卒業未満、ぼく以上。

鵠矢一臣

第1話

「卒業証書、授与。校長先生、お願いいたします」


 司会役のベテラン教師が、ステージ前の脇に立てたスタンドマイクに口を近づけながら言った。

 すぐさま若手教師が現れ、証書の束を置いたり、スタンドマイクの位置を変えたり、慌ただしく授与式の準備を行う。


 皆が目を疑ったのはその後のことだった。


 着々と準備が整っていく中、ステージの裾から校長先生が現れた。

 いつも朝礼で見かけるのとは違った少しばかり小綺麗なスーツ姿。おじさん臭い細い縁の眼鏡と、年齢の割には生え揃った髪を七三に分けているのはいつも通り。身なりは卒業式用に気を使っているようだったが、いつもとさほど変わらない。

 しかし完全に違った点が、僕たち卒業生をどよめかした。

 現れた校長先生に続いて、もうひとり、寸分違わず同じ容姿の校長先生が入ってきたのだ。

 僕だけじゃなく、周囲の皆も一様に互いの顔を見合わせている。

 校長が一卵性の双子だったなんて話は聞いたこともないし、第一、もし双子だったとしても、どうしてこの場に現れる必要があるんだろうか?

 皆が同感だったのだろう。場内はにわかにざわつき出す。

 だが式は何事もないように進んでいく。

 司会の教師が一組のアイカワ君の名を呼んだ。


「は、はいっ!」


 うわずった調子外れの声が体育館に響く。

 それを合図にするように、ざわめきは静まっていってしまう。

 式がこのまま進んでいくのだという事実と、アイカワ君が二人の校長先生からどうやって証書を受け取るのかという、興味というか不安というか、そういった点が皆の口を閉じさせたのだろう。

 アイカワ君が壇上に上がる。二人の校長の前で気をつけをする。

 校長は二人とも、同時に証書を持ち、同時に読み上げた。そして同時に証書を差し出す。

 アイカワ君は直立不動のまま戸惑いの表情を浮かべている。どちらから受け取ろうかと逡巡しているようだ。

 僕も含め、卒業生の誰しもが固唾を飲んでアイカワ君を見守っている。

 いずれは自分の番がやってくる。どちらか片方から受け取るのか、それとも両方から順に受け取るのか、片方からなら奥側と手前側どちらの校長から先に受け取るのか、なにが正解なのかを見極めようと必死だ。

 アイカワ君が一歩前に進み出る。

 どうやらまずはステージ奥側の校長から受け取るようだ。

 まず左手で証書の縁を掴み、次いで右手を伸ばす。一歩下がって礼をすると、証書を閉じて左手に。

 教わった通りに受け取ったアイカワ君は、続けざまにもうひとりの校長へと視線を向けた。

 しかし手前側の校長は証書を控えていた若手の教師に渡してしまう。

 誰もが察した。どちらか片方なのだと。

 アイカワ君は、少しがっかりしたような、ほっとしたような微妙な溜息を漏らしながら、ステージ前に掛けられた階段を降りていく。

 彼が自席に戻る頃には、既に次の生徒が呼ばれて証書を受け取っていた。二人、三人と、後に続く生徒たちは奥側の校長から受け取っていく。

 アイカワ君が咎められなかったことで、それが正解と言わないまでも間違いではないという判断になったのだろう。


「ああっ!!!」


 突如、アイカワ君が驚いたような声をあげて立ち上がった。

 跳ね上げられたパイプ椅子が畳まれて床に倒れる。

 何事かと一斉に視線が集中した。


「そ……、卒業証書じゃない」


 しばらくの間、体育館にはBGMのカノンだけが響いていた。

 次第にざわめきがフェードインしてくる。


「先生! 卒業証書じゃない! 準です、準卒業証書です!」


 アイカワ君が証書を掲げて叫んだ。すぐさま周囲の生徒に見せて確認させる。

 自分にも見せろと渦巻くように集まっていく群衆の中で、ひとりの女子生徒が叫び声を上げた。


「いやぁぁああああ!」


 おそらく、その女子生徒も準卒業証書だったのだろう。

 準とはどういうことなのだろう? 少し遠巻きに僕は考えていた。とにかく、正規の卒業証書でないことだけは間違いなさそうだ。


「返せ! 俺の卒業証書、返してくれよ!」


 自分が選ばなかった方の証書が本物だと考えたのだろう。

 アイカワ君は生徒たちを掻き分けて、司会のベテラン教師の前で懇願した。


「サワダ、ヨウコ」


 だが教師は気にも留めず、次の生徒の名を呼ぶ。


「先生!」

「サワダ、ヨウコ」


 無視をされたアイカワ君は教師に掴みかかった。しかしすぐさま組み伏せられ、床に押し付けられてしまう。どうにか逃れようと抵抗していたのだが、やがて現れた二名の若手教師に力づくで連行されてしまった。


「サワダ、ヨウコ」


 何の説明もなしに進行を続けようとする教師に、誰からともない怒号が浴びせられる。

 しかし教師は眉一つ動かさない。


 いつそのサワダヨウコが返事をしたのかは喧騒に紛れて聞き取れなかった。

 小柄な女子生徒が不安そうにステージに上っていく。

 雰囲気からして、あまり大きな声を出すのが得意なタイプではないのだろう。

 彼女は心做しか震えている手で差し出された証書を掴んだ。一歩下がって礼をするところだが、そうはせず、手にした硬い紙で顔を覆って泣き崩れてしまった。


 続いて呼ばれたのはタカハシ。向こうっ気の強いことで学年では名が知られている男子だ。

 これまでの流れに逆らうようにして手前側の校長から証書を受け取った。すぐさま「ざけんじゃねぇ!」と奥側の校長から証書をひったくる。


「しゃあああ!」


 奪い取った方はちゃんとした卒業証書だったようだ。

 壇上で思い切りガッツポーズをしてみせる。

 しかしすぐさま教師たちに取り押さえられ、卒業証書を奪い取られてしまった。

 彼は取り返そうと証書を追いかけるのだが、教師たちは証書をパスしあってタカハシに触らせようとしない。五対一でバスケだがラグビーだかをやっているような状況だ。

 それでも彼は諦めずにステージ上を右往左往してあがいていたのだが、ついには司会の教師が業を煮やして乱入し、卒業証書をビリビリに破り捨ててしまった。

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