第!)話

彼らは食事を終えた。非常に楽しい時間だったが、幸人らにとっては甘すぎる時間だったようで、仕事があると言って屋敷の奥の方へ消えていった。

さすがに仕事をしているときに同じ家の中でバンド演奏をしているわけにもいかないだろうと、まだ出しっぱなしだった楽器たちを仕舞ってリビングに再集合したのである。


「で、何をしたいかっていう話なんだけど」

「里奈さん。俺遊びたいです」

「言わなくても分かるって海斗の意見は。………で、颯さん」


どうですかね、と伺ってくる彼ら二人に、横にいたはずのイノと叶と大樹が同調した。別に俺に最終決定権があるわけでもないんだが、と颯は頭を掻く。


何やらこのグループの中で颯は、勉強面に関して一番真面目だと思われているらしく、遊びの許可を願うのはいつも決まって颯なのだ。彼もそれを避退したいわけではないのだが、判決を下すたびに悲しそうな表情をする友人たちには辟易としていた。


まあ、容赦なく勉強させるんだが。


「勉強してからな。お前ら高校生だからな」


全員が一斉にうなだれる。その中でも特に叶の落ち込みようは激しかった。ただ単にゲームがしたかっただけでなく、みんなで遊ぶの楽しみにしていたと、見ていればわかる。

僅かばかりに痛む胸を言い訳に、わざとらしくため息を吐いた。


「三時間勉強したらゲームで」

「………えー、長い」

「シバくぞ里奈」

「ひょぇ」


まあまあゲームの許可を出してくれたのだからと、颯の辛辣な様子に落ち込んでいる里奈を海斗が慰めた。颯の性格が特段厳しいわけではないのに。

こうした役回りを任されることが多く、きつめの対応が板に付いてしまったのである。


「ほら、まだ一時なってないんだから三時間なんてすぐ終わるだろ」

「へーい。遊びに来たよー」


さすがにいつも颯と一緒に勉強している叶は準備が早く、颯の荷物を手に持って彼女が寄ってきた。そのバッグの中には二人分の勉強道具が入っている。


そして、仲良くお勉強である。

ほかのメンツは、叶と颯が真っ先に席について勉強をし始めたのを見て、渋々と言った様子で勉強を始めた。まあ、彼らも勉強し始めてしまえばこんな嫌々ではなくなるだろう。勉強というのは始めるときが一番辛いものだから。


海斗は勉強道具を持ってこなかったらしく、里奈に平謝りして教材を貸してもらえるよう頼みこんでいた。里奈は海斗に頼られたことが嬉しかったようで、わずかに耳を赤に染めている。イノと大樹も勉強道具をもってソファにどかりと座り込んだ。


全員が一応は勉強を始める気になったらしく、安堵の息を颯は吐く。

なんとなく、人に勉強を強要したりするのは心苦しかったりするのだ。


「ねー、ゆーま。これ教えて」


そんな颯の気苦労を分かったかわかっていないか、叶が颯にすり寄ってきた。その頭を優しく撫でつつ、目を細める叶を愛でる。


どれだどれだと問題集を覗き込むと、数学の発展問題だった。颯は数学が得意とはいえ、正答率には不安が残る部分だ。

少し考えた。


「一次独立の性質はやっぱ難しいからな………」


教科書に書いてあることなども駆使しながら、なるべく簡単に説明していく。一番重要なところでは参考書の文章を引用したりしながら、噛み砕いた話をした。


ベクトルというのは自分の中でも課題だったのでうまく教えられている気がしないが、叶は話を聞いて目を輝かせた。


「そーいうことか!」

「そ。とりあえず自分でやってみて」

「了解!」


自分のつたない話でよく理解できたなと思いつつ、叶を褒めるために頭を撫でる。「ありがと」と、楽しそうな笑みを浮かべながら彼女は言った。


結局はその問題を無事に解くことができたようだ。途中での計算ミスがあったため最終的な答えに違いはあったが、模範解答を見て理解しているようだから大丈夫だろう。あとは慣れるしかない。


数学Bなどに出てくる問題は、やはり途中での細かいミスが出やすい。自分で解いていているとき、気を付けていてもやはりどこかで勘違いなり計算間違いなりがあるのだ。

ままならないものだな、とため息をつきつつ、自分も教材を開いた。どうせ同じ内容をやることになるのだから、と真美に同じものを買われたので、叶とは同じ問題集である。三段階でレベルが上がっていくありがちなやつで、叶より少し成績のいい颯にとっても勉強になるものだった。


今自分の弱点を克服すべきは、世界史である。横文字の人物名を覚えるのはどうにも苦手で、そこに場所の名前や中華系まで混ざってくると頭の中がてんやわんやだ。

珍しくこの分野では叶と近い成績になっていて、世界史をするときには、颯が叶に教えるのではなく、二人で協力して解くことが多かった。


数学を一通り解いて満足したらしい叶が、颯のやっている世界史に気が付いて寄り掛かってきた。甘い匂いと柔らかい香りが颯の理性を襲う。


「……どした?」

「私も一緒にやりたかった」

「……数学やってたから邪魔かと思ったんだが」

「ううん。私もやる」

「おっけ。じゃあ一緒にやろ」


ぱぁ、と顔を輝かせた叶が世界史の問題集を取りに行って、颯の胡坐をかいた両足の間に収まった。さすがにこの姿勢で勉強するのは難しいとも思ったが、二人で同じものをやる時ぐらいは大丈夫だろう。

ただ、さっきより危ない姿勢になっているため、颯の精神が心配ではあるのだが。好きな女子と接触することに慣れるかと言われれば、いくらしても慣れないと言いたい気分だった。


「あ、わたしこれ分かる…………、気がする」

「楔形文字を使ってるから?」

「……え、っと。スルメみたいな感じだった気がするんだけど」

「すげぇ遠いなおい」

「あ、あ、あ、あ!シュメール人!」


よくスルメからそれが出てきたな、と相槌を打ちつつ、二人とも自分の問題集の同じ解答欄に解答を記入していく。きちんと分かったことが嬉しかったようで、叶はにししと笑った。


「じゃあゆーま、これはどう?」

「……全然わからん」

「アケメネス朝倒したところだよ?日が明けねえっす、お金なんかイラン農耕民の」

「いや、さっきから語呂合わせが遠いんだよな」

「……そう?」

「まあ、叶が覚えられてるんだったらいいけどさ。そういえばササン朝だったなこれ」

「よくできましたー」


颯の頭を撫でようと、叶が手を伸ばした。届かないようなので頭を屈めて撫でられるようにする。ひとしきり撫でて満足したようで、叶が手をぱたぱたとし始めた。


颯は口に出すことが出来なかった。ササン朝を「農耕民太陽サンサン」で思い出したことなど。自分にとって都合の悪いその考えを打ち払い、次の問題に移る。


「ゼロの概念ー。インド人のニュースゼロ」

「インド人古代にニュースなんてやってたのかよ」

「知らん」

「だよねー。知ってた」


ずっと触れ合っていたせいで叶耐性が麻痺してきた颯は、ほぼ体重を叶に預けていた。二人は距離が非常に近いまま、夏の熱さなんてものともせずに問題を解き進めていく。


「逆にインド人がニュースやってたらどんな感じになると思う?」

「あうんやあちゃらはい」

「ごめん、なんて言ったかわからないんだけど。ねえねえ」

「彼はお刺身美味しいですと言っています」

「なぜに」


さすがに二人でやっていると、二人とも分からないというのは少なかったりする。もちろん明らかに難しく、見当もつかないものもあったが、そういうときは社会専門家の大樹先生に聞いた。


颯の足は叶がずっといたせいでしびれていたりもしたのだが、自分も足と叶が近くにいることを天秤にかけた結果、何も言わないことにした。非常に幸せである。

たまににこにことした叶がこちらを見つめてくるのも、颯は嬉しかった。




そんなこんなで勉強すること三時間。

それぞれが、適当に息抜きをしつつも勉強していたので、思ってたよりも早く終わった気がする。ただ、里奈と海斗はそうでもないようで、だらけ切った姿勢で机に突っ伏している。


イノは無表情だ。大樹は無表情で寝ていた。おい。


叶も少し疲れたのか、ゆっくりと撫で続ける颯の手に頬を擦り付けている。ふにふにとした柔らかい頬を優しく指先で撫ぜながら時計を見た。


もう四時になるかという頃だ。その時計を見た彼の視線に気が付いたのか、田島さんが一歩前に出る。


「よろしければ菓子でも用意いたしましょうか?」

「ああ、田島さん頼んだ」


その問いには颯ではなくイノが答えた。彼女は甘いものが結構好きだったりするので、食べたかったのだろう。


「あ、イノ。あたしも持ってきたから、それも」

「了解。ちょっと大きめの皿を用意してくれる?」

「わかりました」


さすがは執事という綺麗なお辞儀で田島さんが廊下に消えていった。冗談を言ってくれたり、同じようなノリで接してくれたりとおちゃめな田島さんがだが、こういうときは切り替えが速い。


ほどなくして、手に菓子類の入った大きめの籠のようなものをもって田島さんが現れた。それを受け取った里奈が、自分の持っていたお菓子類をその中に追加した。


幸人の手伝いをするからと言ってまたこの部屋を出ようとした田島さんに、全員からのお礼がかかる。それに笑顔で対応してから、先ほどと同様の綺麗なお辞儀で部屋から外に足を踏み出した。


里奈は、今日持ってきたお菓子類をイノに報告している。今日持ってきたのはチョコレート菓子のようだった。


「今日のお礼ってことで。イノ、ありがとう」

「まあ、家は父のだけど」

「それでも、ね」


一応そういったものを持ってくるようにしていたのだが、さすがに全員が持ってくると食べ切れなかったりするようで、幸人に意見を出された結果一度の訪問で一人が何かを持ってくることになったのだった。

今回は里奈がその担当だ。


バスケットが先ほどまで勉強していた机の上に置かれ、叶は目を輝かせてお菓子の山を眺める。そこまで山盛りというわけでもなかったが、六人分ともなればそこそこに多かった。


「おいしそー!りなりな、ありがっとー」

「どういたしまして」

「ありがとうな。叶が喜んでる」

「そうだよね。颯はあんまり甘いもの好きじゃないもんね。ごめん」

「いや。叶が喜んでるし。田島さんに用意してもらった分食べるから気にせんでいい」

「はいよー」


里奈とほかのやつらが問答するのを横目で見ながら、田島さんが用意してくれたお菓子のうちの一つ、お洒落なパッケージのポテトチップスに手を伸ばした。


口に運ぶと、山椒の香りが広がる。薄く効いた塩味も相まって、思わず次も手を伸ばした。これは止まらなくなるやつだと思いながら、叶にも一つ差し出した。

颯の手のそれを、叶がパクリと食べる。おいしかったようで、無心で咀嚼していた。


「うまいね。これ。止まらんやつや」

「それな。止まらん」


叶からもどら焼きが手渡され、一口かじる。少し主張の弱められたような甘みが口の中に広がった。甘すぎるものが苦手な颯にとっても、おいしいと思える味だった。


「うまいな。これも」

「でしょ」


なぜか叶は自慢げな表情をした。わざとらしくじっとりとした視線を向けると、彼女はにししと笑う。




そうして食べることに夢中になってたからだろうか。颯は気が付かなかった。

叶が食べていたものを、躊躇いもせず口に運んだことに。


叶自身も気が付いたのは食べさせた後のことで、赤くなった耳をごまかすために髪を下ろした。それを見た颯が頭を撫でてくるものだからより一層頬の熱は収まらず、叶は悲鳴のように嬉しさを吐き出す。


なんか幸せだよなぁ、とこの現状でさえも楽しく思えてきた。それが妙に気恥ずかしいのだった。

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