第#話

「ハヤちゃーん、遅れるわよー」


一階から母親、真美が颯の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。「すぐ行くからちょっと待って」と声を張って返事をし、自分は大きめのオレンジ色のバッグの中に着替えを詰め込む。


一階に駆け下りると、そこには真美と智が待っていた。


その手に持たれているのは、ランプ、テントの用意、寝袋………。何を隠そう、キャンプの用意だ。


「じゃ、行きましょうか」

「そうだね、行こうか」

「ん」


最後に詰め込まなくてはならないものを持ち、自分の家のものではない車に乗り込む。そこに待っていたのは、三名のにぎやかな家族。


「あ、ゆーとおはよ!」

「昨日ぶり、叶。博人さん、希子さん、今日はよろしくお願いします」

「あらあら、かしこまって。気にしなくていいのよー」

「颯君。こちらこそよろしく。………智たちのほうが抜けてるんじゃないか?颯君はここまでしっかりしてるのに」

「ま、息子が支えてくれるから大丈夫だよね。なあ、真美」

「そうよー。しっかり者なんだから」


大人たちは、今日から数日間の休みを取るために昨日必死に仕事をしていたらしく、昨日とは打って変わってにぎやかだ。


ことの発端は去年の夏だ。

毎年毎年家族ぐるみでどこかに出かけていたものの、何か新しいことがしたいとキャンプの案が出た。ただ、親たちの休みの日程が合うことがなく、仕方なく今年に持ち越しになったのだ。


そしてその結果がこれ、たがの外れたような大人たちの姿だった。


「博人さん、事故なんて起こさないでくださいよ」

「安心して。希子じゃないんだから」

「あら、ひどいわ博人」


そう言って博人は苦笑した後、頬を膨らませる希子の頭を撫でた。


ほらそこ、何かにつけて仲睦まじくしないでくれ。っていうかうちの両親もいちゃいちゃしないでほしいんだが。


「大丈夫だろうか、これ」

「大丈夫だと思うよ。ゆーまがしっかりしてくれるし」

「俺だって楽しみたいんだが……?」


半ば癖になってきているようなため息を吐きつつ、車の中の光景を眺める。

叶の家には大きな車が一台あって、どこかに出かけるときはいつもその車に乗せてもらっていた。

今はその車に所狭しとキャンプ用品が並べられている。運転席に博人、助手席に希子、その後ろに智と真美、そしてその後ろに颯と叶が座っていた。


「じゃ、出発しますよ」


博人がそう言いながら後ろを振り向いた。


「おっけでーす」と真っ先に元気に答えたのは叶。

「りょ」と颯が短くそれに続く。

「やっほー、行くぞー!」と無駄にはしゃいでいるのは真美。

「博人、頼んだ」は智の言葉。

「頑張って博人。無理しないでね」とねぎらったのは希子。


一斉に叫ばれた言葉に博人は小さく笑ってから、車を走らせ始めた。

外の景色がだんだんと後ろに流れていく。荷物が大量に乗せられた車は重そうに揺れ動く。


叶がはしゃいでいるのを眺めながら颯は、少しばかりの期待を胸に宿らせた。






そして数時間車の中ではしゃぎまわり、途中で食用品などを買い足して、住んでいる町から離れた森の中のキャンプ場にやっと着いた。


「運転ありがとうございました」

「大丈夫だよ。これも大人の仕事だからね」

「荷物、何か運びますか?」

「じゃ、これお願い」

「私もやるー!ゆーま、それ貸して!」


もう既にテンションが爆上がりして使い物にならない颯の両親たちを、諦めの視線で希子が眺めている。

そんな現状役に立っていない生みの親とは反対に、颯はしっかりと自分の仕事を果たしていた。


「颯君も大変だねぇ」

「そんなことないですよ希子さん。あの人たちは騒がしいですけど……まあ、楽しいですから」

「………もうどっちが大人だよって感じに聞こえるわ」


思わず苦笑を漏らしてから、自分の荷物を今回泊まる区間の端に敷いたレジャーシートの上に置いた。一通り荷物を運び出した後、泊まるためのテントを設置する準備に入る。


大量にフレームやらポールやらが置かれている場所で、叶がひもがほどけなくて苦戦していた。


「どうした叶」

「私、不器用みたい」

「今更かいな。何年自分の体と付き合ってきたんだよ」

「…………あれ、何年だっけ」

「せめて自分の年齢ぐらいは覚えてような」


貸して、と叶の手からポールの塊を受け取る。まとめるためにきつめに縛ってあったひもを爪の先でまんでほどいていく。


「うし。できた」

「上手!」

「とりあえず自分でできるところやっといてほしい」

「ありがと。やっぱゆーまは頼りになりますなぁ」

「家族でキャンプした時は俺がテント設営係だったからな」


何気に家族でキャンプをしたりする機会はあったのだが、毎度毎度今日のような雰囲気になってしまう両親は使い物にならないので、颯がもっぱら仕事していた。


そういうところも含めてキャンプは好きだったので、文句を言うつもりはないが。……もう少し大人の威厳というものがあってもいいんじゃないかと思う。


「颯君、ちょっとこっち来てくれないかな」

「わかりました」


博人に呼ばれて行くと、テント設営の説明を見せられる。


「今回はくっつけて設営するよね。その方法がよくわからなくて」

「ああ、大して変わらないんで気にしなくて大丈夫ですよ。場所だけ間違えなければ」

「どのくらいの広さになると思う?」

「テント二つだと何気に広いんで、………今希子さんがいるあたりから敷地の端までですかね」

「確かにその場所だったらほかの場所も広く使えそうだね」

「そうっすね。焚火もあそこですれば上に木がないんで」

「了解。その位置で設営してみるね」

「お願いします。こちらもやっときます」

「ありがとう」


場所は決まったのであとは立てるだけだ。やっとキャンプらしいことができると楽しくなってきた。

高校生になってからはあまり家族で出かける機会というのがなくなった気がする。それで、いつもよりわくわくしてるのだ。


「叶。ちょっと手伝ってほしい」

「おっけ。何持ってけばいい?」

「そこのシート」

「ほいほい」


叶と二人でシートを敷き、その上にテントを設営していく。二つくっつけるとはいってもタープの側を合わせて隣接するだけなので、普段と設営の仕方は変わらない。


在間家のテントは颯と叶、紅葉家のテントは希子と博人が担当している。颯の両親は食事を作り始めている。いわく、手の込んだ夕飯を作りたいらしい。長時間煮込んだシチューは、普段もさることながらキャンプではなおさらおいしいので、期待しておこうと思う。


叶は少し苦戦していたが、おおむねいつも通りテントの設営が終わった。


「博人さん、こっちのテント設営終わりました」

「お、ありがとう」

「ペグ打ち込みしちゃいますね」

「わかった。こっちはもうちょっとで終わりそうかな」

「位置的にはちょうどよさそうですね。お願いします」


叶にペグとハンマーを渡す。ハンマーの数が人数分あるわけではないので、颯はそこら辺の大き目な石を拾ってきて叩き始めた。


数分後、二人のペグ打ちがテントの裏側に来たあたりで叶がすり寄ってくる。


「ゆーま、ゆーま。今日は一段と楽しそうだね」

「そうか?まあ、キャンプでテンションは上がってるかもしれないな」

「にしし、ゆーまが楽しそうで私も楽しい」

「そいつぁよかった」


ほら手を動かせと叶に促しつつ、颯もペグを打ち付けていく。


「楽しみだな、キャンプ」

「そうだな。………家でもいいけど、やっぱ出かける楽しいよな」

「うん。ゆーまと二人きりも楽しいんだけど、ね」


えへへ、と嬉しそうに笑う叶が心臓に悪くて、目の前の仕事の集中した。


「なーんで目をそらすんだよう」とさらに近づいてくる叶の頭を乱暴に撫でて、叶が満足するまでそのままでいる。


「叶は撫でられるの好きだよな」

「そりゃあもう」

「俺はゴールデンレトリーバーが好きだ」

「唐突だね!?私も好きだよ、犬。…………え、何私が犬だって言いたいの?」

「別にそういうわけでは。猫だと思ってるし」

「大して変わらんやん」


うりゃ、と叶が頭を押し付けてくる。

本当に素直な猫だなと内心呆れつつ、立ち上がる。


「俺はペグ終わったから行くぞ」

「ええー、二人っきりの時間を楽しもうよー」

「はいはい。それはこの後いくらでも取れるだろうから今はとりあえず準備な」

「仕方ないなあ。じゃあ、最後もっかい撫でて?」


頭を差し出され、今度は優しく撫でる。


叶が乱れた髪を直そうと、前髪を耳に掛けた。あらわになった首筋に視線が吸い込まれ、自然と鼓動が早くなった。

自分だけが胸を高鳴らせているという状況に感じたなんとなく悔しい思いを晴らすために、叶の耳を撫でる。


「ひゃああ!?」


叶は耳が弱い。それはそれは弱い。


「耳苦手だよなー。叶」

「……ううう」


みるみるうちに真っ赤に染まった叶が、ぺちぺちと叩いてくる。


「ほら、行くぞ」

「………うん、行く」


戻ると、大人たちはもう椅子を用意し始めていた。「すいませんちょっと遊んでました」と言いながら手伝いに行くと、博人さんに優しい笑みを向けられる。


自身の両親を確認すると、昼食を作り始めていた。真美の危なっかしい様子は見てられないが、智がどうにかしてくれるだろう。


叶の方を見ると、楽しそうに笑っていた。


まだ楽しい時間は始まったばかりだ。

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