第23話

 二人の浪人生があらゆるがんじがらめの縛りから抜け出して真っ先にすることといったら何だろう。この問いへの回答が正しいのかわからないけれど、僕らは狭いフラットシートのネットカフェで酒を持ち込んだ。


「やっぱりわからないものなんだね、十八と二十との違いなんて」


 乾杯を終えると僕はしみじみと達成感に浸りながら言った。二人合わせて千五百四十円の成果物がパソコン周りに陳列されている。


「というより、浪人生と大学生の違いがわからないんじゃないかな。私達みたいな人も大学にはいるってこと」


「それはそうかもね」


 彼女は弓型に緩んだ唇をウィスキーの小瓶につけた。そしてそのまま小瓶を豪快に傾けたると途端に激しく咽せてしまった。


「なにこれ、ふざけてんじゃない……」


 しゃがれ声で文句を垂れる彼女に笑いを堪えながら水を渡す。彼女も慎重に水を喉に流し込んだ。落ち着いて顔を見合うと鈴虫のような笑い声が狭い黒塗りの部屋を泳いでいった。


「何だってあんなグイッと飲むのさ」


「映画で観たもの、本当よ、水みたいに俳優が飲むの」


「じゃあその映画は嘘っぱちだね」


 僕はそう言ってワインをひとくち口に含んだ。けれども渋すぎて飲めたもんじゃない。僕が苦々しく眉間を狭めると、


「君の観た映画も嘘っぱちだね」


と笑った。僕は顔が真っ赤になるのを感じたが、不思議と痛くも痒くもない赤面だった。


 僕らはとりあえずこの先のことを何も話さずそれこそふざけた事ばかり言い合った。それはジョークの飛ばし合いで僕らがさっき脱ぎ捨てた過去やしがらみを互いに貶した。


「でも、絵を描きたいのにあの予備校じゃてんで勉強にならないね」


「いや、そんなことはないさ。しかめっ面の人の顔なんてそうそう拝めるもんじゃないよ。スケッチしとこうか?」


「『模試がふるわない浪人生の肖像』? 誰が観るの」


「皆で観るのさ。あの連中に。朝来たら黒板にでかでかと描いてやってさ」


「それ、最高。絶対やるべきね」


 ワインと酎ハイとまとまりのないおつまみのせいか頭がぼんやりと定かじゃないところに向かっているのがわかった。おまけに眠く、そしていま自分がその水際に立っている。僕はあと三巡くらいの会話が自分の限度だと思った。だからというわけではないけれど僕は思わず彼女に訊いた。


「そういえば、君の名前を僕は知らないんだった」


「え、そう? そうだっけ?」


「うん、そう、そう、そのはず。第一君だって僕の名前を知らないだろう」


「いやいや、私は知ってるよ。市原優斗、でしょ?」


「そう、正解。見事。でもそんなことはどうでもいい……」


「君は酔ったら上機嫌になるのね、面白いわ」


「それもどうでもいい……どうでも、きっと。それより、君の名前を僕は知らないんだ。そのことのほうが……」


「はいはい、わかったから。あのね、私の名前は竹内秋っていうの。……これで明日になってまた訊かないでね」

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