第2話

「存続の鍵とは何だ」

 アドルフはテーブルを叩き、威嚇する。

「知らない」

「破滅とは何のことを指している?」

「壁一枚向こうは宇宙だぞ。思いつくことは山ほどある。窒息か? 資源不足か? あんたたちの方こそ〈ミグラトリー〉には先がないってことを市民に隠しているんじゃないのか?」

「〈ミグラトリー〉のライフラインは完全だ。ここは聖域なんだよ。外の環境とは隔絶され、危険が内に及ぶことはあり得ない。……内側から腐っていかない限りはな」

 ぼくは鼻で笑う。「それは政治の話か?」

 アドルフは眉間に皺を寄せたが、それ以上表情を崩さなかった。

「どうやってあの女と結託した?」

「結託?」

「ふざけたメッセージで街中を汚す馬鹿者がいると思えば、今度はそいつの言う通りに正体不明の訪問者が現れた。これで無関係だと言い張るつもりか?」

 あんたが無理矢理接点を持たせたいだけだろう。そう言う代わりに、ぼくは深い溜息を吐いた。

「贅沢できない恨みか? それとも、働き詰めの毎日に嫌気が差したか?」

「今度は何の話だ」ぼくの語尾も強くなる。

「絵空事を吹聴して回る奴なんてのは、どいつもそう変わらない。真っ当な生き方から脱落して、同類同士で傷を舐め合い、世間は最低だと矛先を揃える。自分の居場所を確保するために」

 おいおい、随分な言われようだな。

「落書きに見向きされなかったから、脅しをかけようと。つまりはそういう魂胆じゃないのか? 恐怖で憎き世間を混乱させ、人々を意のままに操ってやろうと」

 なるほど。それがあんたの思い描く事の顛末なんだな、アドルフ。はみ出し者のぼくは〈ミグラトリー〉でぞんざい扱われているから、世の中を恨んでいると。そして、ここで惨めに暮らし続けるくらいなら、救世主気取りで怯える人々を引き連れ、新天地を探してみようじゃないかと企てた。

 そんなわけ、あるか。

「生活の不満を境遇や世間のせいにしていれば、自分の人生に責任を持たなくていい。そういう生き方は楽だろうな」

 壁面に投影されていた映像が切り替わる。映し出されたのは、街中に設置されている監視カメラの映像だ。産業廃棄物の横領。無許可の宙域活動。バーで呑んだくれ、帰りの道端で居眠りするところ。仲間と共にカラースプレー缶を片手に、夜道を駆け回ったり、ビルの屋上に小型の機会を設置して、アドバルーンを打ち上げる様子なんかも捉えている。何十、何千万時間を超えるだろう記録の中から、顔認証装置を擦り抜けるぼくの姿を抽出したその根気には、涙してやってもいいかもしれない。

「説教か? 尋問はどうしたんだよ」

「〈ミグラトリー〉はここに自然発生したわけでもないし、我々が呼吸や就寝に困らないのも……足が地に着くことさえ、当たり前なことではない。お前たちみたいなのは、それが解っていないんだ。全てが在って当然だと勘違いしている」

 アドルフ。アドルフ・レイン防衛主任。その肩書きを手に入れるまでに、どれだけの苦労があったのかは思いも寄らないし、興味もないが、〈ミグラトリー〉がなくなれば……いや、それほどのことが起こらなくとも、世の中の仕組みが変わってしまえば、あいつが築き上げてきた地位は無意味になる。これほどまでにぼくを敵視するのは、そのせいだろう。ぼくがどんな奴かってことは関係なしに、脅かされるっていう危機感だけを募らせている。

「お前が生まれる前の」アドルフは拳でテーブルを鳴らす。「更に前の」拳がテーブルを叩く。「更に前の」拳が強く、テーブルを叩く。「遙か昔に築かれ、それから受け継がれてきた安息の土地なんだ。それをお前は身勝手にも――」

「歳を取るとみんなそうなるのか?」

 アドルフは眉を釣り上げた。「どういうことだ」

「説教だよ。ぼくのボスだった奴も、あんたくらいの歳で小言ばかりだった」

「言うじゃないか」アドルフの眉間に皺を寄せ、握り拳の関節を鳴らした。「だがな。わたしはお前のボスよりも手荒だぞ」

「あんたは勘違いしてる」

「今更、命乞いか?」

「まず貧乏人は、世界をそこまで呪っちゃいない。だって、貧乏だから。働いて、働いて、働き詰めなきゃ食い扶持も稼げないっていうのに、キレ散らかしている暇なんかどこにある?」

 アドルフは自分の拳をぼくに見せつけながら、こちらに歩み寄る。

「それに、あんたたちは落書きだって馬鹿にするけれどな。ぼくたちから言わせれば、ぼくたちが生まれるよりも前の、更に前の、更に前から――」

 アドルフは拳を振り上げた。

「旅を始めるべきだった」

 振り降ろされたアドルフの拳が、ぼくの頬を掠める。アドルフは冷や汗垂らすぼくを嘲笑う。

「旅? また旅か。馬鹿の一つ覚えのように……」

「なんだ、あんた知らないのか? 先人がどうのこうのなんて語ったくせに。そもそも、ぼくたちがここにいるのは、その先祖が旅を始めたからなんだぜ?」

「わたしが言っているのはだなあ! 〈ミグラトリー(ここ)〉でさえ、碌な生き方ができないお前が、宇宙で何ができるのかということだ!」

「遥か昔、空は見上げるだけのものだった。闇の向こうはどうなってる? 星が瞬く意味は? その答えの近くにまで来ているっていうのに――」

 アドルフはぼくの胸ぐらを掴んで、椅子ごと引き上げた。

「答えはもう、見つかったんだ! いいか。宇宙には何もない。あるのは暗闇だけだった。大気はおろか、熱もなければ、輝きも! だから、我々はここに終の棲家を築いたんだよ。安全が保証された暮らしを取り戻すためにな!」

「まるで自分が見てきたように言うんだな。だとしたら、ぜひ教えて欲しいね。あの〈銀ピカ〉はどこから来た?」

「だからそれは! お前たちが仕組んだことだろう!」

 堂々巡りだ。アドルフにはぼくの言い分を聞く気がないし、ぼくが折れたところで何も解決しない。

〈そうか。お前たちは、あの闇の向こうを暴こうとするのか〉

 その声に、ぼくとアドルフは天井を見上げた。そして、目を丸くする。天井に亀裂が奔り、裂け目から何本もの機械の触手が生えたのが見えたからだ。触手は束になって構造を変化させ、筋繊維が露出した人間の上体みたいな姿になっていく。アドルフはその様子に何か納得すると、ぼくを離して壁際まで離れた。

「選手交代ってわけ?」

 ぼくの目の前に迫ると、上半身だけの機械は真赤な単眼でこちらを見つめた。

これは尋問装置の類だろうか。ぼくはアドルフに目をやる。

「まあ、あんたよりは話が通じそうだ」

 アドルフは眉間に皺を寄せた。

 真赤な単眼を備えた機械の頭部は、内部機構の微細な動きを見せつけるようにぼくの鼻先まで顔を近づけると、低い雑音交じりの声で言った。

〈懐かしい目をしているな〉

「なんだ? 前にどこかで会ったか?」

 こいつといい、〈銀ピカ(あいつ)〉といい、ぼくには金属製の知り合いなんて持った覚えはないのだが。

〈残念だが、世界はお前が期待するようなものじゃない〉

 機械はぼくの言葉を無視して小さく笑い、そして言った。

〈寵愛の中で、現実世界がどれだけ過酷なものかを教えれば、自分たちが如何に矮小であるかを理解できるものと、幾許かの期待もかけたが……。身の程も知らずに衝動を抑えられない。所詮それが人というものか〉

 何を言っているのか解からないが、馬鹿にされていることは確かなようだ。

〈《あの船》を持ち出したのもお前たちだろう?〉

「何の話です?」とアドルフが口を挟んだ。……敬語?

「もしかして、あんたの上司なのか? これが?」

 機械の取調官は触手を伸ばし、ぼくの首を締め上げた。

〈《あの船》で何をした?〉

 こいつ、ぼくたちの〈宇宙船〉を知ってるのか。

「あんた……。随分と直球を投げるじゃないか」

「船?」とアドルフはぼくと機械の上司を交互に見る。「船とはなんだ!」

「蚊帳の外で……悔しいか?」

 ぼくは現在進行形で苦しいが。

 吐かせるつもりがあるのかないのか、ぼくの首を絞める機械の触手に込められる力は、次第に強くなっていった。

「メッセージを送ったんだ。『出発の準備は整った』」

〈それで?〉

「それだけだ。何十回と宇宙に向けて飛ばしたが、全部同じさ。長ったらしい挨拶を並べたって、読む前に飽きられちゃ意味ないからな。……毎回、ほとんどは誰にも届かなかった」

「ほとんど?」

「ああ、そうだ。ほとんどだ。だけど、一度……たった一度だけ反応が返ってきた。それが返事だったのかも……実のところ解っちゃいないが」

「この期に及んでまだ言い逃れを――」

「一瞬だけだったんだ。規則性があるからノイズの類じゃないそうだが、途中で途絶えたものだから解析にもかけられない」

「一瞬? たった一瞬の信号だけで、今までああも騒ぎ立てたのか」

 アドルフは映写機が光を照射する壁の方を向く。車載カメラの映像。「〈隣人〉はぼくたちとの出会いに期待している!」歩道橋の側面にでかでかと刷られた文字。

〈お前たちの声が〉と、機械はアドルフを無視する。〈あれを呼び寄せたのだ〉

「誰を呼んだんだ!」

「誰でもない。宇宙の向こうに誰かいればいいと思っていたが……誰かいるなんて確信はなかったよ。……今の今まで」

 正確には、二日前の、あの晩まで。

「ではなぜ――」

「あんたが言った通りだよ。こんなところにいたって、人生を無駄にするだけだ。そう思ったからぼくたちは決心をした。だけど、動機はあれ、航路図はない。目的地が欲しかった。そのための宣言だよ。『会いに行ってやるから待ってろ』ってね。メッセージに好意的な反応があったら、そこを目指すつもりだった」

 ぼくたちは独りじゃないって信じたかったんだ。広大な暗黒に向けた言葉は、それを確かめるためのメッセージに過ぎない……つもりだったが、ぼくが名指しされたのは、そのせいなのか?

「あんたの目的はあの声の正体を掴むことだろう?」ぼくは顎で機械の取調官を指す。「こいつは何か知ってるみたいだぞ」

「何を適当なことを」

「〈あいつら〉ってこいつが言ったの、聞いてなかったのか? 正体も知らないで、どうして相手が複数だって断言できる」

 アドルフはぼくから機械の上司に視線を移した。それで? アドルフは躊躇い交じりに口を動かすだけで何も言わない。それで、あんたはどれほどこいつのことを信頼している?

「それに、あんた」とぼくは機械の方に向き直る。「あんたは、ぼくたちの〈船〉が何かも知っているみたいだな」

 ぼくは機械を睨む。

「何者だ?」

〈ウォルター・ロバーツ。一先ずはそう名乗っておくか〉

「ウォルター? 馬鹿を言え。お前がウォルターなわけがないだろう」

 このマシンが……あるいはマシンを操っているのがウォルター・ロバーツ? そんなわけはない。大方、ぼくの知っている名を出して、動揺を誘おうっていう腹積もりだろう。

〈そうか?〉機械の声色が変わった。〈お前なら解かると信じていたが〉

 ぼくは思わず目を見開く。

 それは、聞き馴染みのある声だった。そして、とても懐かしい――。

「お前。……何者だ」

 しかし、機械はぼくの問いに答えず、壁の方を……まるで向こうを見透かすように壁の一点を見た。

〈釣れたようだな〉

「何の話だ?」

 ウォルターの声をした取調マシンは、掴んでいたぼくを突き飛ばすと、部屋の中央にぶら下がったまま沈黙した。

「答えろよ」反応はない。「おい、答えろよ!」

 怒鳴るぼくに返事もしないまま、機械は全身のチューブをうねらせ、天井の裂け目に身体を捻じ込むように取調室を出ようとする。

 ぼくは立ち上がって、機械の首筋目がけて跳びかかった。そして、頭と胴を接続しているチューブを手当り次第に引っこ抜く。赤い眼光が消え、触手がチューブを外された順に機械は弛緩していった。こいつが自立稼働するセキュリティシステム群の一つなら、アクセスログが保存された記憶媒体が身体のどこかにあるはずなんだ。それさえあれば、さっきの声の奴がどこからこれを操っていたのか探り出せる。

「警備を集めろ! すぐに!」とアドルフは部屋の入口の壁にかけられた通信機に向かって叫んだ。

〈無理です。人手が……〉応答した兵士の背後で悲鳴が聞こえた。〈敵襲です!〉

 アドルフは慌てて取調室のドアのロックを解除した。ドアの向こうから、行き交う兵士たち足音や怒声、地響きが雪崩れ込む。

「敵とはなんだ!」

 ドアの前を通り過ぎようとした兵士を捕まえて、アドルフは問い詰めた。

「コロニーの外壁に、〈船〉が突っ込んだんです」

「〈船〉?」とアドルフは驚き、

「突っ込んだ?」とぼくも驚く。

「防衛システム(セキュリティ)はどうなってる!」

「そ、それが、〈プロテージ〉との交戦の際に破壊された設備の修復がまだで……」

「迎撃隊はどうした」

「準備中であります」

「まだ出撃しておらんのか!」

 兵士が答える前に、また地鳴りだ。今度の騒ぎは近くで起こったみたいで、屋内にいたぼくたちにまで振動が伝わってきた。

「突然現れたんです」と兵士。「船首で外壁を貫かれる直前までレーダーにも映らず、目視もできませんでした。……本当に、唐突で……」

「あいつら、頭から突っ込んだのか?」思わずそう言うと、部屋中の視線がぼくに向けられた。「いや、これはぼくも予想外なんだ」

「ネズミ一匹、侵入させるなよ」とアドルフは兵士の方を振り返る。

「申し訳難いのですが……」

「もう侵入されたのか?」

「所属不明機が一機、船体から射出されまして……」

「所属不明だ?」アドルフはぼくを指す。「こいつの仲間に決まってるだろうが!」

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