第28話

 それから一週間は怒涛の日々だった。そもそもバイトなんてしたことのなかった僕は鳥籠に飼われてた小鳥が野鳥の群れに加わるようだった。引っ越しのバイトはドライバーの人とバイト二人か一人かのチームで行うが、ドライバーの人達は老若関わらず筋肉で固まった腕があり、日差しで焦がした肌があり、大きく遠くへ響かせる発声があった。それは肉々しい逞しさだった。

 僕は朝七時から夜九時までの勤務を終えると彼女と中央駅の銅像のあたりで落ち合った。二人とも疲れ切った様子だった。あまり言葉数も多くなく、コンビニで弁当をふたつ買ってからネットカフェにチェックインした。弁当を食べ、フラットシートに横たわると彼女はすでに寝息をたてていた。人の寝顔を見るのは久しぶりだった。


 二日間、一日中働いて、ネットカフェに帰る。次の日は秋さんと博物館やら美術館に出かけたりする。そのセットが二回分続いた。彼女もボロボロに心身を使い切ったはずなのに休みの日となると快活として、見るもの触れるものに逐一感想を述べていた。僕にはそれが嬉しかった。

 彼女のいるネットカフェは僕にとって明確な帰る場所になっていた。野外で揉まれて巣に戻るという感覚が実家ではなく異郷の地で起きたことは不思議だった。バイト終わりの身体の節々の割れるような痛みやへとへとになった神経はこの帰宅の感覚への等量の代償と考えれば何も辛くはなかった。

 

 バイトでは多くのことを学ばなければならなかった。それは屈強な男達が飛び交わす用語の意味のひとつひとつもそうだけれど、頭の使い方、精神の保ち方のほうが重要だった。運搬の流れを汲みながら自身の運動を効率化すること、疲れた表情を見せないこと、とにかく身体を動かし続けること、ドライバーの意図を読んでしなければならないことしてはならないことを理解すること、ドライバーや他のバイトの人とトラックの車内でぎこちなく話しながら神経と身体を休めること、が僕の目下の課題となった。


 三日目にチームを組んだドライバーの浜田さんが僕に言った。


「いやあ、いっちゃんは中々筋があるよ、線は細いけどどうしてタフさがある」


「そうですか?」


「ああ、何百人もバイトの若い奴らとやったことはあるけどよ、気持ちまでひ弱なのが多くてよ。バックれたりすぐ根を上げるんけどよ。それに比べりゃいっちゃんはタフだよ。意地でも金を稼ごうって感じがよぉ」


「金にがめついってことですか」


「んにゃんにゃ。そげんことやなく、責任というかなんゆうか、とにかくタフよ」


「それはよかった」


「ああ、目に執念を感じるよ。絶対に何が何でもやり切ってやろういう執念がよ。……なあ、話が早いけどよ、正社員になるつもりはないんかい」


「いえ、僕は今月でやめるつもりです」


「あらあ、まあ、しょうがない。また来て稼げばええよ。歓迎よ。ここはずっと人手不足やからね」


「ええ、そうさせてもらいます」


「ところで金は何に使うん?」


「……旅行です」


「へえ、旅行でそんなに踏ん張れるとは大したもんよぉ」


 僕は家出旅行のためにここまで頑張れるわけではなかった。僕が頑張るのは一重に彼女と一緒にいるためだった。彼女にもっと安らいだり、喜んでほしかった。

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