第)話

朝食を食べ終えまったりと談笑を始めた大人たちを残し、叶と颯はキャンプ場の中を散策していた。


普通であれば小さな男子がやるような行動を叶は問っていた。そこら辺の木の棒を拾っては投げ、颯はと言えばそれを見守っている。


「ねー、ゆーま」


ひとしきり遊んで満足したのか、思い出したように颯の方を振り返った。


「どうした?」

「水鉄砲とか持ってきたっけ」

「一応持ってきたぞ」

「じゃあ明日はそれであそぼ?」

「わかった。水着類は持ってきたのか?」

「持ってきた、……気がする」


叶は一瞬不安そうな表情を浮かべるものの、まあいっかと適当に片づけてまた楽し気に笑みを浮かべ始めた。


もうそこらへんに落ちているもので遊ぶのに飽きたのか、次は颯にちょっかいを出してきた。つんつんとつつく叶に体格差で反撃する。ふにゃっ、などと叶は悲鳴を上げた。


「………ずるい」

「なぜ」

「私が一方的にいじるのができない」

「しなくていいやろ、別に」

「えー、やだー」


此方は十分してやられているのだが、それは胸の内に秘めておく。

叶にちょっかい出されるたびに鼓動が早くなっているのがばれたら恥ずかしいなんてものじゃない。


胸を内側からい突き動かされるようなこの想いを悟られたくなかった。


「昨日はこっちあんまり来なかったね」

「そうだな。去年までは俺一人だったからよくここまで遊びに来てた」


叶の視線の先には少し大き目な川がある。流されるような心配するほど流れも深さもあるわけじゃなく、遊ぶにはもってこいの場所だったのだ。

これまでこのキャンプ場に来たときに、いつも颯はここに足を浸してずっと座っていた。


「靴ぬいであそこに座って足付けると気持ちいいんだわ、これが」

「たしかに。やってみよー」


テンション高く走り始めた叶に「転ぶなよー」と声をかけながら颯はゆっくり歩いて追いかける。


靴を脱いで川辺に座り、足を水の中につける。

夏にしてはひんやりと感じる流れが、足を撫でていく。ぱしゃぱしゃと水で遊び始める叶の姿が、夏の日の光を浴びて妙に奇麗だった。


「冷たくて最高だね」

「そうだな」


ぼうっと遠くを見る。

ゆったりとした時間が過ぎ去っていく。

胸の内に未だに残り続ける悩みすらも川の流れと一緒に流されていくような気がした。


「こうしてゆったりするのもいいよね」

「叶はだらだらするの結構好きだからな」

「なに、さぼり気味だって言いたいの?」

「別にそういうわけじゃないよ。ゆっくり過ごすのが好きだなって。それだけだ」


叶の頭に手を伸ばし、その柔らかい髪のひと房を指でなぞる。


「好きだよ、こういう時間」

「そうかい。それはよかった」

「………えへへ」


こてん、と肩に叶が寄り掛かってくる。甘い香りに思わず肩を驚かせるも、叶の幸せそうな表情を見て、どかす気にもならなかった。


肩にかかる重みが心地いい。風が叶の髪を揺らした。


「ゆったりしてるときってさ、なんか何も考えないで済むよね」

「そう、かもしれないな」

「うん。私は特に悩みとかが全部なくなる気がする」

「ああ、それは俺も」


悩み、俺にとってはすべてが叶のことだが。

確かにこういう時は意識しないで済む。隣に叶がいるこの状況は抜きとして。


まあ、隣にいるとしても「誰かに奪われるかもしれない」という悩みが今は薄れているような気がした。

………誰かに奪われる、なんてもともと自分の物のような言い方になってしまったが。


「叶は悩みなんてあるのか?」

「………うん、あるよ」

「何を?」


すぐには返事は帰ってこず、少しの間沈黙が場を支配する。叶の方を見ると、頬を薄く染めていた。


また、この表情だ。自分とはどこか遠くに行ってしまったような。


嫌になった。


「私の好きな人。……私大好きだからさ。悩みも多いんだよ」

「そうか」

「うん。どう頑張っても意識してくれなくてさ。友人の範疇から抜け出せなくて」

「へえ」

「………なんか、辛辣じゃない!?」


なんでなんでー、と叶がすり寄ってくる。

はいはい、と適当にあしらうと、叶は寂しそうな表情を作った。その表情一つで許そうと思ってしまう自分は弱いのだろう。

それでも、彼女が傷ついた表情かおは見たくないのだ。


溜息をつきつつも、ごめんと謝る。叶は何も気にしていない風に満面の笑みを浮かべた。その表情も、いつかは誰かに向けられるものとなるのだ。


「嫉妬するよ」

「え、誰に?」

「その男に」

「………マジで?」


やたらと楽しそうな表情の叶を、自分の感情をごまかすようにがしがしと撫でた。颯のその照れ隠しの行動でさえも嬉しそうな彼女の表情が、心臓を突き刺す。


「俺の方がずっと長くいるのに」

「………そうだね」

「寂しい」

「………ありがと」

「どこにも行かなければいいのに」

「…………うん」


叶の耳元に手を伸ばす。

颯の手が触れた瞬間に、彼女がぴくりと体を震わせる。それにも頓着せず、耳元から首筋に掛けて指先でなぞる。


叶の少し荒い吐息が漏れた。


手を放す。

少し涙目になった叶の双眸が颯を見上げる。颯の中に薄く後悔が広がるのが分かった。


「ごめん。やり過ぎた」

「…………ん、許す」


叶がそっぽを向いて、そっけなく返事をした。

申し訳なくなりながら頭に手を伸ばすと、ピクリと体を震わせ逃げられる。


「ちょっと飲み物持ってくる」

「………わかった」


叶は感情の見えない表情のまま靴を履いて走り去っていった。その小さな背中が見えなくなってから、長くため息を吐く。


叶が絡むと、何もかもがうまくいかない。感情だってうまく扱えず、どう彼女と接すればいいのかわからない。

どこまでも不器用な自分に嫌気がさした。


もっとこうすればよかったとか、あり得ないような過去の改装しかできなくて。今を変えようとし過ぎて空回りして。


もういっそのこと距離を取ってくれればいいのに、と思う。そうすれば、諦めがつくのに。そうすれば、ここまで恋焦がれなくて済むのに。


前にここに来たときとは違う心境を抱いて、前のようにただただ景色を眺めていた。






「ゆーまー!!」


自分の名前を叫ぶ声が聞こえてきて、ぼうっとしていた意識が明確になってくる。


後ろを振り向くと、満面の笑みを浮かべた叶が其処にいた。

いつか着ていたようなワンピースを今日も着ていて、元気な笑い声がよく似合う叶が。


そのすこし短めな柔らかい髪を風に揺らして、駆け寄ってくる。


「どうした?」

「なにって、飲み物取ってきたんだよ」

「…………そうか」


何言ってんのゆーま、と楽しそうに寄り掛かってきた。どうとも反応できなくて、差し出されたお茶のペットボトルを手に取る。


「さっきはごめんな」

「べぇつに。びっくりしただけだし。気にしなくていいよ」


ていや、と颯にかわいらしいパンチを入れてくる。そんな過去の話を持ち出さないでよ、と顔に書いてあった。


思わず、苦笑してしまった。


「どうしたの、ゆーま?」

「別に。叶が戻ってきてよかったなって」

「えー、飲み物私だけが飲むと思ってたの?心外だなー」

「そんなことないけどな」


颯が叶に微笑みかけると、小さく返事をした彼女は前髪をいじりながらそっぽを向いた。


その耳は、薄く桜色に染まっているように見えた。

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