第19話

 人々を、暮らしを、歴史を守護してきた〈ミグラトリー〉の外壁が、見るも無残に砕け散る。穿たれた穴から、亀裂から大気が吹き出し、半壊した建物や街路樹、自動車を撒き散らしていく。

 大勢の人がいたはずだ。つい、先程まで生活があったはずだ。眠っていた人が。食事をしていた人が。語り、笑い合っていた人たちが。ただそこで生きていた人たちの頭上に、理不尽な宣告が落ちた。降り続ける赤い飛翔体の一撃は、瓦礫さえも粉砕していく。

 焼かれ、融かされ、真空に押し潰されていく。

〈デカブツ〉から漏れ出た輝きは粒子になって宇宙に溶け、見上げるほどだった巨体が光の流出に伴い塵のように消えていく。後に残ったのは……山ほどの残骸。途方に暮れるぼくに、爆発で散った瓦礫が飛来する。ぼくは瓦礫の流れに逆らって、爆心地を目指した。方向制御のグリップを握る腕にも、推力調整用のペダルを踏む足にも、力が入らない。ただ、真白になった頭で、そこに吸い込まれるように、機体を進ませる。

〈おい〉ノイズ交じりのマクスウェルの声が聞こえた。〈無事なのか、カイル!〉

 ぼくには返事ができなかった。

〈カイル、何してんだ〉

 僅か数分前まで、ここに暮らしがあった。日常の残滓を掻き分けながら、生体反応を探る。誰か。誰かいないか。コロニー内を流れていた河川や水道が真空で沸騰し、急速で冷えてできた氷の塵が街を白く染めている。窓や戸にシャッターが降りている建物をスキャンしていく。それらは、有事の際のエアロックが発動している証だ。壁に穴が開いていたり、シャッターが降りていない建物を探索しても……意味はない。

 ぼくは放心する。時々、我に返っては辺りに視線を奔らせた。だけど、気づけばまた、ぼくは途方に暮れている。その繰り返し。

 ない。何もない。誰もいない。悲鳴も挙げずに、怒りも叫ばずに、人々はいなくなった。

 みんな、冷たい暗闇に呑まれてしまった。

 機体の制御も、瓦礫を避けるのも、半ば身体が無意識の内にやってのけ、ぼくはひたすらに爆心地を駆け回り続ける。やがてぼくは何を探していたのかも、何を期待しているのかも解らなくなっていった。

 ビルだった瓦礫を迂回すると、鉄骨で連結された丸い蓄電タンクが浮かんでいるのを見つけた。ぼくはブレーキペダルを踏んだ。連結された蓄電タンクの隙間で、何か蠢いているのに気づいたからだ。

「お前が『破滅』か?」

 ぼくの声は、酷く掠れていた。

 赤いゲル状の何かは蓄電タンクを丸呑みにして、それを咀嚼するように身体を震わせたあと、一回り大きくなった。こいつ、間違いない。あの〈デカブツ〉だ。

〈カイル!〉マクスウェルの通信だ。〈返事をしろ!〉

「マクスウェル。……あの赤いのを見つけた」

 赤いゲルはぼくを無視して、二つ目の蓄電タンクに目をつけた。大きな口を開けて、二つ目の蓄電タンクも丸呑みにした。

〈おい、カイル。まさかお前、そいつに手を出そうなんて考えてないよな〉

「こいつ……。またデカくなるつもりだ」

〈だったら、今すぐそこを離れろ〉

「野放しにしておいたら、手に負えなくなるぞ」

〈今だって、十分手におえないだろう!〉

 ぼくは〈プロスペクター〉の胸部に備わるライトを灯す。

「見えるか! 赤いの!」

〈赤いゲル〉はこちらに気づいたようで、蓄電タンクを貪る手を止めた。ゆっくりとこちらを振り向く。ぼくのライトが、〈赤いゲル〉の内側を透かす。呑まれた蓄電タンクの残骸だけではない。あれは……人? いや、人間のサイズではない。

〈おい、カイル! お前今どこにいる!〉

 ぼくはマクスウェルの声を無視して、〈赤いゲル〉に接近する。すると、ゲルの内側の人型の何かがこちらに手を差し出した。それに応えるかのように〈赤いゲル〉がぼくに向かって伸びる。あいつが、〈赤いゲル(これ)〉を制御してるんだな。

〈聞いてんのか、カイル!〉

「お前こそ、解ってんのか!」

 怒鳴るぼくに、マクスウェルは押し黙った。

「好き放題やられてるんだぞ。ただここで暮らしていた人たちを宇宙に引きずりこんで、ここで暮らしてきた人たちが築いたものを貪って……何もかもを奪われて――」

 ぼくは〈赤いゲル〉の一撃をかわし、〈プロスペクター〉の腰部のポケットから〈アトラクト〉を取り出して、ゲルの中に放り込んだ。

「セット!」

〈アトラクト〉が起動し、周囲の瓦礫を吸い寄せる。ゲルが大部分の瓦礫を運動エネルギーを減衰するだろうが、〈ミグラトリー〉に降ってきたときと比べたら、その身はまだ小さい。ぼくは続け様に〈アトラクト〉を放り込む。〈アトラクト〉が吸引しした瓦礫が殻となり〈赤いゲル〉を内側に閉じ込める。静止した瓦礫には〈赤いゲル〉を膨張させるほどのエネルギーはないだろう。そう考えてのことだが、瓦礫の中で〈赤いゲル〉が沈黙したところを見るに、どうやらその通りだったようだ。

 瓦礫の塊の表面で、どこかのバーか喫茶店のネオン管が点滅している。〈片隅のきらめき〉……きらめき(グリッター)か。

「やったぞ」とマクスウェルに声をかけた。「……やったんだ」

 しかし、返事がない。通信装置もイカれたか。傍を通り過ぎて行く瓦礫に残っていた窓ガラスに、〈プロスペクター〉の外見が反射する。腕はもがれ、全身の装甲板は拉げ、足も不自然な方に曲がっている。こんなザマでも生きている。ぼくは……生きている。

 窓ガラスに映る憐れな自分を眺めていると、ぼくの背後で何かが高速で横切るのが見えた。〈プロスペクター(マクスウェル)〉のシルエットじゃない。他にも何かが? ぼくは咄嗟に機体を旋回させた。

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