二年生
「なんか、スーパーで会った時にも思ったけど、貴明って春休みの間に結構鍛えた?」
「ふっふっふっ。よくぞ聞いてくれました」
朝のホームルームが終わった後の隙間に、佐伯お姉様が俺の肩回りに注目して首を傾げたので、思わずニヤリと笑ってしまった。
「異能者に最も必要なのは筋肉であるという結論を導き出したので、春休みはずっと筋トレしてましたっ……違う脳筋は嫌だ脳筋は嫌だ……!」
「……どうしてその発想になったか分かる気がしてきた」
俺が導き出した理論を披露したはいいものの、再び精神汚染が襲い掛かって来たので思わず頭を抱えて正気度を保つ。
すると佐伯お姉様は、俺の状態に理解を示してちらりと視線を向け……そこに奴がいた。
「なんと素晴らしい。流石は首席と表現するしかない。そう、シンプルイズベストでありマッスルイズベストなのだ」
の、脳筋の権化だー!
筋肉、筋トレという単語を聞き逃すはずがないマッスルが、今にもプロテインを飲みそうな仏の面で忍び寄ってきた! はっ!? プロテインを飲みそうな仏の面ってなんだ!?
「佐伯もどうだ?」
「適切に鍛えはするけど、24時間筋肉のことを考えるのは止めておくよ」
「そうか……」
更にマッスルは佐伯お姉様を誘うが、当たり前のことを言われたのに残念そうだ。人類で24時間も筋肉のことを考えてるのはお前だけだよ。
「では貴明、共に筋トレをしよう」
「あっあっあっ」
狙いを変えたマッスルがアルカイックスマイルで俺に誘惑を仕掛けてきた!
世の理である筋肉面に抗うことができない!
「小夜子。貴明が筋肉道に魅入られて正気を失ってるよ」
「実は義父様が武道家の関係で、昔から家に筋トレ用の道具があったみたいなのよ」
「ほほう。そういや貴明は合気を使ってたね」
駄目だ。お姉様と佐伯お姉様の声が聞こえるが意識は遠のく。
…そうか、マッスルとはスマイルでありアルカイックマッスルとは仏が筋トレする時の笑みなのだ。
はっ!? 俺は正気に戻った!
「適度にね!」
「十分だ」
366日の筋トレに誘われる前に予防線を張って、崖っぷちで踏みとどまることに成功した。危うく盆暮れ正月関係なしの筋トレ生活を送るところだった。
ってあれ? 藤宮君&常識人と話していた橘お姉様が机に突っ伏してるぞ?
「藤宮君、狭間君。橘お姉様はどうしたのかな?」
藤宮君と常識人から話を聞こうとしたが、すっげえ深刻な表情を浮かべている。
しかも、はて……藤宮君は佐伯お姉様にも意識を向けてるな。なにがあったんだ?
「ホームルームの前に職員室で、式神符の貸し出し予約を確認しに行ったんだが……」
「ふむふむ」
藤宮君の言葉に壁作り職人の狭間君が頷いている。この二人が揃って戦闘訓練をするだなんて、まさかとは思うけど四力と超力壁の合わせ技なんていう要塞でも作るつもりなのだろうか。
「ゴキブリの式神符がないことに気が付いて教員に聞いてみたら、異能研究所に送り返されて強化中らしいんだわ」
「げっ!?」
話を引き継いだ狭間君の説明に思わず声を漏らしてしまった。
なにしてるんだよ! あのゴキブリは我がチーム花弁の壁を半壊することができる最強の絶対悪なんだぞ! それを強化してるだなんて正気じゃねえ!
なおあのゴキブリは恨みを抱いてないマジの聖人ゴキブリなので、邪神的な強化を施すことができないのである。
「絶対に私と飛鳥は相手をする羽目になるわ……」
「お労しや……」
橘お姉様が神は死んだと言わんばかりの表情になっている……だが、俺っちはあの聖人ゴキに対してはなにもすることができない……邪神なんてものは無力だ。
「なにか……面白い話をしてるねぇ……」
「ぎょ!?」
ポンと肩に手を置かれたがそんなことがあり得るのか!? 邪神の俺が背後に気が付かなかっただって!?
そこにはにっこりとした笑顔の佐伯お姉様がいた!
「学園の教師陣は、いくら新学期でもエイプリルフールは終わってるってことを知らないらしいね。ふひ」
ああ!? よく見たら佐伯お姉様の焦点が合っていないどこか虚ろな表情になっている!
「このまま人類はゴキブリに制圧されるんだ。そしてあらゆる場所に卵が設置されて、近づいたら一瞬ででででで」
「とりゃ!」
「ぐべが!?」
完全に正気を失ってしまった佐伯お姉様の背を押し、久しぶりの邪神流柔術活法が決まった!
「ふう。僕は正気に戻ってない」
「ぷぷ」
額の汗を拭う仕草をした佐伯お姉様に、お姉様がいつもの素晴らしい笑みを向けられている。
「気楽に考えましょう。私達はあいつを倒してるのだから、強化されてもまたそうすればいいだけだと」
「そうだね栞。灰も残らない程度に燃やせばいいだけだ」
ああ、なんという覚悟なのだろう。橘お姉様も佐伯お姉様も、ゴキブリをぶち殺す決意を固められている。
狭間君、こんなこと言ってるが大丈夫なのか? みたいな視線を送られても……。
「それはそうと藤宮君、アーサーが来るのを楽しみにしてるでしょう?」
「ああ。そして俺は手の内を見せた以上、より厳しい戦いになる」
橘お姉様が藤宮君に話しかけた。これ以上、ゴキブリのことで頭を痛めたくないのだろう。
藤宮君のライバルであるアーサーは、やはり我が帝国に来ることが確定しているようなので、手に汗握る激闘が繰り広げられることだろう。
「私も負けていられないわ」
更に橘お姉様もまた気合を入れている。やはり今年は学園のテッペンを決める熾烈な争いが起こりそうだ。
狭間君、学園内でビームが飛び交わないよな?って視線を送られても……あまりにも常識人なせいで目は口程に物を言う状態だ。
あれ? 無言の藤宮君に連れられて教室の端に移動する。
「二人には言えないんだが……異能研究所に行った時に百足型の式神と戦ってな……百足とゴキブリが合体した式神くらいは覚悟した方がいいかもしれない」
「おふ……」
すっごい小声の藤宮君から、具体的なイメージを感じ取ってしまい、思わず邪神の俺でも正気度が削れる化け物が脳内で誕生してしまった。
もしそんなのが現れた日には、永久凍土と焦熱地獄が同時に発生するだろう。
「そう言えばまたイギリスに行く機会があるわね」
「そうだね」
まだ可能性に過ぎない以上、俺からその恐ろしい想像を伝えることは出来ず、皆の輪に戻ってお姉様と佐伯お姉様の話を聞く。
危うく時間軸から吹っ飛ぶところだったイギリスは、まだまだ混乱が完全に収束しているとは言えないが、それでも式典は予定されており俺達もそれに参加することになっている。
「騎士佐伯飛鳥だから。魔法少女飛鳥じゃないよ」
「あら、やっぱり私がなにを考えてるのか分かるのね」
「だから顔に書いてあるんだって」
異能者向けに新しく作られた勲章やら騎士爵位を貰う可能性があるため、佐伯お姉様とお姉様の会話は現実的にあり得る。
名乗るか? サー貴明、名乗っちゃうか?
「貴明君、今年も研究会は開くのかしら?」
「え? ひと際面倒な連中の対処研究会ですか? 後輩も誘ってやる予定ですよ」
「そう。私もまた参加させてもらうわ」
「ぜひぜひ!」
顔色が戻った橘お姉様に力強く頷く。
「俺も時間があるときは、小百合と一緒に行くかも」
「大歓迎!」
俺が主催しているなんちゃって勉強会だが、今年も橘お姉様だけではなく、常識人と東郷さんも参加してくれることになった。やったぜ。
あ、そうだ。忘れてた。なにやら手紙を書いているチャラ男の背後に忍び寄り……。
「首席として留学生の歓迎会も考えないとなあ」
邪神流囁き術! 相手は話を聞いてしまう!
特に彼女のモイライ三姉妹がやってくるチャラ男には効果抜群だ!
「貴明君」
するとチャラ男は椅子から立ち上がり、アルカイックスマイルを浮かべて手を差し出してきた。マッスルといい、最近その笑み流行ってんのか?
「やっぱり君は素晴らしい首席だよ」
なんか普段と全く違う口調のチャラ男だが、俺が素晴らしい首席なのは間違いないのでその握手を受け入れる。
「一緒にクラスを盛り上げていこうじゃないか木村君」
「そうだね貴明君」
お互いの肩を軽く叩き合う。これで歓迎会の手伝いを一人確保っと。
「アーサーは男連中に任せたらいいわね。私はモイライ三姉妹と、お一人様一点の商品を買いに行くから」
「私は女子会してみたいかも」
イギリスの極一部でアーサーの相方認定されている厚化粧が、妙な企みをネクロマンサー東郷さんに披露しているが、その東郷さんはあまりにも常識的だ。常識的過ぎて他に何も言えねえ。
だけど東郷さん気を付けた方がいいよ。モイライ三姉妹と女子会したら、チャラ男とののろけで時間が潰れそうだよ。尤も東郷さんも狭間君とののろけで対抗しそうな気がする。なんか目に見えるな。そんで厚化粧が気にせず横になって、スナック菓子を貪り食ってる光景が幻視できた。ありありと。
「ならまずはファミレスね。キャンペーンをしてる店に心当たりがあるから、適当な休みの日に誘ってみる?」
「うん。そうしてみる」
そして厚化粧がどんどんと予定を決めて東郷さんが頷く。この後、厚化粧と歓迎会について話をしてみよう。大阪のおばちゃん的見解が俺には必要かもしれない。
いやそれにしても。
うむ。
クラスに戻ってきた感じがすっげえするわ。
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