幕間 蜘蛛君ショック
主ともいえる貴明からの通信には、基本的にだんまりを決め込んでいる蜘蛛だが、ここ1か月ほどは本当に返事をする余裕がなかった。
その少し前はよかった。世界異能大会は対人戦闘だったため、人型ではない蜘蛛は生徒達からの需要がなかった。それ故に蜘蛛は久方ぶりの休暇を満喫できていた。
しかし、もう年度末になり、四年生が卒業までの追い込みをかけたこの時期では、蜘蛛も完全に話が変わる。
彼らは、イギリスにこれこそが異能特異点の異能学園四年生であると見せつけた。
『ギギャアアアアアアアアアアアア!』
「【六根清浄大祓】」
全身を逆立たせて、呪詛の籠った金切り声を発する蜘蛛に対して、東郷小百合の姉である東郷桜が、浄力の聖域を展開して防ぐ。
ヨーロッパの一部から、極東の聖女と呼ばれる単独者の姉と、ある意味でバグの妹を持つのだ。その浄力は、世界を見ても同年代でトップクラスだろう。
『ギギギギギ!』
現にその結界は、呪いの化身ともいえる蜘蛛をして、心底嫌なものを見たと歯軋りをしたほどだ。学生が呪詛特化の非鬼を苛つかせたのだから、世界中の浄力者から称賛されるだろう。
「【超力砲】!」
『ギイイ!』
もう一人、蜘蛛が歯軋りをする相手がいる。蜘蛛の死角から超力砲を放った生徒は、蜘蛛が今の四年で最も苛ついている相手だ。
「【超力砲】!」
『ギギャアアアアアアア!』
「【転移】!」
『ギギギギギギギ!』
再び放たれた超力砲に対して、呪いの化身である蜘蛛が、体毛からその恨みを込めた毛針を発射した。しかしそれは、超短距離の転移によって回避されてしまう。
貴明が食堂で、未来の後輩のため声をかけた大柳もまた傑物だ。極限られた超力者しか至れない転移、もしくはテレポートを戦闘中に多用出来る彼は、対蜘蛛において奇襲と撤退で常に活躍し続けた。蜘蛛が未だに四年生を全滅させられていないのは、彼の力があってこそだ。
それ故、蜘蛛は常に自分を死角から攻撃し続け、あと一歩のところで訓練場から、東郷を連れて逃げる大柳を殊更目の敵にしていた。
「【真なる迦楼羅炎をここに】!」
「【掛けまくも畏き伊邪那岐大神】」
「【コキュートス!】」
「【超力大砲】!」
「【ス! サ! ノ! オ!】」
「【菩提樹よ我らを守り給え】!」
いや、二人だけではない。誰も彼もが、どいつもこいつもが傑物。かつて非鬼擬きを打倒して、自らは単独者だと驕っていようが、そもそも学生が一人で非鬼擬きを倒せるのが尋常ではない。それが、蜘蛛との戦いで磨きに磨かれたのだ。
霊力で編まれた邪を寄せ付けぬ炎が、浄力で編まれた聖なる力場が、魔力で編まれた氷獄が、超力で編まれた念弾が、蜘蛛の黒き体を削り取る。
だが何より。
「【ノウマク・サマンダ・ボダナン・ラタンラタト・バラン・タン】!」
麒麟児にして天才。いずれ、時代を背負って立つであろう傑物の中の傑物。
戦闘会会長、宮代典孝が唱えた真言は、仏法守護にして戦闘鬼神阿修羅。
「【阿修羅塵壊尽】んんんんん!」
『ギイイイイイイイイイイイイ!?』
宮代が蜘蛛の頭に渾身の拳を叩きつけ、蜘蛛はたまらず悲鳴を上げて仰け反った。
「見事だ宮代!」
その光景に竹崎重吾が叫ぶ。ひょっとすると、宮代と同年代だった頃の竹崎よりも、破壊を宿した拳だった。
『ギイ……』
蜘蛛はいよいよ、自分の心に正直に向き合う。
この呪詛溢れる体に再誕する前から、散々自分をボコってくれた現四年生。それが見事なまでに成長して、もう少しで卒業しようとしていた。
『ギギ……』
確かに労働地獄に陥っていたが、その成長に自分が関わっていたことが誇らしかった。感動していた。だからこそ、ここ一月ほど真摯に彼らと戦っていた。
全ては卒業後の彼らが生き残るために。
「やったか!?」
「勝った!?」
その巣立つ彼らに幸が訪れるよう祈るため。
『ギギギギギギガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
非鬼を教えてあげることにした。
「え?」
ただでさえトラック並みの巨躯だった、漆黒の蜘蛛の体がボゴりと隆起したことに、訓練場にいた殆ど全ての教員と生徒がぽかんとした。訓練場で唯一動けたのは、蜘蛛を今すぐ止めなければ
しかし遅かった。
『ギギュギギギュゴ』
ボゴボゴと泡立つように体を巨大化させた蜘蛛は、あっという間に一軒家ほどまで膨れ上がると、悍ましい瘴気をボフンと口から漏らしている。
その姿は、誰がどう見たって空気を入れすぎて、パンパンに膨らんだ風船のようだ。
つまり
「大柳いいいい!」
「くそおおっ!」
盟友宮代の叫びに、今度こそ勝ったと思った大柳は、東郷の腕を掴み転移を発動して、訓練場から撤退した。
次の瞬間。
『怨』
普段は耳障りな音しか発しない蜘蛛が、意味ある言葉を紡いだ。
その業は、今まで溜め込んだダメージと、そこから発生した恨みを全て呪いに変えて解き放つ、呪術師の基礎にして奥義。それを非鬼が行使したのだから、どうなるかは目に見えている。
「【六根清浄大祓】!?」
「【掛けまくも畏き伊邪那岐大神】!?」
四年生が渾身の浄力で防ごうとしたが無駄だった。
破裂した風船は、見るだけでも危険と分かる黒と紫で彩られたガスを噴出し、浄力の力場に触れると、まるでそれが存在しないかのように突破した。
「ぐあ!?」
「くそったれ!」
そして、そのガスに触れた生徒達は、即座に訓練場から叩き出された。傑物の生徒達でも、一瞬たりとも触れてはいけない死の呪いそのものなのだ。これが実戦であれば、彼らの体は辺り一帯と共に溶けてなくなっていただろう。
「おおおおおおおおお!」
宮代はそんなものを至近距離から受けて、ガスの中でなお拳を振りかぶる。これを麒麟と呼ばず何と呼ぶ。
(ちょっとは油断くらいしろ!)
だが……珍しく宮代が戦闘中に悪態を吐く。
『ギギギギギギギ!』
ガスの先にいた蜘蛛は嘲りでも驚愕でもなく、悍ましい蜘蛛のくせに寧ろそうだと思ったと言わんばかりの顔だった。
「ぐあ!?」
宮代の体は呪詛に蝕まれて思うように動かず、迎え撃った蜘蛛の鋭すぎる牙に捉えられ、訓練場から叩きだされた。
『ギキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
大柳と東郷を逃したが、蜘蛛が勝鬨の悍ましい叫び声をあげる。
傑物の生徒達結構。麒麟児大いに結構。
それがどうした。学生に敗れてなにが非鬼か。
上に例外の世鬼、現実的な最強の代名詞である特鬼がいようと、非鬼は非鬼なのだ。
ベテランの異能者と名家が徒党を組み、単独者ですら一瞬の油断を許さない。そういったカテゴリーが非鬼なのだ。
日本や一部以外、国家をも揺るがしかねないのが非鬼なのだ。
これこそが非鬼なのだ。
『次は我々の番だな!』
『応!』
人間とて負けてはいない。若きイギリスの騎士達は、次は己の番だと闘志を燃やす。
(あんなのを学生が想定しなけりゃいかんとか、やっぱ日本おかしいって……)
一方、経験豊富な先代アーサーの意見はちょっと違う。勿論知っておくことは重要だが、それでもイギリスの学生が現実的に想定しておかなければならないのは、大鬼辺りまでだ。それ以上は実戦の中で腕を磨いた、一部の強者が相手をするものである。
(イギリスに生まれてよかった。日本に生まれてたら大成する前に死んでるな)
それなのに日本の学生は、どう見たって最上位の非鬼なんてものと訓練しているのだから、先代はつくづくイギリスに生まれてよかったと思った。
このように、とりあえず目の前の障害にぶち当たったらいい学生とは違い、先代や一部の引率などパワーバランスや環境も気にしなければいけない大人は、マッスルショックに続き蜘蛛ショックを受けたのであった。
あとがき
蜘蛛君“が”ショックと勘違いされてませんでした?(*'ω'*)
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