第2話

 慣れない市電を降りて、真っ直ぐビル群を抜けると、学生が闊歩する大通りに繋がる。僕はそこを俯いたまま歩いていた。道路よりの右端に身体を寄せると、そのさらに端のほうで、ベンチに横たわる老人が一人。灰色に近い白髭が彼の呼吸に合わせて揺れて、煤けた茶のジャケットは今にも地面につきそうだった。下には日本酒のカップが転がっている。

 彼が視界に入るや否や、劣意ばかりの同情が胸を襲った。いつからか、春を謳歌する学生よりもこのしがない老人に親近感を抱く自分がいた。僕は会釈をして彼の横を過ぎる。残冬の冷えが肌をつく初春の朝、僕の脳裏には卑屈な意識ばかりがこびりついていた。


 暫くすると、交差点にぶつかる。そこを左へ曲がると、「浪人ロード」。予備校が三つ並ぶ通りだから、そう呼ばれていた。

 実際、ここを使うのは浪人ばかりだった。皆、薄汚れたリュックを背負い、俯いて歩いている。僕はどこか安堵の心地で、同じように歩いた。ひび割れたコンクリートがよく見えて、破り捨てた不合格通知を思い出す。

 僕はいつまでこういう思いをするのだろう。まだ浪人も始まってないのに、途方もない悲観がちらついた。この惨めさが延々と続く気がしてならなかった。足を進めるほど、顔のない現実が此方へと近づく。しかし、踵を返して逃げたところで、背後にもまた別の現実がある。そこには夢や理想の隙間など、てんでなかった。


 ふと顔をあげると、影法師のような集団に一筋、光景をみた。ひとりの女性が立ち止まって、狭い空に手をあてている。深い茶髪と、明るい水色のパーカーの女性ひとだった。

 僕にはこれが、一種の絵画に見えて仕方がなかった。祝福のような日光と、あまりにも現実的なコンクリートとがせめぎ合って、瞬間のうちに煌めく色が刻々と変わる。そうして、彼女の髪も、瞳も、パーカーでさえもスタンドグラスのように印象を変えた。あまりにも曖昧で、強烈な世界がそこにはあった。周りの人や雑多な建物は一斉に背景と化して、それが一層彼女の世界を引き立てた。

 僕もつられて頭をより天へ傾ける。彼女が見た空を僕も見たかった。彼女のパーカーと同じ、一点の曇りのない、平凡な水色だった。

 視線を戻すと彼女はいない。先と同じ、亡者の行進がずらずらと続いている。いよいよ幻覚を見たかと思ったけれど、幻覚にしては晴れやかな気持ちが微かに芽吹いていた。

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