グリニッジの夕暮れ

獅子狩 和音

第一章 春の日

第一話

 深い森の奥に、整った形の石が等間隔に並んでいる。大小さまざまなその石には、故人の名が刻まれていた。墓地の隅では男が一人、せっせと穴を掘っている。まだ肌寒さの残る冷えた朝だったが、男の額には汗が滲んでいた。穴を掘る男の髪は短く、周囲の緑に混ざってしまいそうな深緑の色をしている。彼の側らには、木製の棺に横たえられた年若い魔導師の遺体があった。

 魔導師とは、名の通り魔導を司る者を指す。火種もなしに火を灯し、風のないところに風を吹かせるその術は、世間では貴重であり、戦いの場や鉱山、探索などで重宝される職業だ。

 流石に、魔導師とあっても病気には敵わねぇか。まだ死ぬような年でもねぇのに、残念なことだ。

 シャベルを地面に突き刺し、男は汗を拭う。彼が掘り進めた穴はまだ浅く、棺を埋めるにはまだ掘り進める必要があった。男は長い息を吐くと、棺の横に腰を下ろす。棺の中には、魔導師が生前使っていた杖や遺品が入った袋、そして遺体に残った魔力が暴走――滅多にないことだが、ときにそれで墓地が燃えたり小さな爆発が起きたりすることがある――するのを防ぐ小さな護符がしまわれていた。雲間から射した朝日に、棺の中の杖がきらきらと光を反射する。杖は木製だったが、その先端につけられた硝子玉が静かに光を反射していた。

 汗が引くのを待つ男の頬を、木々を揺らす柔らかな風が吹き抜けていく。乱れた髪を適当に掻きわけ、彼はぐっと背伸びをした。

「っし、もうひと頑張りすっかな……」

 やれやれと立ち上がった深緑の男は、再び棺を埋めるために穴を掘り始める。開けっ放しの棺に横たわる魔導師の遺体は、白い頬をした黒髪の青年だった。


 日の出を知らせる聞き慣れた鐘の音に、レオンはゆっくりと上体を起こす。窓を開ければ、高く連なった暗緑の山脈と、その麓に広がる平地が薄黄色く照らされ始めているのが見えた。朝焼けの静かな明るみと青々とした緑は目に優しく、澄んだ空気は肺に心地よい。

 あぁ、だが。この国からは、海が見えない。

 エルンシア大陸東部、グリニッジ公国。険しい山々に囲まれた、盆地の小国に海は臨めない。連なった濃い山々を嫌うわけではなかったが、彼にはべたついた潮風が懐かしかった。

 身支度をしつつ、伸びた髪に手櫛をかける。寝癖を直すのが面倒で伸ばしている彼の髪は、夜の海のような深い紺色をしていた。

 長袖のシャツに袖を通し、髪を後ろに束ねる。ズボンを穿き、腰に剣を備えて彼は部屋を出た。兵舎内で鎧を着ることはまずないが、剣だけは常に帯剣しておくのがここでの決まりだ。ここの騎士団に入隊してもう何年も経つが、レオンは他国との争いを経験したことは一度もない。それはグリニッジの君主が賢明であるということと、険しい山を越えてまで手に入れるべきものが何一つないからである。小さな鉱山こそあれ、他国が欲しがるような大きい鉱脈はどこにもない。質素で、平穏な国だ。もともとは他国からの攻撃に備える役割があったこの騎士団も、長きに渡る平和により、今や街の治安を守る役割のみを担っている。

 今日は、騎士団に新しい団員たちが入隊する日である。レオンが受け持つ隊に入隊するのは、合計一〇人の予定だ。レオンは支度を済ませると、中庭に向かうべく部屋を後にした。

「よぉ、レオン。今日も律儀だな」

 ペシッと剣の鞘を叩かれ、左側に目を向ける。小柄な体躯に水色の明るい髪をした彼は、腰に剣を帯びていない。代わりと言わんばかりに、今やめっきり使われなくなった黄泉送りの短剣キドニー・ダガーが腰のベルトに下がっている。この男はいつもこうだ。彼はレオンと同年代の騎士であり、レオンの隊に属する騎士の一人だった。

「またそれか、セロ。いい加減団長に叱られるぞ」

「どうせ忙しくて気づきやしねぇよ。それに、街の中ならこいつの方が動きやすいんだ」

 中庭が見える煉瓦造りの外廊下を、レオンはこのいい加減な男と並んで歩く。レンガ造りの廊下が、こつこつと音を立てた。騎士団の決まりに反しているのは事実だったが、彼には街内戦の実用性を重視するセロの言い分もわからないではない。狭い路地や市場で、レオンが持つような長剣ロングソードは不向きだ。それならばと、刃が短く機動性に優れた短剣を選ぶのは事実理にかなっている。それは本来、戦場で致命傷を負った人間を楽にしてやるための物なのだが……今や強盗や殺人犯をひっとらえるのに役立っていた。

 中庭に着くと、そこには既にほかの隊の隊長や隊員が幾人も等間隔に並んでいる。所定の位置に収まったレオンは、セロとともに前を向いて整列する。そこにちょうど、白髪混じりの男性が姿を現した。

「では、入隊式を始める。入隊者をここへ」

 団長の声に、通路で待機していた団員の一人がさっと奥に消える。ややあって、数十人の若者たち――中には、中年と思しき年齢の者も数人いるが――がぞろぞろと中庭に集合した。

 随分、背が高い新米がいるな。

 レオンは自らの元に集まってきた新米たちの一人に目を向け、ある一点に注目する。そこに若者たちの中でも、頭一つ抜け出した赤毛の女性が混ざっていた。遠目からでも、レオンより長身であることが伺える。その新米は、レオンと遠目で目が合うとぴっ、と姿勢を正した。

 団長の話を聞き終え、入隊式が無事に終わる。レオンはセロとともに自分の部下となる新米たちを集め、中庭の隅で軽く挨拶をする。藍色の髪を後ろに束ね、簡素なシャツを着た彼は、新米たちより一回りほど年上だ。褐色の肌に鳶色の目をした背の高い男を前に、新米たちは背筋を正した。

「私はレオンだ、お前たちの隊の隊長にあたる。初めてのことばかりだと思うが、これからよろしく頼む」

 一〇人いる新米たちは、まだ二〇歳そこそこそぐらいの者ばかりだ。例年通りの人数だが、去年は一二人入って四人が途中で脱退した。今年はできるだけ多く残るといいがと、レオンは彼らを見渡す。クローム、エリウッド、ロウ、オルトス、クレア、ファルロッテ、ユークス、ドニク、フィム……前の方にいた新米から名前を名乗っていき、最後になってしまったのは先ほどの赤毛の彼女だった。そわそわした様子の彼女の目は、明るい黄色をしている。周囲より頭一つ抜けて長身の彼女を、レオンは見上げた。

「どうした、そんなに緊張しなくてもいいんだぞ」

「はい……すいません。アルヴァリタ・レグルスと申します。アルヴァとお呼びください、隊長」

 たどたどしい挨拶とともに、彼女は深々と頭を下げる。白い長袖のシャツに紺の長ズボンを穿いた、質素で動きやすい服装だ。暖かな春風が、兵舎の中庭に抜けていく。緩やかな風が、背の高い赤毛をやわやわと揺らした。

「お前、アルヴァっていうのか。よろしくな」

 レオンと行動を共にしていた彼が、目が合ったアルヴァに声をかける。水色髪の、小柄な青年はセロだ。名前を聞き、アルヴァは深々と礼をする。二人の背丈の差は、頭二つほどあった。

「はい、よろしくお願いいたします。あの、貴方は……?」

「俺はセロ、お前らと同じ隊の隊員だ。よろしく頼むぜ、後輩」

 あんまり緊張しなくていいぜ、と背中を叩かれ、アルヴァがほっと表情を緩ませる。彼がそばにいた小柄な新米にも声をかけようとしたそのとき、別な声が聞こえた。

「なんだ、子供かと思ったら違うのか」

 低く突き放すような声質に、アルヴァが周囲を見渡す。声の主は、茶色い髪をした新米の青年だった。先ほどオルトスと名乗ったその青年は、蔑むような眼差しでセロを見下ろし、次いで自分より大きなアルヴァを見上げた。

「で、お前は態度のわりにでかいな。足して割ったらどうだ」

「セロさんと、足して割るのですか……?」

 オルトスの物言いに、アルヴァは黄色い眼をぱちくりとさせる。当人はそんな調子だったが、そのやり取りにレオンは目を尖らせた。

「こら、オルトス。口が悪いぞ」

「別に、あんたに言ったんじゃない」

 レオンが軽く窘めると、彼は冷えた眼差しですん、と鼻を鳴らす。セロの目つきが暗く鋭利になるのに気づき、側にいたアルヴァは肩を竦ませた。不安げな顔をする彼女に気づき、レオンがその場を宥める。オルトスがそっぽを向くと、セロは「後でぶっ飛ばしていいか」と息を吐いた。

「セロもよせ。確かにあいつが悪いが、アルヴァが怖がっているだろう」

 前途多難な気配を感じ、彼はほかの新米たちの様子を見る。オルトスの態度に眉を顰めている者も数人いたが、小柄な新米の一人は諍いに危険を感じ、アルヴァの後ろにそっと隠れてしまっている。頼むから厄介なのはこの一人だけにしてくれと、レオンは思わずにはいられなかった。


 兵舎内の案内を済ませ、レオンは明日からの予定を仲間たちに伝える。新米の騎士たちには基本的に、午前中に剣の稽古を、午後には掃除や倉庫の整理、馬の世話などの雑務があてがわれていた。

「それにしても、今回は癖のある新米がいたものだ」

 新米たちと別れた後、レオンはセロとともに小隊室で一息ついていた。セロは先ほど突っかかってきた新米のことを思い出し、眉間に深い皺を作る。あの坊ちゃんは何なんだ、と息を吐く彼に、レオンもため息をついた。

「反抗期だろうか……」

「遅すぎんだろ、それは。あの赤いのがさして気にしてなかったからいいものの、気が短けぇ奴だったら喧嘩になってたぞ」

 セロが唸ると、レオンは二度目のため息をつく。まだこれからだというのに、レオンは既に明日からの稽古が不安だった。セロは机の縁に腰かけ、レオンの様子を眺める。視線を感じ、彼は藍色の髪を掻き上げた。

「どうした、セロ。視線が刺さるんだが」

「いや、難しい顔してんなぁと思ってよ。まぁ、あの坊ちゃんは面倒そうだが、ほかの奴らは大人しそうだったろ、元気出せって」

 それにしてもあいつ、羨ましいぐらいの長身だったな。

 セロがぐっと天井に向けて伸びをするのを見て、レオンはあの長身の新米を思い浮かべる。背が高くすらりとしていて、控えめな態度をしていた赤毛の新米。

 ――、アルヴァリタ・レグルスと申します。アルヴァとお呼びください、隊長。

 それが、レオンとアルヴァの出会いだった。

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