不登校のぼくが竜王相手に世界を守るために戦う話~学校に行けなくてもコマンド操作なら得意ですから~
文戸玲
オープニング
カレンダーに目をやる。しばらくカレンダーを眺めることがなかったため,ひと月前の暦をかたどった数字の周りをディズニーのキャラクターが楽しそうにしていた。そのページを一枚破ると,Julyと書かれた文字が浮かんだ真っ青な空の下で,今度はサングラスをかけてバカンスを楽しんでいた。
破り捨てたカレンダーの一ページをゴミ箱に投げ入れ,窓を開けた。部屋に新鮮な空気を入れる。夏の爽やかな風が部屋の中に入ってきて頬を撫でる。今日は洗濯物を干すと一日で乾くし,布団を干せば夜は気持ちよく眠れるだろう。素晴らしい一日だ。
「まさるー,朝よー! 起きなさーい!」
一階からお母さんが大きな声を張り上げる。声量はあるが,間の抜けた声。特に何も心配していないよ。元気があるのなら降りてきなさい。お母さんの声にはそんな気持ちを無理やり乗せて発声している。もちろん,この声が意図的に出されたものであるということをまさるは察している。
(だるいなあ)
外の様子を確認すると,ばたんと大きな音をたてて窓を閉める。まさるはこの時間が一日の中で最も嫌いだった。昨晩,朝からずっと眠くなるまでやり続けたゲーム機を手に取る。お母さんの声にいつもの通り特に反応も示さず,ゲームを起動した。この瞬間がまさるは好きだった。スイッチを入れると自分の世界に入り込める。そこには誰も介入してはならない。一度,ゲームに没頭しているところをお母さんに話しかけられ,ゲームを中断させられたことがある。その時,まさるは自分でも考えらえないくらいに激高した。それ以来,家族のだれもまさるがゲームをしているときは声をかけないようになった。
うずうずしながら電源を入れた。冒険の旅っていうのも,はっきり言ってよく分からない。冒険に出ることが目的なのか,冒険することを旅というのか,きっとこのゲームを作った人たちも深くは考えてはいないのだろう。ただ,楽しい。この世界に入り込んでいるときは全てを忘れていられる。
スクリーンが起動した。ゲームの会社のロゴがでかでかと表示された後、オープニングの曲が流れる。
こんな会社に勤められたら良いのにな,と漠然と考えていた。名前はよく知れているし,なんと言ってもぼくはゲームが好きだ。この世の何よりも。プレイするのはもちろん好きだし,自分が考えた設定で,自分が考えたキャラクターが自分の代わりに大活躍するだなんて考えただけで浮き足立つ。本を読むのが好きな人が,小説の世界に没頭して深く感動したり,主人公と自分を重ね合わせて感傷に浸ったり成長したりするのと同じように,ゲームを通して人が成長する。そんな仕事をしたいと思った。
でも,現実は甘くない。会社について調べてみたことがある。給料は驚くほど高いし,仕事のスタイルや働いている人の口コミも生き生きとしていてやりがいを感じられる。でも,それに比例するようにして入社への壁は見上げても果てが見えないように高い。何より人とコミュニケーションが取れない,勉強も出来ない,なんとか頑張ろうとしても,人からは笑われ,軽蔑され,哀れみの目を向けられる。そんな人間には叶いっこない夢だ。
ディスプレイに目をやるといつもと違う画面が映し出されていた。そこには黒い画面に白抜きの文字で
ようこそ,この素晴らしき世界へ
と書かれていた。
何だこれは? といぶかしみながら画面をタップすると,ぼくは文字通り画面の中に引き込まれた。
「ようこそ,この素晴らしき世界へ」
どこかから声がした。辺りを見回しても,誰もいない。そこには岩や雑草がところどころにある以外はただ地平線が広がっているだけだ。まるでゲームの世界でよくある旅の始めみたいに。
「ようこそ,この素晴らしき世界へ」
また同じ声がした。聞き間違いじゃない。誰かがぼくに話しかけている。誰? と問いかけると,どこからともなく答えになっていない返事が返ってきた。
「君の夢を叶えよう」
ぼくの夢? ぼくの夢はゲームを作る会社に就職して,RPGを作ることだ。できれば勉強を頑張らず,友達もたくさんいて,コミュニケーションもうまく取れてあがり症の治っているゲームクリエイター。そんな封にしてくれるのだろうか。
「甘ったれるな。それは自分で努力しろ」
心の声が聞こえるのか! プライバシーを無視されている気がして少し嫌な気がするけど,同時に心躍る気分になっている自分もいる。これから何が起こるのだろう。
目の前に映像が繰り広げられた。スクリーンがあるわけではないのに,どういう作りなのだろう。
「ここはお前が求めていたゲームの世界だ。非現実的なあらゆる者は都合良く作られている。深く考えるな」
そういうものか,と言われるがままに割り切ることにして映像に目をやった。そこでは目をむくような光景が繰り広げられていた。
廃墟になった村を大きな竜が踏み潰し,ありとあらゆる食物を食いあさっている。田畑は荒れ,家屋はめちゃめちゃだ。人の気配がないから,逃げることは出来たのだろう。見せられている映像がとても現実のものとは思えなかった。もちろんゲームの中の,誰か分からない声の主の言葉を借りれば,都合のいい映像の一つか。
あまりにもダイナミックで動きの激しい映像に圧倒されていると,いつまでぐずぐずしている,と低い声でそそのかすように声をかけられた。
「この生き物をお前達の住む世界に送り込む。お前が世界を守るのだ」
え? とつぶやき、思わず吹き出す。都合の良い設定でここまで演出をしてくれるとは。世界を破壊できるような怪物がこの世のどこかにいる。それを地球へと送って地球を壊滅させようと企てられている。それを人知れず阻止するために命を賭けて戦う勇者。なかなかおもしろい。
「冗談だと思っているだろ? お前は現実に嫌気がさしている。その世界をぶち壊してやると言っているのだ」
「またまた~。とにかく,やってみるよ」
「脳天気なやつだ。いいだろう。証明してやる」
いつの間にかぼくは自分の部屋の窓から顔を出していた。世はとっくに老けているにもかかわらず,月が空にある。
月を見ていろ
頭の中で声が響いた。見ていろって何が起きるのさ,とさして期待もせずに月を眺めた。よく目をこらすと何かいる? いや気のせいか。不意に大きな音と同時に空気が震えた。ガシャンと部屋の中で物音がする。地震だ! 経っていられないほどの揺れが起きて床に尻餅をついた。しばらくすると揺れが収まった。かなりの揺れだった。タンスや本棚が落ちてこなくって良かった。お尻をはたいてもう一度空を見ると,月は自分の知っている形をしていなかった。それはいびつな形をして大きく欠けていた。
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