第”)話

散歩に行った日の翌日。約束通りプールに向かっていた。

炎天下で自転車をこぎながら。


「さすがに暑いな………」

「そうだねー。風吹いてるからまだいいけどもが」

「自転車降りたらやばそうだ」

「まあプールはいるからさ。ちょうどいいんじゃないかなー」


遠出するのも何気に久しぶりで、高校通学では使っていない自転車を引っ張り出してきて乗っているため、微妙にぎこちなかったりする。

危ないからという理由で並列走行は避けていて、颯の前では叶が髪をなびかせていた。


暑さに辟易としつつある颯とは反対に、叶は楽しそうに表情を輝かせたままだ。相当プールに行くことが嬉しいようで、そんな表情をされると休みたいとも言い出せないのだった。




そして三十分もかからないでついたプール。

田舎とは言えども最近できたプールなので設備は良い。人の少ない室内プールの中で泳ぐのは、高校生や中学生の中では人気だった。


しかし今日は生憎の真夏日。こんな日こそプールだろとも思うのだが、人は少ない。


「じゃ、着替えてくるから。出てくるところで待っとってー」

「おけ」


男女で更衣室が違うので二人は別れ、颯は手早く着替え始めた。男子と言えば脱いで履くだけなので一瞬である。

プールに入る前のあの冷たいシャワーで身を震わせ、叶が出てくるのを待った。周りを見渡しても、中が広い割にはがらんとしている。その分遊ぶときに気を遣わなくて済むからよかったりするのだが。


ラブコメなんかでありがちな彼女がナンパに合うなんてことも、ここまで人が少ないとあり得なさそうだ。


「おーまったせっ!」

「おうおう」


叶の声で振り向くと、そこには普段は着ないような水着を纏った彼女がいた。

彼女は以前、身長があまり高くないので大人っぽい水着は自分には合わないのだと気にしていたのだが。


「どうかな?」


小首をかしげる叶。

濃い青の落ち着いた水着に包まれた、滑らかな白い肌。水着を着ているとは言えども心臓に悪い光景であることには変わりなかった。


水着を見たことがないのかと言えばそうではないのだ。去年などはいくらでも見てきたし、今年だってキャンプで川遊びをするときに見た。

ただ、ここまで………布面積が小さいものはあまり見なかったから。別に不自然なほど小さいというわけではない。どちらかというと一般的なビキニなどよりは大きい程度。それでも、慣れていない颯にとっては直視できないものだ。


「似合ってる」

「……なんで目を逸らすの」


眩しさに思わず顔をそむけた颯に、叶が手を伸ばす。真っすぐ見てくれないことに拗ねているのか寂しくなっているのか分からないが、視線を叶に向けさせられた。


「ゆーまはこういうの、やだ?」

「嫌ではない」

「嫌じゃないってことは好きでもないってこと……?」


悲しそうに視線を伏せた彼女に、心臓が跳ねる。なんというかその、行動一つ一つの印象が普段と違い過ぎていて落ち着かないのだった。


「好きだけどもが」

「………ほんと?」

「ああ、かわいいよ」


過度に神経をすり減らしながら叶に賛辞を述べる。

その一言だけで表情を輝かせた彼女に手を引かれた。柔らかい、すべすべとした肌が颯の理性をがりがりと削っていくのだが、彼女はそれに頓着する様子もない。


べりっと握りしめている叶の手を離し、その瞬間に悲しそうな表情をした叶に言い聞かせた。


「水着で触れ合うのはちょっとまずいだろ」

「……そうだよね」

「なんで納得いかない顔なんだよ」

「だって、………寂しいじゃん」


その小動物のように拗ねる彼女に、颯はどうしたらいいものかと息をく。


自分でも少しおかしくなっていることを自覚しながらも、彼女を抱きしめるために手を伸ばした。一瞬逃げようとした彼女の背中に手を回す。

叶の柔らかさやいい匂いやその滑らかな肌までが、颯の大切なものをいろいろ奪っていく気がしたが、それを気にしてもいられなかった。


手を離すと、真っ赤になって固まった彼女がいた。凄いことになっている彼女を見て、颯は逆に落ち着く。


「は、え、えっと……?」

「で、触れ合うのがちょっとまずい理由がわかりましたか?」

「………は、はい」


悪いことをしたかなと彼女の表情を見て思った。そこまでひどいことをしたかったわけではなかったのだが。自分の気恥ずかしさを分かってもらいたかっただけで。


「で、でもっ」

「どうした?」

「手は繋いでたい、……です………」


小さく俯きつつ言う彼女に、心臓が跳ねるというかなんというか。本当に俺じゃない奴が好きなんだろうかと、疑いたくなるような言葉だ。

自意識過剰な自分に嫌気がさしつつ、彼女に手を差し出す。目を輝かせた彼女が優しくその手を握った。


その幸せな表情は、どうにも形容しがたいほどだった。


「で、どこ行きたい?」

「私はとりあえず水に入れてればいい」

「泳ぐの苦手だったか?」

「………人間は陸上で生活する生物だから」

「魚に歩けと言ってるようなもんだしな」

「その例え秀逸」


握られたままの手とすぐ近くにいる彼女を意識しないように話を変える。とりあえずと近くのプールの中に体を沈めることとなった。


水の中に入ると、体が重くなる感覚と共に冷たさに身を包まれる。高校ではプールに入らないので若干久しぶりのそれに体を驚かせつつ、びくびくとしている叶をプールの中に引き込んだ。


「ひょえっ」

「別にそんな反応するようなものじゃないだろ」


手を引かれてプールの中に入った彼女は、驚いた拍子に颯に飛びついてきた。いろいろと危ないのは変わりがないのでやんわりと彼女を剥がす。

それにも気が付かないようで、あたふたとしたままの彼女がいた。


「………いや、なんか普段はあるはずの地面がないから困ってる」

「泳げばいいのでは」

「や、泳げん」

「ま?」

「ま」


前にプールに来たときは普通に遊んでいた記憶があるんだが。……と思ってそのときどきの記憶を探ってみると、叶が泳いでいる姿はどう頑張っても思い出せなかった。少し衝撃だが、泳げないらしい。


「なのにプール行きたいって言ったんだな?」

「や、行きたかったんだよ……」


颯の指摘に撃沈した彼女は、プールのへりを掴んだままでいる。

どうしたものかとため息を吐いた。


「泳ぎの練習だな。まずは」

「え?」

「いや、そりゃあ泳げた方がいいだろ」

「そうだけどもが……」

「じゃ、そういうことで」


プールのへりに捕まって手放そうとしない彼女の手を取り、岸には届かないところまで持ってくる。「むりやて」と遠い目をした彼女に、バタ足をするように指示した。


「足を動かしてくれれば。……とりあえずは動くんじゃねえか?」

「頑張ってみる」


最初はぎこちなかったが、さすがに呑み込みの速い彼女で、だんだんと体が浮いてくるようになった。別に水泳を習っていたわけでもない颯はどう指示すればいいのかと考え込む。とりあえずはバタ足が出来れば、プールを楽しむ程度はできると思うのだが。


「ま、いいか。バタ足できればそれで」

「おえい?」

「ほら、がんば」


ゆっくりと手を離すと、彼女は一瞬焦ったもののバランスを取った。


「できんじゃん」

「おおお、できたー!」


バタ足を生かしているかとかそういうことではなく、水に慣れてしまえば苦戦することもなくなるだろう。

友人と泳ぐうえでクロールが速いほうがいいなどはないだろうし。移動に時間がかかると言えばそうかもしれないが。


嬉しそうな叶の様子に、どうでもいいかと考えを放棄した。


「やった、泳げる……!」

「いや、泳げてはないけどな」

「いいじゃん、成功に浸ったって」

「よく頑張りました」


自慢げな表情の彼女の頭を撫でる。

それに、叶はより一層の笑みを浮かべた。




その頃、颯と叶を見て。

周囲の観客プールのりようしゃは「あのカップル初々しくて尊い」と降って湧いた幸運に感謝していたのだった。



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作者注。

「ま?」は「マジで?」の略です。

作者の友人が使ってました。わかりにくいとあらば、そいつにすべての責任があります。

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