百合仮説
刈田狼藉
第1話:その子どものような小さな肩に、私は、恋をしてしまったのだ。
女の子に、恋をした。
息が苦しくなって、
目のまわりがぼうっと火照って、
からだに熱がこもって、……胸の間が汗ばむくらいの、
発作的な、そう激しい恋だ。
二十七歳、——
大人の、それも女性である私が、
十六歳の、——
高校二年生の女子生徒を好きになるなんて、
そんなのおかしいって、もちろん分かってる。
だって異常だよ、ヘンタイだよ、気持ち悪いって思われちゃうよ。
どうしちゃったんだろう
どうなっちゃったんだろう?
自分の中で何が起こったのか?
自分のことなのに、なんだかよく分からないままだ。
*******
駅の構内とつながった商業施設の、
その広い通路に面した洋菓子店に、その子は佇んでいた。
きれいな子、……
母から頼まれた買い物を済ませ、
バスターミナルへと急ぐ、その途中だった。
中高生らしい、
その清楚で控えめな印象の後ろ姿に、
私は視線を止めたのだ。
夕方の駅ビルの雑踏の、
その慌ただしく
湖畔に静かに生える、
まだ
そんな伸びやかな彼女の姿に、
こころを奪われてしまった。
ほんとうに白い肌、……
後ろから見る、
プリーツスカートの裾から伸びる脚と、
ブレザーの襟から覗く未熟な首すじは、
まさしく血の通わぬ植物の
まったく温度を感じさせない、
そんな白さだった。
ちょっと気取ったケーキ屋さんの、
可愛くディスプレイされたショーケースの前に立って、
その子は内側にいる女性の店員さんと、
何かを相談しているような雰囲気だった。
何だろう?
ごく真面目な表情と、
その幼さを残す容姿は、
しかし知性的な色彩を帯びて、
その
私は眼が離せない。
そして、
何より、
何よりその
私は恋をしたのだ。
おかしいかな?
おかしいよね?
でも、
わあ、女の子だ、……
っていうふうな、
透きとおる肌の白さよりも、
花のように可愛らしい横顔よりも、
その子どものような小さな肩に、
私は、恋をしてしまったのだ。
*******
私は同性愛者じゃない。
同性に、
性的好奇心や、
恋愛感情を抱いたことは無い。
しかし今、
頬は赤らみ、
からだは熱を帯びて汗ばみ、
甘く、
濃密に匂い立って、
息が、
弾んでしまう。
もう一度言う。
私は同性愛者じゃない。
そして、
私は、異性とも、愛し合ったことが無い。
つまり、
二十七年間、
私は誰とも愛し合わずに生きてきた。
結婚適齢期、——
しかし
母子家庭、
ともなればなおさらだ。
だからって私、
なにも女の子に対してこんなふうな、……
欲求不満、
なんだろうか?
こじらせすぎ、
なのかなあ?
自分では全然、そんな感じじゃないんだけど、……
お父さんとお母さんは、
私が中学に上がるちょっと前に別れた。
理由は、性格の不一致、……なんだろうか?
はっきりと教えてもらったことはない。
ハッとする、
現実に引き戻される、だって、——
彼女が、店員さんに向かってぺこりと頭を下げ、人混みの方に向かって歩き出したのだ。
行っちゃう、
そう思った、
もう会えない。
永遠にも思える
しかし出逢いは一瞬だけだ。
そしてこの広大な世界で、
永遠にすれ違ったまま、
もう会うことは無い、
二度と。
それこそが、
私が二十七年間学び続けてきた、
人生の真実だ。
*******
女の子の、
ハッとした表情、
びっくりしたような眼、
見ようによってはボンヤリしたような、そんな。
気がつくと、
私は彼女の前に立っていた。
無意識だったし、
無計画だったし、
無謀ですらあった、と思う。
でも!
このまますれ違って二度と会えないなんて、その姿を見ることすら叶わないなんて、やがて記憶も
そんなの!
絶対に耐えられない!!
「ごめんなさい、……」
弾む息に、私は胸を押さえる。声を掛けてしまった。もう、後戻りできない。
「ちょっといい、……かな?」
しかしこの時点で、もう言うべき言葉が尽きてしまっていることに私は気づく。だって、相手は初対面だ、話題なんて無い、当然だ。
しかし意外にも、
「はい、……」
彼女は答えた。
微かな声。語尾が、少しだけ震えている。
彼女はパッチリと開いた大きな眼で、
まつげの先を震わせて、
私の、次の言葉を待っていた。
正直言って、予想してなかった。
きっと硬い表情のまま、眉をしかめられ、嫌悪感を隠すことすらなく、
足早に立ち去って行く、……
そんな姿をイメージしていたのだ。
ど、
どうしよう?
どうしよう、どうしよう、どうしよう?
な、
何か言わなきゃ、
でも、……いったい何を? 何を言えばいい?
ここのケーキっておいしいの? わたし、食べたこと無くって、
って、ウソだ、いつも買ってお母さんと一緒に食べてる、今日だって買って帰ろうか考えてて、その視線の先にいたのがこの子だったんだから。
でも、
でもでもっ、
それに、メイクとかしてなくて、でもきれいな
……じゃなくて!
あっ、ごめんなさい、ひとちがい、かも、知ってる子とよく似てたから、えっと、ところで、……
って、いやいや、これじゃナンパだよ、キャッチだよ、
「雪ノ下
私の言葉だ。
無意識だった。
でも私は、そう言ってしまっていた。
混乱する思考と、
迷走する自意識とを置き去りにして。
言ってしまってから、
それが自分であるにも拘らず、私はひどく驚いてしまう。
ドキドキに胸を押さえ、
おそらくは顔を真っ赤にして、
それでも私は、
彼女に向かって、にこっ、と微笑みかける。
だって、いま頑張んないで、一体いつ頑張るの?
あなたに好意を抱いてしまったの、
あなたに、
とても
言葉にして言った訳じゃない。
上気した
私は、彼女にそう告げる。
その女の子は、
小さく息を吸い込んだ。
そして眼の表面の、
透明でクリアな層に浮かぶ、
まわりの景色を小さく映すその光沢が、
くるりと一回転し、
湧いてきた涙に潤み、
細かく砕けて、
まるで星屑のようにきらめいて、
とても、
とてもきれいだった。
女の子は笑った。
笑みに眼を細めた時に、
その幼い
絶対に、
絶対に見間違いなんかじゃない。
目尻をくすり指で押さえるような仕草で、ちょっとだけ肩を竦めて、その子は言った。
「
可愛いくて、
でもどこか儚い、
ふわっとした笑顔だった。
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