第44話 涙の訳

「吾輩……このような女性の園に入って良いのであろうか……。」



 今、とある部屋の前で、中々勇気を出せない一人の男が尻込みをしている。


 そう、ブライアンだ。


 ひとたび戦場に出れば、その勇猛果敢な姿に誰もが鼓舞される……そんな男といえど、この部屋に入る事だけは憚れてしまう。



「大丈夫ですよ、ブライアンさん。さぁビビアン様がお待ちですので早く入りましょう。」



 マネアは、固まって動こうとしないブライアンの背中を押した。


 現在神殿での聞き込みを終えた二人は、その報告をし合う為に、ビビアン達が寝泊まりするスイートルームの前に来ている。


 しかし、いざ部屋の前まで来ると、ブライアンが中々部屋に入ろうとせず、マネアは困っていた。


 当然ブライアン自身、この魅惑の部屋の中が気にならない訳はなく、むしろ、興味は津々である。


 だが今の状況は、成り行きでパーティに入れてもらっているに過ぎない為、もしこの様な女性の園で何らかの粗相でもあれば、直ぐにでも追放されかねない。


 故にその恐怖が好奇心を上回っていたのである。


 憎きデスバトラーを倒すまでは、勇者パーティから離れるわけにはいかないブライアンは、その恐怖からその扉に入る事ができなかったのだ。


 とはいえ、いつまでもこうしていてはいけないというのも分かっている為、遂に勇気を振り絞って前に進む。



「いざ、参るでござる!」



 まるで戦場に踏み込むかの如く、鬼気迫る勢いで扉を開けるブライアン。



 ブライアン出陣!



 ……だったのだが、中に入った瞬間にその足が止まった。


 なぜならば、その部屋の豪華さに目を奪われてしまったからである。



「……な、なんでござるか、ここは!? まるで、まるで楽園ではござらんか!」



 目の前に広がるパラダイス。


 その豪華さは、高級そうなテーブル等の調度品から始まり、各種酒類が並べられたバーカウンターに、柔らかそうなリビングチェア。


 そして外には、綺麗な花が咲き誇ったガーデンプレイスもあれば、露天風呂までついている。



 これを見て驚かない者はいない。

 ここまで来ると、ある意味別世界だ。



「何ボケっと突っ立てるのよ。早く始めるわよ。」



 ブライアンはその声にビクっと反応すると、正気を取り戻す。



「は! これは待たせて面目次第もござらぬ。」



 そう言うと、なんと椅子ではなくテーブルの前の床に胡坐をかき始めた。



「ブライアンさん、椅子に座ったらどうかしら? そこに座るのはちょっと変よ。ここにどうぞ。」



 ミーニャはその奇行を見て、椅子を引く。



「はッ! お心遣い痛み入る! それでは座らせていただくとするでござる。」


「堅すぎる。堅すぎるわよブライアンさん。もう少し肩の力を抜いてね。」


「はぅあ!!」


 

 ブライアンの肩に触れるミーニャの手。


 ミーニャはブライアンの緊張をほぐそうとその肩を軽く揉むと、ブライアンから奇声が漏れ出た。



「ちょっ! 敏感過ぎよ。ちょっと触っただけじゃない。まぁいいわ、じゃあ姉さんも座ったことだし、先にそっちから話してもらえるかしら。」



 ミーニャはマネアを見て言った。



「わかりました。まず最初に残念なお話からしますと、シャナクさんと思われる人の情報はありませんでした。ですが、一つ気になる話がありました。」


「気になる話?」



 マネアの意味深な言葉に反応するビビアン。



「はい、以前ブライアンさんが話してくれたデスバトラーについてです。現在モンスターの進軍が止まっていて、その中心にデスバトラーと思われるモンスターが指揮を執っていたそうです。」


「それおかしくないかしら? なんでそんな事がわかるのよ?」



 ビビアンはすぐにその情報を疑うが、マネアは続けた。



「はい、実は兵士の中で隠密に長けたレンジャーと賢者の部隊がありまして、その部隊が調査してわかったそうです。ですが……。」


「ですが?」


「その部隊は既に壊滅しました。それだけの凄腕でも、見つかってしまったようです。これは普通のモンスターには不可能です。きっとそのデスバトラーが関係しているかと。」


「なるほどね、でも壊滅したならなんでわかるのよ?」



 その疑問には、ブライアンが答える。



「それには吾輩がお答えするでござる。我々兵士の間では、情報が入る度にその情報を記載した文を軍に送るのです。それには使役した化け物カラスを使っているでござる。そして最後の文が届いて以降、定時連絡が途絶えたため、壊滅したと判断した次第でござる。」




「なるほどねぇ~、それで姉さんはそれをどう思ってるわけ?」



「はい……もしかしたらですが、それだけの知能を有するモンスターならば、シャナクさんはそのモンスターに囚われているのではないでしょうか? 敵は私達の事を知っているはずです。それであれば、ビビアン様を無効化するのにシャナクさんは最適かと思われます。ですので……シャナクさんは生きています!」



 マネアの目には強い光がこもる。


 今回の情報でマネアは確信していた。



 シャナクは生きていると。



 そしてそれが、今現在、マネアの支えとなっていた。



「そう……確かにそうね。シャナクなら人質としても悪くないわね。それなら、絶対にシャナクを取り戻すわよ!」



 ビビアンの言葉にも力が入る。



「なるほどね、さすが姉さんだわ。じゃあ私達からも話すわね。正直、シャナクについては大した情報がなかったわ。」


「そうですか……。」



 その言葉にマネアは少し声を落とした。



「でもね、姉さんには悪いけど、ビビアンにとっては朗報があったの。どうやらサクセス君は無事こっち向かっていて、後2,3日もすれば着くそうよ。」


「それはよかったですね、ビビアン様。」



 マネアはそれを聞くと両手を合わせて喜ぶが、ビビアンは微妙な顔をしている。


 本当は死ぬほど嬉しいのだが、マネアの前で素直にそれを喜ぶ気持ちにはなれなかったのだ。



「そうね。凄く嬉しいわ。でも、今はシャナクよ。こんな嬉しい時にあいつがいないなんて許せないわ。必ずシャナクを見つけたら、全力で謝って、全力でぶっ飛ばすわ!」



 その言葉に全員が笑う。


 今まで悪い情報ばかりであったが、今回は朗報も多かった。


 後は、引き続き新しい情報がないかを探しつつ、来たる決戦に向けて準備するだけであるが、そこに話が付いて行けない者が一人だけいる。



「そのサクセスという何某は一体誰の事でござるか?」



 ブライアンだけはサクセスについて何も知らない。


 それにはビビアンに代わってミーニャが答える。



「ビビアンの想い人よ。ヒルダームの兵士から聞いた話だと、魔王を単独で倒したらしいわ。ビビアンには悪いけど、戦力としてもかなり期待している人ね。」



 これにはブライアンも驚いた。


 自分が手も足も出なかったデスバトラーより強い魔王を単独で倒した男。


 そういった武勇伝を聞くと、男の血が騒いだ。



「ほほぉ! それは凄いでござるな。吾輩も是非会いたく存じ上げる。勇者様は素晴らしい許嫁をお持ちのようでございますなぁ。」



 ブライアンの許嫁という言葉に、ビビアンは頬を染める。


 気付くと、マネアがビビアンに微笑みかけていた。


 それは「私に気を遣わずに素直に喜んでほしい」という意思の現われであるとビビアンは気づいたが、逆にそれがビビアンの罪悪感に拍車をかける。



 自分だけが幸せでいいのだろうか……と。



 するとビビアンの瞳から突然涙がこぼれ始めた。



「本当にごめんね、マネア。だけど心配しないで、必ずシャナクは助けるから……だからごめんなさい。」



 その涙は行き場のない二つの感情がぶつかり合った結果、流れた涙。


 嬉しい気持ちと、喜んではいけないと思う気持ち。


 だがマネアは、そんなビビアンを見て心から安心した。


 今のビビアンなら、今後の未来も受け止めることができるかも知れないと。



「大丈夫ですよビビアン様。私はビビアン様を恨んでなどいませんから。それよりも、今はずっと会いたかったサクセスさんに会えることを一緒に喜びましょう。嬉しい時も悲しい時も、パーティは全員で共有するものです。」



 ビビアンの頭を撫でながらマネアは優しく言う。


 マネアもここ数日、普段では考えられないほどおかしくなっていたが、今は普段のマネアに戻っていた。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい! でも、嬉しいの。でも、同じ位切ないの!」



 ビビアンは、何とか堰き止めていた気持ちが一気に崩壊し、泣き崩れてしまうと、マネアに何度も謝りながら泣き叫んだ。


 それを受けたマネアもまた、同じように静かに瞳を涙で濡らす。



 その涙の訳は一体どんな意味があったのか……。


 それはマネアのみが知ることであった。

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