盗み聞きは良くない……とわかってはいるんだけれども!


 さて、決意を固めたはいいけれど、どうしたものか。


 北大路きたおおじの家のダイニングテーブルで、半分ほど食べたお惣菜を前に、俺は途方に暮れていた。

 ここに来てから、早くも二時間以上経過している。なのに北大路はまだ帰ってこないっていうね……。


 あーもう、タイミング悪すぎだろ、俺! ラインのブロックは解除したけど、誰かと遊んでるなら俺が連絡をして水を差すのは気が引ける。


 思い立ったが吉日っていうし、できれば今日言いたかった。でもいつ帰ってくるか、わからないんじゃなぁ。



 帰りの遅い旦那を待つ妻の気分だ……なんて気持ち悪い考えを振り切り、俺は六時になったのを合図に立ち上がり、テーブルを片付けると北大路の家を出た。


 他人の家に長居しては迷惑だ。こればっかりは仕方ない、日を改めよう。



 凛と冷えた空気が肌を刺す。


 身を切る寒さを堪えて、俺は自然の闇と人工の光に彩られた通りを歩いた。民家のイルミネーションが目を射る。ミツキちゃんとの帰り道でも目にした光景だ。脳裏に彼女との会話が蘇ると同時に、俺は閃いた。


 そうだ、コンビニで待ってれば会えるかも!


 日付が変わろうが、結果は変わらないことはわかってる。それでもやっぱり、俺は今日伝えたかった。でないと怖気づいて、また言えなくなりそうで。自分という奴が思っていた以上にヘタレだと、ここ最近で嫌ってくらい思い知ったから。


 北大路がよく立ち寄る古いコンビニは、奴の家から歩いて十分くらいのところにある。新しくできたコンビニの方が近いのにそっちに行かないのは、そこの女性クルーに連絡先が書かれた紙を渡されたせいらしい。古い方のコンビニは、クルーに若い人がいなくて気が楽なんだと言っていた。



 そんなことを思い出しながら目的地に向かった俺は、店の前に見知った人物が立っているのに気付いて足を止めた。デブなのに、視力はいいんだ。視力にデブは関係ないけど。


 まだそれなりに距離があるから、向こうは俺に気付いていないようだ。キョロキョロとせわしなく辺りを窺っているその人物に声をかけるべきか迷っていたけれど、今度こそ俺は立ち竦んだ。


 そこへさらに、見知った人物が現れたからだ。


 二人は何事かを話し、そのままコンビニの中へ――ではなく、建物の裏へと消えた。



 いやうん、わかってる。こういうのを覗くのは良くない。でも足が止まらないんだから、仕方ない!


 俺は全速力で走り、そっと建物の影から様子を窺った。



「……そう、天野あまのさんも知らないんだ。わかった、ありがとう。もう俺、帰るね」



 この声は、後からコンビニにやって来た北大路のものだ。



「あ、待ってください。せっかくだから連絡先交換しませんか? 何かわかればお伝えします」



 そしてこの声の主は――――先に待っていたミツキちゃん。


 俺から話を聞いて、このコンビニで北大路を待ち伏せていたんだろう。こっちのコンビニはあんまり使わないと言っていたし、買い物のために来たのなら中にいるはずだ。


 いつからいたのかわからないけれど、こんなに寒いのに外に立って、姿を探して待っていたんだと思うと、その健気さに切なくなった。

 それに北大路に連絡先を尋ねた彼女の声は、俺の時と違って勇気を振り絞ってやっと発したという感じで、コンビニの看板に照らされる表情も一生懸命っていう言葉を描いたように真剣で、痛々しいくらいだった。


 彼女はこうまでして、北大路に近付きたかったんだ。



「いいよ、もう諦めるから。俺、みなみくんに嫌われたみたいだし。天野さんが南くんを大事にしてくれるなら、それでいい」



 不意に自分の名前が出てきたせいで、俺はビックリして声を上げそうになった。


 えっ、何なにナニ!? 何で俺の話になってんの!? てかこの二人、何の話してんの!?



「アサヒくんとはそういうんじゃないです!」



 ミツキちゃんが急に大きな声を出すもんだから、今度こそ俺は飛び上がった。



「そういうのじゃないって何? 俺、見たよ。土曜日の夜、この近くを二人で歩いてるとこ。すごくいい雰囲気だったけど、違うなら何なの?」



 北大路の声音が、どんどん刺々しくなっていく。


 ミツキちゃんを家に送っていくところ、北大路に見られてたんだ……。


 そうと知るや、心臓がドクドクと脈打ち始めた。決して悪いことをしたわけじゃない。なのに後ろめたい気持ちが湧き上がって、背筋が冷たくなって、震えが止まらない。



「あ、あれは私が足を傷めたから、アサヒくんが肩を貸してくれただけで……私だって、本当はイヤだったんです」

「…………イヤって何だよ?」



 聞いたこともないような低い声で、北大路が返す。



「だってほら、こんなふうに変な感じに誤解されるじゃないですか。北大路くんもあれを見て、勘違いしたんでしょう? 本当に違うの。アサヒくんとは何でもないの」



 ミツキちゃんが必死に弁解する。



「誤解って何? 俺に勘違いされて何か困ることでもある?」



 だけど北大路の返答は、どこまでも冷ややかだった。


 北大路はこちらに背を向ける形になっているから、表情まではわからない。だけど声を聞いているだけでも、すごく冷たい目をしてるんだろうと察することができた。



「こ、困ります……だ、だって私、文化祭で会った時からずっと、北大路くんのことが気になっていた、から」



 ミツキちゃんの消え入りそうな告白を聞いて、俺は脱力した。


 うん、わかってた。ですよねー……。



「そう……じゃあ、どうして俺じゃなくて南くんと仲良くしてたの? 気になる人がいるのに、他の奴と仲良くしてたってことだよね? 俺も同じようなことしたから、あんまり言えないけど……天野さんにも、何か理由があるの?」



 これまでとはうってかわって、北大路は静かに問いかけた。やけに優しい声が、俺には何故か不気味に感じられた。言うなれば、嵐の前の静けさ、とでもいうのか――。



「アサヒくんと北大路くん、文化祭で見た感じ、すごく仲良しに見えたの。だからアサヒくんと仲良くなれたら、少しでも北大路くんに近付けるかな、と思って」


「ふざけるな!」



 この声が、北大路の放ったものだと理解するまでに時間を要した。


 ミツキちゃんが大きくびくりと身を揺らがせたのがわかったけれど、それでも頭が追い付かない。


 だって北大路だぞ?

 信じられないよ……あの北大路が女の子を怒鳴るなんて!

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