第41話 星に願いを


 深い闇の向こうから、小さな音が聞こえた。由良の「星に願いを」に合わせて、でも音が足りなくて、へんてこな曲になっている。この音は ───



「徹のオカリナ!」


 由良は音を頼りに走り出した。まるで夢の中みたいに、足は思うように動かない。けれど、由良は暗闇の中を懸命に走った。徹の音は、もうすぐそこだ。

 

 音が止んだ。かと思うと、由良はふわりと温かなものに包まれた。


「徹!」

「由良!」


 二人は同時に叫び、するといきなり相手の姿が現れた。徹は由良を抱きかかえ、由良は徹にしがみついていた。


「大丈夫だった?」


 心配そうな徹の声に頷き、由良は思わず徹の肩に顔を埋めた。柔軟剤の香りに、少し汗の匂いが混じる。徹の肩は妙にゴツゴツとしていて、でも暖かい。徹の脇腹の辺りのTシャツを握りしめてくっついていると、安心できた。

 

「大丈夫。怖かったけど、頑張ったの」


 徹がおずおずと手を挙げ、不器用にそっと由良の頭を撫でる。

「嫌なこと、めっちゃ頭に浮かばなかった?」

「浮かんだ。でも、オルゴールが助けてくれた」

「俺もだ。くじけそうになった時、オカリナを吹いて自分を励ました。由良は絶対に来るって、信じてたから。そしたら、由良のオルゴールが聞こえたんだ」

「私も聞こえたよ。徹の『星に願いを』」


 由良は顔を上げて、精一杯笑って見せた。

「こんな怖いところ、徹ひとりでは行かせられないもん。私がついててあげなきゃ」

「頼もしいね」


 徹も笑った。どちらからともなくぎゅっと手を繋ぎ、ふたりは先へ進む。重苦しさを増してゆく闇の中を。


 二人でいれば、心強く居られた。

 だがそうは言っても、歩みは思うように進まない。先へ進むことを、体が拒否するのだ。生理的嫌悪感がどんどん強くなっていく。

 初めは会話をしてなんとか気を紛らわせていた二人だったが、そのうちどちらも口を開かなくなった。とうとう一歩も進めず、互いに体を支え合ったまま、その場に立ち尽くしてしまう。


「……う、歌でも……歌う?」

「……うん……」


 冗談めかした徹の提案に頷いたものの、どちらも歌えなかった。何も浮かばないのだ。早くここから離れたい、という思い以外は。由良のオルゴールも、もう心を励ましてはくれなかった。


 徹が白いビニール袋を覗き込み、ハナサキの心臓を確認する。まだ動いてはいるが、その鼓動はだいぶ弱々しい。


「……行かなきゃ、な」

「………うん」


 わかってはいるが、どうしても足が踏み出せない。徹は唇を噛み締めて闇の向こうを睨んでいる。

 由良は悟った。徹も同じなのだ、と。独りで絶望を感じて足が止まってしまった時とは違う。進まなきゃという気持ちはあるのに、体がすくんで動けないのだ。


(誰か、助けて!)


 思わずそう祈った時、目の前に淡い光の粒が現れた。それは瑠璃色にふわりと光り、二人の目の前を漂った。


「この光、何?」

「なんだろう。綺麗な色……徹のオカリナの色と同じ」


 何かが頭の奥でチラチラと点滅する。綺麗な瑠璃色……死後の世界………鏡の中のエマトールとハスミュラ………


(もしかして……)


 二人は顔を見合わせた。共に驚きの表情を浮かべていたので、同じ考えなのだとわかる。


 光の粒がぼやけたかと思うと、滲んで広がり像を結んだ。

 半透明のその姿は手のひらほどの大きさで、妖精みたいに大きな目、千萱ちがやの若穂のように滑らかな、瑠璃色の体毛。空中で留まり、ひょろりとした手足を振り動かしている。



「「ヒタキ?!」」


 声を揃えて叫ぶと、ヒタキは嬉しそうに目を細め、メジロよりいくぶんほっそりした身体で得意の後方宙返りを披露した。二人の目の前で静止した時には、半透明だったその身体は実体化していた。


「ヒタキちゃん、あなた生き返ったの?」

 由良の問いに、ヒタキは左右に首を振った。


「僕らを、助けてくれるの?」

 ヒタキは大きく二度頷いて微笑み、また後方宙返りをしてみせた。




 エマトールのマガリコであったヒタキが、暗闇の中で今ふたりを助けてくれていた。それぞれの人差し指を両の脇に抱え、空中をピョンピョンと跳ねるようにして引っ張っていく。

 たまに手を離しては、肩に飛び乗って髪を引っ張ったり耳を優しくつねったりして、二人を笑わせ励ました。

 相変わらず身体は重く足は動き難かったが、ヒタキのおかげで精神的にはだいぶ楽になっていた。心の中を暖かなそよ風が通り抜け、ぬくもりをお土産に置いて行ってくれたみたいに。


 いつからか、スニーカーの靴底にゴツゴツとした凹凸を感じていた。足元を見下ろせば、木の根が入り組んで一面に蔓延っている。後ろを振り返ると、今まで歩いて来た道は、絡まり合う根っこが作るトンネルのように続いていた。

 いつの間にか嫌な臭いは消え、代わりに森の中にいるみたいに、木と湿った土の匂いに包まれている。



「……根の国だ」


 徹の呟きに、ヒタキが後方宙返りで答えた。大きくジャンプし、これまでとは比べ物にならないくらいのスピードで空中を跳ねていく。

 二人ももう大丈夫。ゴツゴツした根っこに足を取られぬよう気をつけながら、ヒタキの後を追って駆け出した。



 今や木の根のトンネルは、なだらかな下り坂だった。それまでの苦労が嘘のように、徹と由良は手を繋ぎ小走りに進んだ。トンネルはだんだんと狭くなり、最後に突き当たりに行き着いた。

 低い土の天井から長い木の根がびっしりと、浅い水たまりの上にぶら下がっている。



 突然、徹と由良の頭の中に声が響いた。



─── 飢えし大地に、肉を与えよ ───


 ヒタキが水たまりを指差し、コクコクと頷いた。


 白いビニール袋の中の心臓はまだほんのりと温かく、微かにではあるが動いている。徹はそれを、そっと水たまりの中へ置いた。


 するすると、ぶら下がっていた幾本の樹の根が、そして地中から新たに生えてきたたくさんの根が手を伸ばし、心臓に絡みつく。何本も伸びてきては絡みつく根っこがすぐに心臓を包み込み、天井と地面を繋ぐ柱となった。すると、浅い水たまりから綺麗な水がこんこんと湧き出てきた。



 

─── ありがとう、優しき人の子らよ ───


 二人はなおも次々と伸び絡み合う根を見つめながら、一層固く手を繋ぎ直した。



─── 時の記憶が新たな血を生む ───


 太い柱のようになった根っこの束が、湧き出た水を吸ってどくどくと音を立て始める。根っこが脈打つようにウネウネと動き出す。



─── 急ぎなさい。新たな器へ、時の命を ───



「新たな器って?!」「わからない!」



─── もう、わかるはず。そなたの曽祖父が移した、時の祠 ───


 時の、祠。おそらく、鏡のあったあの洞穴だ。



「由良、戻ろう」


 手を引く徹を引き止め、由良が振り向く。

「ヒタキちゃん、おいで!」


 ヒタキは左右に首を振ったかと思うと、由良の肩に飛び乗った。

 由良のほおに頬ずりをし、徹の肩へ。徹にも頬ずりをすると、そのまま根っこの束に飛び移った。


「ヒタキちゃん!」


 スルスルと根っこを登り、ヒタキは二人に手を振った。さっきの頬ずりは別れの挨拶だったのだ。


 周囲の根っこが蠢き、空間を狭め始める。軋む音を立てながらトンネルが閉ざされていく。



─── 人の子らよ、シキミに伝えなさい。時の泉に、死の枝を与えよ ───



「伝えます! 由良、行こう」

「ヒタキちゃん、さよなら! エマトールは大丈夫だからね!」



 駆け出しながら振り向くと、手を振るヒタキが一瞬見えたが、その姿はすぐにうねうねと蠢く根っこの壁に隠れて消えた。迫り来る根っこの壁から逃げるように、二人は全力で走った。


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