第24話 泉の国の置き手紙
「神」という存在を認識しながら、「神」や「死」についてあまり考えない。
エマトールにとって、それは不思議な感覚に思えた。生き物ははいつだって死と隣り合わせで生きているものだ。
でも、由良や徹と話していると、時おり、彼らと「死」の間にははっきりとした隔たりがあるように感じる。なんというか、「死」を別世界のものとして扱っているように見えるのだ。
ただ、そう感じてしまうのは僕がシキミだからなのかな、とも思う。
その後も互いの生活についてなど話していると、スニーカーが地面を擦る音が聞こえた。振り向くと、徹が段差をよじ登って現れた。
「あ、徹ちゃん。おはよ」
「……由良、早いね。もう来てたんだ」
「徹、おはよう」
鏡の向こうでエマトールが軽く手を挙げる。
「おはよう、エマトール。盛り上がってるとこ、邪魔しちゃって悪いね」
言った直後、徹は少し後悔した。なんか嫌味っぽかったかな、と少し焦る。なんであんな言い方しちゃっったんだろう。気づいたら口にしてた……
だが、鏡の向こうのエマトールは気にした風でもなかった。傍らの由良も。
「邪魔なんかじゃないよ。待ってたんだ。きっともう直ぐハスミュラも戻って来る」
徹に今までの会話をかいつまんで説明していると、鏡の向こうにハスミュラが現れた。
「おはよう、由良。徹」
「おはよう、ハスミュラ」
にこやかに手を振った由良だったが、ハスミュラがナチュラルに「徹」と呼び捨てにするのが少し気になった。胸の辺りがなんだかちょっぴり、もやもやする。
「泉の件、どうなったの?」
由良が尋ねると、ハスミュラは「あ、もう話したんだ」という顔をした。
「オババに相談したら、古い書を調べてみてくれるって。書棚から本を下ろすのを手伝ってきたから、わかったらチエルカが教えてくれると思う」
ハスミュラはこのあと仕事があるからと、挨拶代わりの短い雑談だけで帰って行った。この時期は摘み頃の果実や薬草が沢山あって、忙しいらしい。エマトールにも仕事がある。当面は、引き続きシキミの日記探しだ。様々な紙や布の束を湖のほとりへ持ち出し、徹や由良と話しながら調べている。
「……シキミの日記、見つかりそう?」
んん……と曖昧な呻きを漏らしながら、エマトールは首を振った。
「何か書いてはあるんだけど、文字がかすれていて読み取れないんだ。ハスミュラに明るいところでも見てもらったんだけど、やっぱり読めなかった」
「あぶり出しとか試してみた?」
「あぶり出し?」
徹があぶり出しの説明をする。が、エマトールは首を傾げた。
「紙同様、こっちじゃ砂糖や果汁も貴重品だからなぁ。そういう使い方ができたかどうか……でも、ハスミュラが戻ってきたら試してみるよ。ほら、僕は火の明かりが苦手だから」
自分だけでは何もできないとでも言いたげに苦笑するエマトールを見て、徹は急いで言葉を継いだ。
「そうか、果汁で書けば紙の劣化を余計に早めるんだから、あぶり出しは考えにくいかもしれないな」
「ねえ、ちょっと思ったんだけど」由良が鏡を覗き込んだ。
「そんなに紙が脆いなら、別のものに書き記したんじゃない?」
「別のものって? 石板とか、木簡とか?」
「そんなの、ここには残ってないよ。それに、この大量の紙は?」
「私なら、布に書くかもしれない」
エマトールがたくさんの布をかき寄せ、裏表ひっくり返して調べなおすが、やがて首を振った。
「シミみたいなのはたくさんあるけど、文字や絵はないみたいだ」
「……刺繍は?」
エマトールはハッとして泉を覗き込み、呆然と由良を見つめた。
「気が付かなかった……ちょっと、洞窟の出口まで行ってよく見てくる。待ってて」
エマトールが飛び出していった足音が聞こえ、洞穴の中は無音になった。鏡は洞窟の真っ暗な天井を映すばかりだ。
徹は由良を見つめ、感嘆のため息をつく。
「刺繍なんて考えもしなかった。すごいよ由良」
「家庭科でイニシャルを刺繍したのを思い出しただけ。でもまだ、刺繍かどうかわかんないよ」
「違ったとしても、その発想に感心したんだ」
顔が熱くなってきたので、由良は首をすくめ両手でパタパタと顔を仰いだ。こんな風に、しかも頭のいい徹に褒められるのは、嬉しいけれどちょっと恥ずかしい。
「でも、あの大量の紙の束が意味わかんないね」
「あれは……メモ用紙かもしれない。由良の考えが当たってれば、だけど」
徹は自分の思いつきを話した。由良の言うとおり、布に刺繍を残したのであれば、それは清書だ。清書が済めば、紙のメモ用紙は不要になる。だが、紙は貴重品だから捨てられなかった。もしくは『墨抜き』をして新たなメモ用紙にしようとしたのかもしれない。
「墨抜きは、紙が貴重だった大昔の日本でもやってたことだよ。ただ、墨が抜けきらなくて淡いグレーの紙になったりしてたらしいけど」
今度は由良が感心する番だった。徹ちゃんは本当にいろんなことを知ってる。きっとそれも本で読んだんだろうな……
感心しているうちに、鏡の中に遠くから足音が近づいてきた。
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