第39話 ハナサキの毒、託された心臓

 淡々と小刀をふるいハナサキの両目をくり抜き、手早く川の水で洗う。ぶよぶよした透明な粘膜を洗い流すと、中から赤と緑の透き通った石が出てきた。

 驚きはなかった。戦いの途中で、鈍く光を返す鏡のような一対の瞳の奥に、赤と緑が瞬いて見える瞬間があったのだ。


 それぞれ、回収した武器や体に付着した汚れを洗い流す。莉子のラケットはフレームに歯型がついてしまっていたが、さすがのチタン製、曲がってはいないみたいだ。借りているライフジャケットも洗った。由良の手の震えはまだ止まらないが、なんとか大丈夫そうだ。

 切り取った心臓は、莉子がおやつを入れてきた白いビニール袋に入れた。不思議なことに、心臓は切り取られてもなお、鼓動を続けている。


「そうだ。あの船頭さん、急いで戻ってこいって言ってたよ」

 キシネリコが無事だった矢を洗いながら、思い出したように言った。


「キシネリコも、あの人に会ったんだ」

「うん。なんか、諦めたような顔してそのライフジャケットってやつを渡してきてさ、お仲間はあっちへ向かったよって」


 彼のげんなりした様子が目に浮かび、5人は笑った。


「矢筒背負ってるから着られないって断ったんだけどね。で、その時になんか、『肉をどこへ埋めればいいか、知ってるかもしれない』って言ってた」


 5人が動きを止め、キシネリコを見つめた。


「へ?」


「それを早く言ってよ!」

 ハスミュラの叫びに、5人は素早く反応した。急いで岸へ上がり、身支度を済ませ水を振り落とす。

 莉子が振り返り、手を差し伸べた。


「あたし、鏡側の岸根莉子。泉側のキシネリコ、会えて嬉しいよ」


 キシネリコがその手を握り、強く引かれるまま岸に上がった。

「さっきはなかなかカッコよかったよ、鏡側の岸根莉子」



 6人は船頭の元へと走った。行きはハナサキを探しながらだったが、帰りはただひたすら走ればいいだけなので、あっという間に着く筈だった。だが……


「なんだか、体が重い……」

 最初に体の異変を感じたのは、ハスミュラだった。続いて、莉子とキシネリコも手足の痺れを訴える。


「実は、僕もだ。もう走れそうにない。君たち、先に行ってくれないか」


 ハナサキの毒が回ったのだ。誰が言わなくともわかる。実際に戦った4人にだけ、症状が出ているのだから。特にハスミュラは、オババの家から洞窟へ来る際に急ぐあまり、たくさんの擦り傷をこしらえていた。その傷から毒が侵入したと考えられる。



「置いて行けるわけないだろ!」徹がエマトールの肩を支えた。由良も同様に、会ったばかりの戦友たちを支える。


「お願い。心臓と石を持って、先に行って。私たち、幾つか薬草を持ってるから、たぶん大丈夫。死ぬことはないと思う。ね、エマトール」

「ああ、大丈夫。僕たちは……死なない」


 エマトールが緋い眼に強い光を宿して頷いた。


「由良、私あなたを信じるわ。さっき、ハナサキの尻尾にしがみついて押さえつけてくれたでしょう? 苦痛が早く終わるようにって」


 ハスミュラは、由良の肩に回された腕をそっと外した。内ポケットから薄い布包みを取り出し、入っていた薬草を軽く揉んで、莉子に分け与える。エマトールとキシネリコも同様に常備している薬草を取り出し、汁を傷口に擦りつけ始める。


「……きっと、生き物を殺したのは初めてね?」


 由良が唇を震わせ、ハスミュラを見つめながら小さく頷いた。


「そりゃ、実際に手を下したのは私たちよ。でも、自分の腕の中で生き物が弱って息絶えていくのを実感するのは、怖かったでしょう」


「うん、怖かった。すごく怖かった。私たちいつも、お金を払って買ってるだけなの。誰かが殺して切り分けてくれた、生き物のお肉を」


 やはり彼らは、自分たちの生きているのとはかけ離れた世界で生きているのだ。

 エマトールは、彼らが生活から死を遠ざけていると感じたのを思い出した。そして、そんな彼らの軽妙な言葉に救われたことも。


「あなたたちを怖がらせたくないから言わなかったけれど……実は、私たちもあんな大きな相手と戦うのは初めてだった。普段狩るのは小動物ばかりだから。ねえ、由良。皆で怖い思いをして殺めた命ですもの。あのハナサキの死を、無駄にはできないでしょう?」


 由良は頷いて、滲んだ涙をぬぐった。

「わかった。やる」


「こんなとこで死んだりしないよ。あたし、性別前に泉に触れたらどうなるのか、楽しみにしてるんだから」

「私が言うのもなんだけどさ、キシネリコってかなり無鉄砲だよね」


 莉子のセリフに、ハスミュラが笑う。「莉子だって、なかなか無鉄砲だったわよ」


 ゆるゆると薬を擦り込みながら談笑を始めてしまった女子チームを見て、エマトールは由良と徹に肩をすくめてみせた。


「こっちはご覧の通りだ。手当が済んだら、僕らは船頭さんのところで待ってる。心配しないで」


 大儀そうに歩み寄り、白いビニール袋を徹に手渡す。少し動くだけでも辛いのだろう。

 ビニール袋の中の心臓は、少し鼓動を弱めているように見えた。


 エマトールは両手を二人の肩にかけた。

「あとを頼む。急ぐんだ、時間がない……僕たちの時が終わる」


 ハナサキがオルゴールの音に反応した時の事を思い出す。それまで冷静に戦っていた彼らが、徹たちが襲われそうになって、初めて恐怖に顔を引き攣らせたのだ。必死に守ろうとしてくれた、そんな彼らの気持ちに応えたい。世界の時が止まる事よりも、彼らの気持ちに応える事が、今の徹には何より重要に思えた。


 唇を真一文字に引き結び、エマトールに大きく頷く。そして、決意に満ちた眼差しで由良の視線を捉える。


「行こう、由良」



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