幕間 【人類人話】

 前書き

 本日投稿2話目です。ご注意ください。


 ■


 真っ暗な空間。


 その全てが黒。


 そして泥。


「でもちょっとやり過ぎですな! 俺らはもう忘れられていい筈なんですから、妖異と戦うために求められたならともかく、ご自分の都合で人をどうこうって」


 だがなぜか、ベンチに座っている男だけは良く見えた。


『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』


 その存在のありよう、立ち位置、なにより呪いを感じ取ったのだろう。


 堕天使は堕天した証である黒い翼をはばたかせて、未だに気さくな男の胸を輝きを失った剣で突き刺した。


「おお流石ですね! 最後に割られたのは竹崎君以来だから、何十年ぶりかな?」


『あ』


 堕天使は見てしまった。突き刺した剣の隙間にあったのだ。


 時間でも、火でも、無でも、宙でもない、しかしそれに匹敵する、いや……ひょっとしたら……。


 とにかく見てしまった。宙の様で宙ではない空間を。そこに広がる深淵を。黒を。瞳だ。どこまでもどこまでも、無限に続く文字通り果てない空間。その中で犇めいている瞳全てが堕天使をじっと、じーっと、じーーーーーーっと見ていた。一体どれほどの瞳。宙に似た空間全てが瞳など、最早堕天使ですら認識できる数ではなかった。


 そしてなにより


 無限に広がっておきながら存在しない筈の奥。奥の奥。果てない場所にありながら最も近くにあるという矛盾。そこにあるナニカが、瞳ではない、ナニカとしか言いようのないナニカが


 覗いてしまった堕天使を、ただ、覗き返していた。


『あ。あ。あ』


 絶対に見てはならないナニカから目を離せない堕天使。


 そこに


「なんで来てるんだ親父いいいいいいい!」


「マママママイサン!?」


 叫びながら黒い空間を蹴破って男の息子、貴明がこの場に乱入してきた。


『おおおおおおおおおお!』


 その男、唯一名もなき神の一柱の気が逸れ、割られた体の隙間を閉じると、堕天使は完全に先程起こったナニカを忘却してしまい、再び一柱に斬りかかろうとした。


「てめえの相手は俺だ!」


『ぐっ!?』


 別に父を庇う気はこれぽっちもない貴明だったが、その横から堕天使を蹴り飛ばして啖呵を切る。


 少々危険な兆候である。普段の人間としての彼なら態々そんなことを言わず不意打ちをかましていただろう。と言うことは、神と人との境がかなり曖昧になっていることを示唆していた。


『お前たちは何者だ!』


「いう訳ねえだろウリエルウウウ!」


 堕天使の名をウリエル。ミカエル、ラファエル、ガブリエルと並んで、神の前にいる、筈だった。


 が、堕天した。いや、させられた。過熱した天使信仰を抑えるため、時の教皇に堕天使の烙印を押されたのだ。


「堕天使にされたからって態々自分の価値の証明のために、人間を利用するんじゃねえええええ!」


『黙れえええええええ!』


 聖人としては復帰できても、未だに天使としては認められず、どうしてもそれが許せないウリエルは、ジャンヌダルクの妹の守護天使となり、彼女の優勝と共にその価値を証明する筈だったのだ。


 だが少々やり過ぎた。そこそこな助力ならまだしも、彼女の限界を超えた力を注ぎこんだことによって、人の生を弄ぶ神が嫌いな貴明の人間としての沸点に近づいてしまったのだ。


『死ねええええええええええええ!』


 その沸点に達したのはウリエルも同じだ。ウリエルが割って入った貴明に斬りかかる。


「【人類人話具現具象!】 これなーんだ!」


『き、き、貴様!? なぜそれをおおおおおおおお!?』


 だが、嗤う貴明が作り出してひらひら振る紙切れ一枚を前に止まってしまう。


 しかし当然だろう。


 ウリエルはかつて、地獄の罪人を、罪ある者を責め立てていた。


 ならばである。


 果たすべき罪の償いがない者は?


『なぜそれを持っている!』


 憤怒の形相、その先には。


贖宥状しょくゆうじょうをををおおおおおおお!』


 たった一枚の紙きれ。名を贖宥状。またの名を


 免罪符。


 バチカンより正式に発行されたこれを買えば罪を一定程度減免されるのだ。罪人の責め苦役であるウリエルは、これを前にしただけで大幅な弱体化を余儀なくされる。


 どころではない。


 何もできなくなってしまった。


 贖宥状にも種類があるが、この贖宥状だけはダメなのだ。


『し、しかもこれはああ!?』


「そうだよ!」


 貴明が権能によって再現した贖宥状は、よりにもよって1515年発効。


「レオ10世の贖宥状だよ!」


『き、貴様ああああああああ!』


 本来の贖宥状は罪を軽減するだけの筈なのに、ローマ教皇レオ10世が発行したそれは、買えば全ての罪を許されると銘打たれて販売されたのだ。そしてエゴと欲が絡み合い売れに売れてしまった。


 つまりそれを持っている貴明を攻撃することは、堕天使として天使に戻りたいウリエルにとって、罪を許された者を攻撃することになってしまい、自己の役割を自ら否定して存在の崩壊を引き起こす可能性すらあった。


 これこそ貴明の対一神教の切り札。殆どの者が紙切れ一枚だけで罪を問えなくなり機能不全を起こしてしまう。


 そしてもう一つ。


「んでもって今度こそ食らえや! 【人類人話具現具象】!」


 ドイツで最も売れたこれは、政治と金銭の欲にまみれた人話であった。


 結果引き起こした。


 ドイツの地で、全く正反対の人話を。


「【第一条! 我らの主なる主が言われた!】」


 貴明が作り出して手の持つは紙、釘、槌。それを同じく作り出した城門に勢いよく


「【悔い改めよ】!」


 打ち付けた。


『ああああああああああああ!?』


 ウリエルの根幹そのものが揺らぐ。


 贖宥状から始まった人話は燃え上がり、新たな人類人話を紡いだ。


 人類の名はマルティン・ルター。


 人話の名は宗教改革。


 最初はそのつもりではなかった。ルターが贖宥状に疑問を抱き、それについて単に討論をするための目的だっただけなのに、たちまち神の教えを巡って燃え広がった。


 その結果、一神教は別たれた。


 その始まりこそが、ヴィッテンベルク城教会の門に張り出されたものこそが。


「【95か条の論題】!」


『ごぼっ!?』


 脳天から股間まで両断されるウリエル。


 一神教を、世界を割いた一撃が、ウリエルの存在そのものを真っ二つに割いた。


「お前の恨みも分かるし別に誰かを殺した訳じゃねえけど、ジャンヌに送った力は一歩間違えたら廃人だっただろうが! 獄卒として雇ってやるから、ちょっと地獄で頭冷やしてこい! 俺と親父の記憶は消すけどな!」


『おおおおおおおおおお!?』


 身動きできないウリエルは消滅こそしなかったが、足元にぽっかりと空いた奈落へと落ちていく。


 静寂が訪れた。


「ああ疲れた……はあ……」


 邪神としてあざ笑い、人として2度も人話を紡いで立ち位置を変えたため、貴明は心底疲れたとため息をついた。


「さて、と」


「ぎくっ!?」


 その彼が振り向いた先には、ベンチの後ろに隠れようとしていた父の姿があった。


「なんで来てるんだよ! まさか観客席にいたのか!? ひょっとしてお袋も!?」


「じゃあねマイサン! 勿論洋子も来てたよ!」


「あ!? 逃げんな! どこいった!?」


 授業参観に来られたくないお年頃の貴明にとって、自分が出場している大会を観戦されるなんて御免こうむるのだ。もう来ないと約束させようとした貴明だが、黒い空間に溶けて消えた父を見失ってしまった。



「いやあ、マイサンも楽しそうだったね!」


「おほほ。そうですねあなた」


 年の功と言うか貴明に追跡すらさせなかった父は、妻の洋子と合流して試合を振り返っていた。仲間に囲まれた息子は、そりゃもう楽しんでいた、と。


「竹崎君にもお礼を言わなきゃね!」


「はい」


 そこから何をどうしてそうなったのか、親として子が学生生活を楽しんでいることに対して、担任である先生にお礼を言わなければと考えた。まあ、それほどおかしくはないのだが……。


 とにかく、全人類を捕捉して呪える大邪神が学園に紛れ込んでいたというのに、大会中は驚くほど何もなかった。名家達だけでなく、バチカンや聖人もその完璧な擬態に気が付くことはなく、まさに平穏無事。


 ただ……


「えーっと、学園長室はこっちだったかな!」


 ウリエルが剣の隙間から見たナニカとそのまま同じものを、かつて若かりし頃に見てしまった竹崎だけ例外だった。彼は大会中の学園長という忙しい立場なのに、この30分後から次の日まで学園長室のソファから起き上がることはなかった。



 あとがき

 珍しく主人公してる……

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