も思っていた。それは勇猛さと区別のしにくい軽率さで、優れた大将には必須と言ってもいい資質だが、この先、足利兄弟と朝廷の争いが本格的になればその軽率さで戦場以外の場所で命を落としかねない。
「叱られるような事を言ってしまうが」
顕家は歳相応の子どもっぽい仕草を取る。
「多賀国府に着いたらあの勇人の事はしばらく私が側で見てみたい。いいだろうか?」
はあ、と和政が呆れたようにため息を吐いた。そう言い出す事を予想していたのだろう。
「敢えてそうしたいと言われるのであればそれがしには否応もありませぬ」
ほとんど唸るような声で和政が答える。
「それがしからも特に言う事はございませぬが、一つだけ」
「何だろうか?」
「どちらの姿でそれをされるのです?」
顕家は笑うだけでそれには答えなかった。
もっとも、顕家が答える必要もない事だった。北畠顕家としてあの若者に会うだけなら、宗広に彼を預けたりせず、自分の元に置いておけばいい。
些細な我儘だ、と思う事にした。顕家の下に付く事になって以来、宗広は顕家を支えるよりもその大きさと鋭さに嘆息させられる事の方が多かったのだ。たまに顕家が歳相応の子どもっぽさを見せるなら、せめてそれを通す手助けぐらいはしてみたい。
それに宗広自身も、あの若者に興味が無い訳ではなかった。
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