第一章 想像を裏切った遭逢

2055年4月12日 東京中央刑務所


日本最大の刑務所にして凶悪犯だけが集められた『現実の地獄』と呼ばれるこの刑務所は厳重に管理されていた。

ここに野崎は足を踏み入れる。

受特捜査の任命を受け彼女はここに収監されている3人の犯罪者と対面する事になっていた。


こんな重大な任務を任されたとは思いにくい中肉中背の至って普通な若い女性、歳の頃は30前後だろうか。

束ねた黒髪、きっちりと着込まれたパンツスーツ、それに似合わないのは足元のスニーカー、シンプルな鞄を肩に下げて廊下を進む。

幾重にも檻が閉ざされ、長く続く廊下の先には重厚な扉が複数あり 扉には囚人の名前が記されていた。

野崎は刑務所員と共にひとつの扉の前に立った。


「西森 達矢…」


野崎が扉のプレートを読み上げる。

刑務所員は野崎の顔を見て頷き手際よく準備を始める。

扉越しに声をかけ、扉を開き、手錠と腰紐をつけ刑務所員が連れ出す。


その男は囚人と思えないほど髪の毛を綺麗に整え、背筋も伸び真面目な好青年と言った感じだった。

その場に似合わない彼は手に本を持っていた。

腰紐をつけられようとも気にせず手に持った本を読み続ける。


「彼の本の事はご存知でしょうか?」


刑務所員が野崎に声をかけた。


「はい。承知しています確か…」


鞄から取り出した書類に目を通す。


「常に読書をしており、本を奪うと暴れる事多数。理由は感覚過敏の様な症状…感覚過敏つまり視覚聴覚様々な情報が過剰に流れ込みパニックを起こす…それを本で意図的に逸らしパニックを抑え込んでいるとお聞きしています」


「はい。それであっています。ですのでこれからお話する際も決して無理に本を奪わず、無理やり視線を変えさせたりしないでください」


どこか刑務所員も怯えているような風を見せた。

野崎はその一瞬の怯えを感じ取り、口元を締めキッと西森を見る。

「西森さん受特捜査の命が降りました。貴方に拒否権はありません。これから別室にてお話を伺います。」

なめられまいと、毅然とした態度を見せた野崎を一瞥するとまるで子供を見るかのように優しく微笑むとまた本に目を移した。

腰紐を引かれ、素直に刑務所員の後ろに続く別室内に置かれた椅子に座らされ、腰紐を壁につけられた金属の輪に通し外れないように固定される。

手錠は体の前でつけられているが、可動域があるため器用に本を読み続ける。

「話してください。僕、本を読んだままあなたの話を理解出来るので。」

西森がそう口にすると野崎は書類を取り出し、深呼吸してから読み上げ始める。


「貴方の事を幾つか確認させて頂きます。西森達矢 罪状殺人。判決は死刑。貴方は証明されているだけで14人を殺害。動機はストレス発散と人間関係のトラブル……貴方元々は医師。仕事でのストレスから仕事仲間やその家族友人を次々と殺害。憤慨し喚き散らし暴力的に刃物で滅多刺しに……一見そんな風には見えませんが、貴方がですか?」


西森は少し笑うと口を開いた

「えぇ。腹が立ったので。ですがもうしませんよ。安心してください。あと、貴方をどうこうするメリットが私にはありませんから闇雲に襲いませんよ。」


「本当に読んだまま理解してる……貴方は本が好きなのね。今回の受特を受けたら何が欲しいかという希望書にも本と書かれている。本だけでいいの?」


「えぇ。本でいいんです。その代わり僕が死刑になるその日まで尽きない本を下さい。外界の情報を遮断するために、尽きない量の本を常に下さい。それなら受けてもいいですよ。こんな外界から離れられるなら」


そう言って本を読み続けているが、終わりのページが近づいている。

「読み終わってしまうようだけど、いいの?」

「えぇ。この本ばかりもう読み返して何度になるでしょう。1000は超えていると思いますよ。だから新しい本が欲しいんです」


西森は本のページを冒頭へと戻す。

読み終えた本をまた最初から読み始める。

彼はどんな僅かな音も、動きも感知してしまう。

その情報量を遮断するためには1000度以上読んだものでも繰り返さなければならない。

その苦痛は計り知れないが、少なくとも今の彼は理性を保って会話をしている。

野崎の想像した「猟奇的殺人鬼」のイメージとは遥かにかけ離れていた。


「驚きましたか?喚き散らして暴れる人間を想像してらしたんですよね。貴方の想像の中の僕とかけ離れていましたか?」


「えぇ。もっと暴れているかと…」


「移った」


食い気味でそう言うと西森は笑いながら野崎を指さした。


「え?」


「僕の『えぇ』と答える返事。移りましたね。人の口癖は移りやすい。しかしそれは相手を警戒していなければの話。貴方は少しばかり僕への警戒を解いた……やめた方がいいですよ。大人しいからと直ぐに警戒を解くのは」


まくし立てられ驚いた野崎は眉間に皺を寄せ口を閉ざす。

確かに言われたように油断していたのかもしれない。

思っていた以上に西森が紳士的だったこと、殺人犯を相手にすると必要以上に身構えていた分緊張が解けたのは事実だった。

言い当てられたことに悔しさがにじみ出る、しかし今はそれを見せる事さえ愚策だとはわかっている。

精一杯ポーカーフェイスを繕い西森を見つめる。


「僕はあなたからの問いかけに常に「えぇ」と答えた。だから脳に焼き付き自然と移ったんです。気分を悪くしないでください。僕はただ自分がどう思われているのか知りたかっただけですから」


さらりと答えた西森は読書を続ける。

彼の指摘に再び緊張を取り戻した野崎は再び資料に目を落とした。


「貴方の他にもあと2人の殺人犯にもこの事件には協力を要請しています。残りの2人をここに連れて来てから事件の概要を説明します。決して取り乱したりしないようにお願いします」


「大丈夫ですよ。僕は他人に興味はないので襲うような真似はしません。でも…先程みたいに緊張を解かないほうが良いですよ。僕も含めてみな、殺人鬼なんですから」


そう言うとチラリと野崎の目を見て少し笑うとまた読書に戻る。

その僅かな秒数合った視線に恐怖を感じた

しっかりと見据えられた目に動けなくなる

じわりと掌に汗をかいたが怯むわけにいかない。

掌に爪を立てて拳を握りよぎる恐怖を払拭し刑務所員に目配せをし次の人物の元へ向かう

刑務所員2人が西森に付き添い。

1人の刑務所員が野崎に連れ立って部屋を出た。


外では既に次の人物を引き連れ、大袈裟な人数の刑務所員が緊張した顔でこちらへ向かってくる。


"たった3人"


たった3人の殺人犯相手に警棒やスタンガンを持った屈強な男達が何人も警戒し付き添う。

それだけに危険な人物達に渡り合いこれからやっていけるのか。

不安ばかりだが弱みは見せられない。

顔には出さず次の人物へと近づいた。


ボサボサの伸びた茶髪に無精髭。

服からはみ出た刺青が複数見える。

少し背が高く痩せてはいるが筋肉質で少し浅黒い。

刑務所員に引っ張られその男は無理やり部屋へと押し込まれる。

西森が座っている場所と離れた位置の椅子に座らさせられ、同じく腰紐を繋がれた。

その男に向かって野崎は話しかける。


「黒谷 将 あなたは快楽目的の大量殺人を繰り返した。判決は死刑 殺害人数は8人。殺害したのは若い茶髪ロングの女性ばかり、どの害者も胸を割かれ心臓を取り出されていた。あなたは害者を殺害後その心臓を用い自慰行為、その後死体と共に遺棄。間違いありませんね?」


「違うよ」


ニヤついた声で答えた黒谷は野崎の顔を見て手の指を折り両手で8を作り見せる。


「見つかったのが 8人。」


ケラケラと笑うと隣にいた刑務所員が警棒で突いて黙らせる。


「いてぇなぁ 俺に手伝って欲しいんだろ? 手厚くもてなしでもしたらどうなんだよ」


悪態をつく姿に再度警棒が降ろされそうになったのを野崎が止める。


「待ってください。暴力的な事をして協力させる気はありません。きちんと話し合いたいと思っていますので不必要な暴力は辞めてください。今回の件は私に権限があります」


そう言うと黒谷の前に立った。


「私に協力してもらえればあなたの要求している物をお渡し出来ることになっています。貴方には協力しないという選択肢はありませんね?」


そう言うと黒谷の顔色が変わった。

青くなったようにも見えたがすぐに紅潮し興奮の色が見えた。

笑顔を零しながら震えた声で野崎に食ってかかる。


「本当に本物なんだろうな。紛いもんだったらそん時はわかってんな。本物を寄越すってんなら全力で手伝ってやるよ」


震えながら答えるその姿に恐怖を覚える。

凶暴性とはまた別の隠しきれない興奮という狂気。

殺人犯をこれ程までに興奮させる物が記された手元の書面に目を移した。

記された文字を1文字ずつ読んでもそれは今の野崎に理解できるものでは無かった。

深呼吸し黒谷を見るとギラギラとした目が細かく左右に揺れ自分の目を覗いている。


「大丈夫。きちんと確認は取れているから安心してください。ですが貴方の態度一つでこの物を破棄する事になる事はご理解ください。」


黒谷は頷き息を整えると大人しく椅子に座り直した。


「手伝ってやるよ」


そう言う黒谷に西森は1度だけ視線を送った

何を言うでもなく、直ぐ本に視線を落とすとまた無言のまま読書を続ける。

しかし、西森は恐らく読書をしたままに野崎と黒谷の会話を理解したのだろう。

他人に興味を示さない西森が確かに黒谷の顔を確認していた。


今回の捜査では3人の殺人犯に力を借りることにしたなっている。

それぞれが牙を剥くと言う不安もあるが、それと同時にそれぞれが対立し面倒な事になると言う不安もある。

西森の様子からして他人に不必要に攻撃的になるとは思いにくい。

黒谷も要求物への執着から簡単に放棄したり暴れるなどは考えにくい。

しかし、彼らは殺人犯である。

何が起きてもおかしくない。

暴力的に私欲で他人の命を奪ってきた人間。

いつ自分が奪われる側になってもおかしくないということを忘れてはいけない。

自分の中で何度もそう反芻していた時だった

ふと刑務所員に声をかけられる。


「3人目をお連れしました。中に入れても…?」


「はい。お願いします」


「この者なんですが…あまり話さないのです。調書にも書かれておりますが、不用意に近づかず距離を取ってください」


緊張した顔の刑務所員は頭を下げると部屋を出た。

あまりにも今まで2人とは違った刑務所員の緊張感に怯む。

開く扉を見据えると1人の男が連れられて入ってきた。


黒い毛を伸ばし、とても色白で痩せ型。

フラフラと歩みを進めるが足取りは重くぎこちない。

何よりも異質だったのは彼の手と口には拘束具が付けられていた。

目から下を覆う仮面のような拘束具は口元を覆っているが穴が空いており縦に格子が付けられている。

隙間からは横一文字に結ばれた口が見えていた。

ほかの2人と違い後ろ手に拘束され腰紐がまた部屋に結ばれる。


「貴方の名前は…ナイ…さん?」


調書は何度も読んだが彼の物だけは異質だった。

そのまま調書を確認するように読み上げていく。

「ナイさん。罪状は殺人。被害者の数は推定18人。殺人の目的は食人。殺人現場となった藤滝山の廃旅館に人間を連れ込むと次々と殺害。首を直接嚙み切るなど残忍な殺害方法で殺害後に被害者の人体を食べた。被害者は若い男性が中心で推定18人とされているが欠損が激しくそれ以上の可能性もある。間違いないですね?」


話しかけても虚ろげに部屋を見渡していた。


「お返事を頂けないようなのでお話を進めさせて頂きます。貴方は聴取の際もあまり協力的ではなくほとんどの事にお答え頂けていません。身元もわからずそのまま捜査は打ち切り。この事件は全てを明かされること無くこのまま終了となりました。犯人であるあなたを捕まえながら名前一つ明かされていません。何者なんですか?」


投げかけようとも同じ態度で全く反応はない。

部屋を見渡し西森や黒谷を眺め、野崎の顔も眺めしばらくするとまたフラフラと視線は周囲を泳いだ。


「貴方、お名前は?」

再び野崎が彼に問う。


「……ナイ」

ただ一言そう答えた。


「気持ちわりぃ奴」

黒谷が肩を竦め呟くがナイは無関心だった。


「ナイさん。貴方にはこの捜査に協力して頂きます。貴方の要求の物は…『このまま逮捕していろ』……この要求は…本当に間違いないですか?」


このまま逮捕される事を望んでいる。

一体なんのために彼はそれを望んでいるんだ。

確かに受特を受ければ減刑になる事もある。が、大量殺人犯である彼に減刑は見込めない。

何か物や待遇を望めばいいのになぜこのような要求なのか。


「これでいいんですね?」


再び強い語気で聞くと泳いでいた目はゆっくりと野崎を見た。

そのままゆっくりと頷き彼は小さな声で「うん」と答えた。

その時隙間から覗く口元は確かに笑っていた。



こうして3人の殺人犯が揃った。

西森 黒谷 ナイ

これから3人に今回の事件の概要を説明せねばならない。

事件の捜査も始まっていないこの段階で野崎は既にぐったりとしていた。

暴れられるよりも良いのかもしれない。

しかし、理解のできない狂気とは人の心をこんなにも疲れさせるのだと実感した。

何も実害は何のに緊張で彼女の心は擦り切れていた。

それ程までににじみ出る狂気が濃かったのだ

これからの捜査が思いやられる。

そう思いながら彼女は3人の前の椅子に座り深呼吸をした。

吐いた息の音が部屋に響き渡る。

これがこのすべての出来事の始まりのゴングだった。

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