第”(話

散歩と言っても、遠くに行くような大規模なものではない。さすがに田舎ともなると、長距離を歩いても景色が変わるものではないし、気分転換ということで外の空気を吸って戻ってくるだけのことが多かった。


普段は。


今日は、叶が行きたいところがあるらしい。またも当然のようにつながれた右手を居心地悪く思いながら、叶に手を引かれて歩く。

当の叶は、子供のような好奇心を隠すことなく表情にしていた。


「最近ね、綺麗な景色の所見つけたの」

「散歩にはまってるって言ってたもんな」


そういった話を聞くようになったのは、高校入ったあたりからだろうか。ともかく、叶はよくそういった話を颯にしていたのだ。


景色がきれいだの、面白い虫を見つけただの、静かな場所があっただの。いつか案内してくれると言われるには言われていたのだが、実現することなくその話題も忘れ去られようとしていた。今は、それが実現している。


自分の好きなことに関する話をしているときの叶の表情は、それはそれは純粋で颯の記憶に鮮明に残るものだ。颯は、叶のその純粋な感情表現が好きだった。


「ちょっと遠いんだけど、大丈夫?」

「母さんには報告したし、大丈夫だろ」

「そうだよね………。見せたかったんだ。すごい好きな景色だから」


叶の散歩というのは、長距離の走る練習を兼ねたものらしい。

そのため、遠くまで行くことができるのだと。


その距離を歩くということで叶は心配そうだったが、颯としては遠くまで歩くことに抵抗はなかった。叶と一緒に居れるのであれば、文句を言いたいなどということはない。なおも心配そうな彼女に言葉を重ねて安心させる。


颯は何気に楽しみだった。叶と同程度とまではいかないものの、綺麗な景色が好きだ。彼女のおすすめとあればことさら気分も弾む。


「どういう場所なんだ?」

「それは、ついてからのお楽しみにしよっかな。でもすっごい奇麗な景色のところだよ」

「叶のお墨付きか。楽しみだな」

「そんな過度な期待はしないでほしいけど……。落ち込んだときとかは、そこに行くと気分が落ち着くんだよね」


にしし、と楽しそうな笑みで彼女は言う。

颯は、叶の一言が胸に引っかかっていた。


「落ち込むことなんてあったのか?」

「……それは、少し」

「相談乗ってやれなかったんだな。……すまん」


叶のすぐそばにいるつもりだったのに。彼女の悩みにすら気が付けていなかった自分が悔しい。

そんな颯の様子を見て、叶はあたふたと焦る。


「いや、ゆーまに相談するのはちょっと難しいっていうかお門違いっていうか」


重ねられた言葉に気が沈んだまま見つめると、彼女は言いずらそうに視線を逸らした。「大丈夫だから……、安心して」という彼女に、やはり疑問はぬぐいきることはできない。

疑問、というか不安なのかもしれない。叶の悩みが、自分には相談できないものだということが。叶が苦しんでいるのでなければいいのだが、それすらも颯には知ることができないから。


ごまかすように彼女の頭を撫でた。叶は颯の機嫌が戻ったとでも思ったのか、僅かに安堵の表情をちらつかせる。それが微かな負の感情の塊となって胸を穿つのだった。


太陽はもう傾きかけ。


「帰るときには暗くなっちゃうかもしれない………。ちょっと不安だな」

「綺麗な星空が見れると思えば。別に怖くもなんともないだろ」

「……ちょっとは、怖いよ」


怖い、のか。

颯からしてみれば、少し暗くなった程度で普段の道が恐怖の対象ではない。ただ彼女は怖がりだったりもするので、颯とは違うのかもしれない。


「まあ、何かあったら俺がいるから」

「………守ってくれるの?」

「そりゃあ守りますとも」


即答した颯に、叶は嬉しそうに頬を緩ませる。「そっか」と小さく呟いてから、家を出た後一度も離れていない颯の手をさらに力強く握る。


午後も午後。少し傾き始めた日を背に、二人は歩いた。






あまり高くない山の中腹にある神社。ここが彼女の目的地だった。

散歩でこれる距離と言っても、やはり家からは遠い。颯にとっては初めて知る場所で、思わず目を輝かせた自分を叶は嬉しそうに眺めていた。


「マイナスイオンすごいよねー、ここ」

「………気分をマイナスにすると噂の」

「言うと思ったー。でも、ここは本当に落ち着くんだよね」

「だな」


鳥居の根元が少し蔦に絡まれているような、人手の入っていない様子が見て取れるこの場所。気分が落ち着くような不思議な雰囲気があると言えば、その通りだ。

深く息を吸い込んでみると、夏にしては少し冷たい空気が肺を満たした。少し湿ったそれが、妙に心地いい。


叶に案内されるのについていき、神社の奥へと進んでいく。日の光を遮っている木々は時折途切れ、石造りの参道が点々と柔らかく照らされていた。


「ほんと神秘的っていうか、なんていうか。こういうのは田舎の特権だと思うの」

「確かに新鮮だよな、こういうところ。俺はかなり好きだわ」

「えへへ、よかった」


かなり昔に作られたのか、手入れはされていないようだ。

ぼろぼろで崩れかけている本殿を見て、颯はそう思う。


長い階段を上るときにはさすがに手を離していたが、今はまた繋がれている。その手を引っ張って、奥へ奥へと叶はまた進み始めた。


「この奥に、すっごい奇麗な景色のところがあるの」


参道、というか獣道とでも形容したくなるような道。ちょうど顔のあたりに木々の枝が伸びていて、それを払いのけながら進んでいく。

さすがに叶をその中突き進ませる気にもならなくて、颯が先陣を切っていた。


その中を進むのは、思ったよりも短く済んだ。とは言っても腕を刺す枝に嫌気がさしていたころ、視界が一気に開ける。


「おお……」


思わず漏れた感嘆の声に、叶は満足げに鼻を鳴らした。


少し高い位置から、遠くまで広がる山々と、その間にある街並みを眺めている。

傾き始めた赤く燃える夕日が、町を照らしている。

青々とした森が、今では薄暗い紫と赤とに染められている。

グラデーションの空が、見ている間にも動いているかのような夕日の動きを追いかけている。


まるで映画の一部を切り取ったかのような綺麗な景色がそこにあった。

呆けたままの颯を叶がつついて、それでようやく我に返る。


「どうよ?」

「………これは凄いわ」

「でしょでしょ」


褒めて、と叶が頭を擦り付けてきた。その頭をいつものように撫でるが、心はどこか目の前の景色に奪われたままで。


自分が悩んでいることが馬鹿らしくなるような景色。


「ありゃま、珍しくゆーまが心を奪われてる」

「……割と感動してる」

「見てれば分かるよ。真剣だもん」


邪魔しないから、と言って叶は手を握ったまま静かにしてくれた。

叶とのことで悩んでばかりだ。もう少し素直になろうとか、気にしないようにしようとか。


でも、自分は自分らしく。これからもそれでいい。


恋愛に関して上手くいかない自分をどうにかしようと今まで努力していた。それが、今決着がついたような気がした。


満足して叶の方を見ると、彼女はこちらを見つめていた。


「どうした?」

「いや、真剣だったなって」

「そうか」


彼女に見つめられてやはり高鳴る心。今ではそれが心地いい。


「………私は、ゆーまの横顔好きだよ」

「ありがとう」


彼女に褒められるのは、嬉しい。

ただ、その言い方は誤解を生みかねないものだった。ほかの男子にやっていたらと思うと、胸が苦しくなる。


「そんなこと言うと勘違いされるからな」

「………ゆーまだけだから」


へにゃりと笑った彼女が愛しくて。

彼女の手を引いて、きた道を戻る。

神社前の階段を下り終わったときには空が少し薄暗かった。


飛行機雲が西日に向かって堕ちていった。

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