抜刀の覚悟


「きゃあ!」


 甲高い叫び声がした。リンナだ。赤く染まった手元から声の方向に視線を移すと,雄大がトルコに突き飛ばされているのが見えた。


「やめてよ! 無抵抗じゃない!」

「いや,まだ目が死んでない。弱いくせに正義感を振りかざしやがって。こういうやつが一番腹が立つんだ。雑魚は雑魚らしく,伸びていたら良いんだよ」


 雄大は重そうな身体に鞭を打ち,懸命に立ち上がろうとする。その鈍い動きに容赦なくビンタをたたき込んだ。雄大の顔は勢いのままに傾くが,すぐにトルコを上目遣いで睨み付けた。


「根性があるじゃないか。でも,何も出来ないと言うことほど情けないものはない。何も大切なものを守れないのだから。・・・・・・そうだ。そんなに根性があるんだ。いいものを見せてやろう」


 トルコは口の端を上げた。もうすでに人間の形を保っているところはほとんどない。鋭利な歯が角度をつけて細かく並んでいる。きっと,噛まれたら引きちぎるまで話してはくれないだろう。

 トルコは雄大に背を向け,リンナの方に歩み寄った。リンナの肩に力が入る。その服はところどころ傷が入っており,力関係はみるからに明らかだった。二人とも,ヒットポイントが半分ほどに減っている。


「お嬢さん。一緒に遊ぼうか。水浴びは好きかな?」

「誰があなたみたいなばっちい人と。身の程を知りなさい」


 速い。リンナが剣を水平に持ってトルコに突進した。トルコは避ける暇も無いように見えた。でも,避ける気が無かったのだとすぐに気付かされた。リンナが突き刺した剣を片手で受けた。


「お前達とは格が違うんだよ。もういいかげん気付け。この世には越えられない壁というものが存在するんだ。さあ,いこう。たっぷりと身体をもてあそんで,それからおいしく頂いてやる」


 やめて,と叫ぶリンナの胸元をつかんで担ぎ,池の方へと歩き出した。やめろ! と雄大は叫んでいるが,立ち上がることが出来ない。

 ライアンの元を離れようとした。ただ,手の力を緩めるとライアンの腹部から血が湧き出てくるのが分かる。これ以上の出血がまずいのは素人にも分かる。ライアンの元を離れるわけにはいかないと自分に言い聞かせた。ただただ,自分に言い聞かせた。・・・・・・ぼくは,あの化け物に勝てないことを心の底から理解している。

 正義のヒーロー何度負けても立ち上がる。アンパンマンだって,少年漫画の主人公だって,一度は破れる。だけど,必ずその後立ち上がって相手に一矢報いいる。ぼくは,・・・・・・ぼくは負けることさえ出来ない。

 


 ピクリとライアンの身体が動いた気がした。その顔を見ると,真っ青でまるで生気が無い。勘違いだったのだと思ったその時、心の中に念が届いた。



自分を信じろ。やれる。お前は強くなった。



 間違いない。ライアンだ。ぼくは信じられている。それだけで,力がわいてきた。ライアンの顔を眺めてうなずいた。

 ぼくは剣を手にして,立ち上がった。



「その子を離せ」


 トルコは立ち止まり,睨むような視線を送ってきた。


「は,離せと言っているんだ。今度は,ぼくが,相手だ」


 トルコはきょとんとした顔を見せた後,肩をふるわせて笑った。それに合わせて担がれたリンナが上下に揺れる。


「震える声で何を言っているんだ? しゃべるので必死じゃないか」


 そして,死んだ魚のような目で冷たく続けた。


「少ししか一緒にいなかったが,お前の良いところはよく分かったよ。お前の良いところは,自分の感情に素直なところだ。無駄なことをしない。自分の力量を客観的に理解している。そして,その状況によって適切な判断を下す。これは立派なことだ」


 鼻の奥を膨らませて,心底楽しそうに笑った。これ以上愉快なことが存在するのかと言うように。


「立派だったぞ。お前は何もしなかった。自分の命を守るために自らを犠牲にした仲間が苦しんでいても。命をかけて敵に立ち向かう女の子がいても。お前は何もしなかった。自分が勝てないことを分かっていたからだ。お前は賢い。だから,お前だけは生かしてやる。強いものに逆らうとろくなことにはならないと,人間界でしっかりと伝えてやってくれ。それがお前に出来ることだ」


 太くて不規則な笑い声が洞窟に響いた。そしてまた池の方に向かって進み始める。

トルコの言うことは,悔しいけど当たっている。今まではそうだった。・・・・・・でも,これからは違う!


「変わるんだ!」


 岩が震えた。自分でもびっくりするぐらい大きな声が洞窟に響いた。あ? とトルコがもう一度ぼくの方を振り返る。


「ぼくに勝ってから連れて行け!」


 深く息を吐いた。身体に力が入っている。これだと剣に力が,思いが伝わらない。剣は心の力を糧とする。臨機応変に対応できるように,肩の力を抜き,足を前後に開いた。母指球でバランスを取る。ライアンの教えは,しっかりとぼくの身体と心にたたき込まれていた。


「かわいそうなやつだ。いいだろう。一瞬だ」


 肩に担いだリンナを放り投げるように落とした。リンナが咳き込みながら身体を起こす。


「逃げて! 適わないわ! 私はなんとかするわ。お願いだから,雄大と逃げて!」

「おれを怒らせた。もう手遅れだ」


 トルコが水を得た魚のように機敏な動きで突進してきた。

 不思議と,恐怖感はなかった。トルコが射程圏内に入ってくるタイミングを見計らい,軸足に体重を乗せた。

 今だ! 足を踏み込むと同時に,剣を肩口から腰まで振り抜いた。

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