第21話
僕らはそのまま遥か彼方知らない町に、という訳じゃなかった。
二人は互いに溜まった気持ちの発奮がわからないようで無口に道々を行った。そのせいか全身から滴る川の欠片がぽつぽつと耳に煩く、ちょうど同じタイミングで僕らは笑った。
「流石にこれじゃあ旅できないね」
辛うじて稼働できるスマートフォンはデジタルに十六時半を指し示していた。となると開いている服屋も少なく、結局付近のデパートの服屋で無理言って買わせてもらった。
その時の彼女の交渉術といえば達者なもので、嘘と演技を織り交ぜて頑固そうなおばさんたちをその気にさせた。
「どこで身につけたの、その即興性は」
「でも失敗だった。これからの誕生日パーティーに着る服がないって言ったら何分上等なもの買わせるんだもの。余計な出費よ」
「でも買えた」
「だって今日行くんでしょ?」
彼女は不安そうに僕を窺った。街灯りに照らされ上目遣いで見つめるその顔は、普段ならきっと悶えるくらい愛らしいはずなのに、その瞬間は底の見えない陰影を纏った。僕は咄嗟に、うん、と言った。何だか大事な契約書に安易なサインをした気分だった。
飛行場に七時四十五分に着いて、彼女はいくつも並べられた電子掲示板のひとつを指差した。残った便は鹿児島行、八時三十分発。
僕らは急いで順々にトイレで着替えた。服屋で買った一個だけのリュックに二人の濡れた衣類を詰め込んだ。僕は勿論気後れしたが彼女は構わなかった。口論の時間すらまともにない。
慌てに慌ててそれでもギリギリだった。飛行機に乗り込み席に座ると初めて機内の人工的な空気が新鮮に感じられた。そしてこの新鮮さは明らかにこれまで僕のいた世界のものではない。
添乗員の案内が済むとすぐに機体はガタガタと揺れた。隣の古臭い格好のおばさんも揺れ、通路を挟んだその先の疲れ切ったサラリーマンも揺れた。急拵えの席だから彼女はまた別の、どこかの席にいた。彼女はどういう面持ちでこの震えを感じているのだろう。
飛行機は滑走路を勢いよく駆け回り、離陸した。浮遊感が肉体を持ち上げ何か僕を繋いだ鎖のようなものがぶちぶちと引き裂かれる気がした。窓から街を見下ろすと綺麗な夜景が現れる。よく考えれば夜のフライトなんて初めてだった。
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