第16話 火曜日
翌日の昼休み、俺は打ち合わせ通り中庭で黒木さんと対峙していた。
中庭の周りを見れば他の生徒の姿はなく、代わりにここが秘境ではないかと錯覚するレベルで、草、草、草、この夏も青々しく育ったものである。
校舎と校舎の間に位置するこの中庭は、あえて全く手入れがされておらず、雑草たちが日々弱肉強食に勤しんでいる。
俺の背丈ほどの謎の茎植物や、そこから太陽の日を奪い取ろうとするこれまたよくわからない蔦系の植物が日進月歩で生存競争を繰り広げているのだ。
意図が分からないが、最強の植物でも生み出すつもりなのだろうか。
ビオトープという形式らしいが、企画倒れ感がすごい。
絶対誰かやり方を聞き間違えたに違いないと俺は考えている。
そんな草溢れる中庭で、俺は彼女と向き合った。
人影はないとはいえ、校舎と校舎の間に位置する場所だ。
黒木スズネ、またの名を
今は俺の恋人、ということになっている。
「行きます」
「おう、どんとこい」
今日俺はフられる。
そういう取り決めだ。
これは彼女の嘘を真にし、かつ、もとの生活に戻るために必要な儀式。
元はといえば俺が彼女に声をかけてしまったのが発端なわけだし、ここはきっちりと精算してしまおう。
……ただ、何かが引っかかる。
(普通、単に声をかけただけで、こういう事態になるものなのだろうか――)
「あー」
黒木さんの声で、俺の思考は一度中断された。
台詞を口にする前に、一度声を出すのは彼女のルーティンワークなのだろう。
今回はギムレットを演じた時とは違う、少し高い声だ。
「あー」
彼女の声が、もう一段高くなる。
「あー」
更にもう一段、彼女の声がアニメ声っぽくなる。
演劇部凄いな。こんなこともできるのか。
「先輩」
そのアニメ声のまま、黒木さんが俺を真っ直ぐ見つめてきた。
綺麗に切りそろえた黒髪が夏の涼しくない風に揺れる。
俺はどきりと心臓を掴まれたような感覚を覚え、それを体から追い出すように息を吐いた。
目の前の女子生徒から見知らぬアニメのキャラの声がするのだ。
はちゃめちゃにびっくりする体験だ。
いつか彼女には俺のゲームのヒロイン役をお願いしよう。
黒木さんが息を吸い込む。
彼女のセリフが来る。
俺は息をのみ、心の防御を高め、彼女の次の言葉を待った。
「私っ!! 先輩のこと
「ごはっ……」
学校中に響きそうな声が、俺に直撃し、身構えた心の防御をぶち抜いた。
膝が笑う。演技だとはわかっていても、自分が認めた声に完膚なきまでの拒絶を叩きつけられると堪えるものがあるということを俺は初めて知った。胃がキュって痛んだ。
(周りの反応は……?)
胃の痛みを我慢し、俺は周囲を見渡した。
校舎の窓から何人かの生徒がこちらをチラ見している。
「ちょ、あれ黒木さんじゃないか?」
「え、じゃあ今の声、黒木さんの!? やべえアニメ声じゃね」
「ちょっと、なになになに?」
「きぃぃぃ、私たちのかわいい妹がぁぁぁぁ!」
……いや、結構見ているな。
よし、目的は達成した。とっとと撤退しよう。
俺はよぼよぼと、痛む胃を抑えて中庭から撤収することにした。あとでヨーグルトか乳酸飲料買ってやろう。
(そういえば、黒木さんも人目は苦手だったよな)
ふと、心配がよぎり俺は振り返る。
「……へへん」
俺と視線が合った黒木さんはべぇーっと舌をだし、可笑しそうに笑った。
元気そうで何より、いつか彼女には俺のゲームのヒロイン役をやって貰い、恥ずかしい台詞を山ほど言わせてやろう。
(なにはともあれ、これでようやく俺の日常が返ってくる)
あとで今回の黒幕の加美川先輩に文句でも言ってやろうと、俺は中庭を後にした。
残りの休み時間、俺は購買でヨーグルトを買って食べた。
優しい味に思わず涙ぐんだ。
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