第21話 一輪の薔薇

 太陽が朝を告げに昇るその前、東雲(しののめ)の空は、やや黄みがかったピンク色に染まる。


 幸せな空気を漂わせる空の下、そこに一人の少女が現れた。


 その場所は、皮肥城中庭に設置された純和風の庭園。


 少女が向かうは、その中で一際強い輝きを放つローズガーデンだった。


 少女の前に並ぶは、色とりどりに咲く薔薇の花。

 早朝に見る薔薇は、朝露が銀の輝きを照らし返し、その色彩を際立たせている

 

 幻想的とも言えるその情景を前に、少女は自分の瞳と同じルベライト色の薔薇に顔寄せて頬を緩ませた。



「ん~ん! 良い香り!」



 しかし、一通り薔薇の香を楽しんだ少女は、突然その瞳を曇らせる。



「痛かったらごめんね。」



 少女はハサミを使って薔薇を摘み取ると、持っていた花瓶にそれを挿し入れた。


 どうやら先の謝罪は、薔薇を切り取る事で与える痛みを察して謝罪したようである。



 その言葉からも、少女の優しさが垣間見えた。



 そして薔薇の入った花瓶を持った少女は再び城内に向かって歩き始める。


 

「……よし! 行くよ、私!」



 一室の前で立ち止まった少女は、一度そこで気合を入れるとその襖を開けた。



 部屋の中には、一人の若い男性が布団の中で寝ている。



 少女はその男性にそっと近づくと、薔薇の入った花瓶をその顔の横に置いた。


 そして甲斐甲斐しくも、その男性の頭に置かれた布を取り換える。



「ん……んん。」



 その時突然、男性が小さな声を上げて寝返りを打った。


 それに驚いた少女は一瞬肩をビクッと揺らすも、そのまま寝てしまった男性を見て安堵の息をこぼす。



「ビックリした……。でも、逃げるわけにはいかないわ。」



 少女は強い決意をその瞳に宿しながら呟く。


 

 既にもうわかるとは思うが、ここで寝ている男性とはカリーであり、その横に座るはソレイユの孫のロゼだった。



 昨日ロゼは、祖父から出ていくように言われた後、やはり祖父が心配であったため、広間の外で待機していたのである。


 すると突然、祖父の悲痛な叫びが聞こえて慌てて部屋に戻ると……祖父は倒れているカリーを抱きしめながら号泣していた。



 何がなんだかさっぱりわからないロゼだが、祖父に声を掛けようとしたところで、祖父はカリーを抱いてこの部屋まで連れていってしまう。


 ロゼはそれに黙って付いていった。


 そしてこの部屋に着いて、カリーを寝かせた後、祖父から全ての話を聞く。



 ロゼが祖父から聞いたのは、小さい頃からよく聞かされていた御伽噺。



 だがそれは御伽噺ではなく、実話であると祖父は言った。



 目の前で寝ているカリーこそ、その話の主人公だと……。



 正直、最初は全く信じられなかったが、今までに見た事がない程に動揺する祖父を見て、それが真実だと信じる。

 

 話しが終わると、祖父は寝かせたカリーの前で何度も何度も謝罪の言葉を続けていた。


 それを見れば、嘘だなんて思えるはずはない。


 とは言え、ロゼからすればカリーの初印象は最悪だった。


 いきなり泣き出すし、叫ぶし、あまつさえ自分だけでなく祖父にまで掴みかかる次第。


 おじいちゃんっ子のロゼにとって、それは許される行為ではない。



ーーだったのだが、今は違う。



 今ならわかる。

 あの時、自分に向けたカリーの目の意味が。

 そして、祖父が許されざる行為をしてしまったという事実も。



 自分が何度も祖父から聞かされた御伽噺の世界。



 それは何回聞いても、胸が締め付けられる程苦しくなる悲しい物語。


 そして今、自分がその話の姫様とうり二つであると聞き、嬉しいと同時に悲しくなる。


 だからこそ、あの時のカリーの気持ちが理解できた。

 


 その話を聞いた後、祖父は自分に部屋へ戻るように言うも、祖父に動く気配はない。


 心配したロゼは、祖父が動くまで自分は動かないと駄々をこねたところ、やっと祖父も立ち上がった。



 だが二人でその部屋を出たまではいいが、祖父の足取りはあまりに重い。



 それを見てロゼは決心した。

 


(明日の朝、おじいちゃんより早く会って謝らなきゃ!!)



 そういった事があり、今に至るのであるが……



「起きるまで待つしかないわね……。」



 ロゼはそう呟くと、寝ているカリーの横に座り、その顔をじ~っと眺めている。



(綺麗な顔……。こうして見ると、あの時と同じ人には見えないわ。)



 ロゼは再び布を水で絞ると、その顔を優しく撫でるように拭いた。



ーーーすると



「ん、んん……ここは……。」



 カリーは顔に感じた優しい感触に目を覚ます。

 


「おはようございます。」



 そのカリーにロゼが微笑みながら声を掛けると、カリーが飛び起きた!



「ロ、ローズ!! 嘘だろ!? これは夢か?」



 咄嗟に自分の顔を両手でパチンと叩くカリー。


 そんなカリーに向けて、ロゼは綺麗に頭を下げて謝罪する。



「申し訳ございません、カリー様。私はローズ様ではなく、祖父ソレイユの孫のロゼであります。」



「はっ!? そ、そういえば昨日……。」



「はい。祖父が今回とんでもない非礼を働いてしまった事を深く謝罪申し上げます。そして私も何も知らないとは言え、あのように叫んでしまい……。本当に申し訳ありませんでした!」



 その言葉を聞き、カリーの頭がクリアになっていく。


 昨日見たローズの姿は夢ではなく現実。

 そしてそれは、ローズではなくソレイユの孫という事。


 そこまで理解したところで、カリーはやっと冷静になった。



「いや、君は悪くない。ロ……ゼさんだったかな? 君はローズにそっくりだが、ローズではないようだ。俺の方こそ取り乱して悪かった。」


「あ、謝らないで下さい! 悪いのは祖父と私です。私の事は恨んでも構いません、でも……祖父の事は嫌いにならないで下さい。悪気があったわけではないんです。とはいえ、祖父のした事は許されることではありませんが……。」



 必死に謝り続けるロゼ。


 自分でした事とは言え、祖父はあそこまで消沈するほどにこの人を大事に思っている。だからこそ、なんとか二人の関係を取り持ちたかった。



「あぁ、安心してくれ。確かにあの時は混乱しちまったが……そこまで怒ってねぇよ。一発は殴るけどな。」



 そう言って笑顔を見せるカリー。


 その顔を見て、なぜかロゼの胸がキュッと締め付けられる。

 

 安心したロゼは涙を浮かべながらも話を続けると……突然苦しそうに咳き込んだ。



「よかった……です。祖父もかなり後悔していて……ゴホッ!」



 咄嗟に口を手で覆ったロゼだが、その手には赤い血が付着している。



「だ、大丈夫か! どうした?」



 その状況に焦ったカリーは、直ぐに立ち上がって人を呼ぼうとしたのだが……その時、激しい足音を響かせてソレイユが入ってきた。



「ロゼっ!? 大丈夫か!?」



 ソレイユは部屋に入ると直ぐにロゼを抱きしめて状態を確認した。


 しかしロゼは、自分の体の事よりもカリーの事を伝える。



「おじいさま……私は大丈夫です。それよりも、彼にちゃんと謝って下さい。」



 ソレイユはロゼを心配するあまり、カリーが起きている事に気付かなかったのである。


 ロゼが顔を向けた方を見ると、そこには心配そうな表情を浮かべるカリーがいた。


 そしてカリーに気付いたソレイユの行動は早い。


 その場で即座に土下座をすると、何度も頭を地面に打ち付けて謝罪した。


「カ、カリー! その……本当に申し訳なかったでがす!! 殴って済まされるとはおもわないが、俺っちを殴ってくれだす!」



 その言葉に目を点にするロゼ。



 まさか、祖父がそんな変な言葉遣いで謝罪するとは夢にも思わなかった。


 そしてそれを見たカリーはフッと笑うと、しゃがんでソレイユの顔を上げさせる。



「あぁ、覚悟しろよソレイユ。俺の一撃は昔とは比べ物にならねぇほどつえぇからな。」



 カリーが拳を振り上げた瞬間、ソレイユは目を瞑った。



 その状況にロゼは、止めるべきかどうかの判断がつかず、その様子をハラハラしながら見ている。

 


ーーーそして



 カリーはソレイユの頭を軽くポンっと小突くと笑った。



「ばぁーか! よぼよぼになったお前を殴れるわけないだろが。それに、あれだ。まぁ説明がなかったのはちょっとあれだが、こうしてあの頃のローズに似た女性に会わせてくれたんだ。感謝しているよ、ソレイユ。」



 その暖かい言葉に、ソレイユは涙を流すとカリーに抱き着く。 



「カ、カリー……俺っちは……俺っちは……。」


「ば、馬鹿、みっともねぇから泣くんじゃねぇよ。孫が見てんだろ。つか離れろよ、男に抱き着かれる趣味はねぇ。」


「うぉぉぉ! カリーー! すまなかったでがす! すまなかったでがんす!」



 更にヒートアップするソレイユ。

 その二人を他所に、小さな笑い声が聞こえた。



「ぷっ……あは……あはははは!」



 二人のやり取りをみて突然笑い出すロゼ。


 いつも威厳たっぷりで、それでいて優しい祖父の初めての素顔。


 それはあまりに滑稽であり……そして眩しかった。


 二人の切っても切れない関係を感じて、ロゼは羨ましく思う。



「ほら、笑われてるぞ。ソレイユ。」


「あぁ、そうでがすな……でもいいでがんす。俺っちは……またカリーがあの時と同じように……。」


「大丈夫だって。あの頃とは違う。俺は全てを受け入れた。それはお前のお蔭でもあるんだぜ、ソレイユ。」


「そうでがんすか……。……って、あ! ロ、ロゼ!? いたのか?」



 今更我に返るソレイユ。


 そもそもロゼを心配して入ってきたのに……


 少しボケが……


 否、実際にはカリーを前にして全て吹き飛んでしまったソレイユは、ロゼの存在をすっかり忘れていたのである。



 恥ずかしそうにするソレイユを見て二人は笑った。



 その姿は、もしもあの頃の三人が一緒にいたら、見れていた光景だったのかもしれない。


 

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