第42話 別れの時


 二人は白い靄の中から飛び出し、白い玉砂利の上に転がった。


 それまで和気あいあいと大笑いしていた一行が、肩で息をする二人の元へ駆け寄る。


「おかえり!」「無事だったか!」「どうだった?!」


 それぞれが口々に叫ぶが、息が上がって声が出ない。代わりに、空になったビニール袋を示した。


「ありがとう。よくやった」


 エマトールの言葉に、徹と由良はゼイゼイと息を吐きながら親指を立てて応えた。



「のんびり、してられない……僕ら、鏡の洞穴に、帰らなきゃ」


「わかった。一緒に行こう」


 由良が大きく首を振った。


「ダメ。『時の泉に、死の枝を与えよ』……」

「それが伝言だった。根の国の突き当たりで、心臓を供えたら、そう言われた」

「私たちは、新たな器に……」

「時の命を」


 そこまでは伝えたものの、肩で息をする二人は続く言葉をなかなか継げない。



「つまり」

 ハスミュラが進み出て、言った。


「私たちは時の泉に戻って、シキミの枝を泉に。あなた達は鏡のところへ戻るってことね? ……でも」


「新たな器って、何?」

 ハスミュラの言葉を引き取るように、キシネリコが首を傾げた。



「あたし、わかるかも。鏡のそばにあった、白い岩だよ」

 莉子がまっすぐに挙手して発言した。確信あり気な様子に、一同の視線が集まる。


「レリーフがあったじゃん。オオサンショウウオの」


「そうだっけ…?」

「そう言われると、そんな気も……」


「徹と由良は鏡ばっか気にしてたから、忘れたんじゃない? あたし、あの岩ひっくり返したからよく覚えてる」



「じゃあ、ここでお別れだね」

 キシネリコの声が、少し寂し気だ。一同の間に沈黙が降り、それぞれに目を見交わす。


 最初に進み出たのは、エマトールだった。莉子に手を差し出し、握手する。


「莉子、助かったよ。時速200キロの弾丸スマッシュ、すごかった」

「へへ。200キロは、目標値なんだけどね」


 続いて、由良とも握手。


「由良、ありがとう。神様の話、すごく面白かった」

「ありがとう、エマトール。私たちが頑張れたのは、あなたの眼のおかげ」


 最後に徹の手をしっかりと握る。

「徹、ありがとう」


 エマトールは少し顔を寄せ、声を落として徹の眼を覗き込んだ。


「あの、言いにくいんだけど………帰ったら、おじいさんに会いに行ったほうがいい。できるだけ、早く」



 息を呑み、徹はエマトールの赤い眼を見つめ返した。


「おじいちゃんは……あと、どれくらい?」


「実際に会ったことがないからか、はっきりとは視えない。でもおそらく……桜の花が咲いているうちに」


 徹はきつく眼を閉じ、静かに頷いた。そっと、細く息を吐く。


「徹、ごめん。こんなこと、言いたくはなかったんだけど」

「いいんだ。言ってくれてよかった。エマトール、ありがとう」


 握った手を強く引き、徹はエマトールの背中に手を回して抱きしめた。


「ありがとう」


 心を込めてもう一度そう言うと、手を離して笑いかけた。


「そうだ。俺たち、ヒタキに助けて貰ったんだよ」

「そうそう。別れ際に、エマトールは大丈夫だから、って言っておいたから」


 隣でハスミュラと抱き合っていた由良が、言い添える。


 エマトールは驚いた様子だったが、詳しい説明は求めなかった。ただ、深く微笑んで頷いた。




「じゃ、戻ろう」


 徹が首をめぐらし、船頭の姿を探す。そわそわとした様子で小さな木の舟の傍に立っていた男と目が合うと、徹は深く頭を下げた。


「ありがとうございました!」


 船頭は白い靄を指差して、微笑んだ。心配してくれていたのか、ホッとした表情だ。


「あ!」不意に由良が声を上げる。


「私たち、ハナサキの死体をそのままにしてきちゃった……」


「俺が始末……いや、弔っておくよ。気にしないで戻りな」船頭が大声で返す。


「すみません。宜しくお願いします」

「おう、任しとけ。そんで、もうしばらくはこっち来るなよ」


 6人は、靄の前に並び立った。船頭の言葉によれば、ここから元の世界に戻れるはずだ。

 泉の国と鏡の国の6人は、慌ただしく記念品を交換しあいながら、ぺちゃくちゃと喋っている。


「ねえねえハスミュラ、その薬草、すごい効き目だね。私、もうどこもおかしくないもん」

「でしょ? 少しそっちの世界へ持っていく?」

「いいの?」

「駄目だよ、莉子」

「へぇーい」

「徹ったら、冗談よ」


「ね~ぇ、根の国ってどんなだったの? 聞きたかったぁ」

 駄々をこねるキシネリコに笑って答えながら、徹は先陣を切って白い靄に踏み入った。


「…刺繍にして残しておくよ」



 背中にキシネリコの抗議の声と皆の笑い声が聞こえたが、すぐに白い靄の中に消えた。



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