7泊目 「それ、美味しいの……?」

「おーい! ユート起きろ! 晩飯の時間だぞ!」


 階段の下からオイゲンが叫ぶ声が聞こえてきた。

 ベッドで横になっていたらいつの間にやら眠ってしまっていたらしい。

 まだぼんやりとする頭と身体を無理矢理起こし、髪を少し整えて食堂へと向かう。

 食堂の扉を開けると、そこにはもうゲストハウス従業員全員とエルが席についていた。


「おいおい、今日は外部からの客を入れないで水入らずで飯を食おう、って言ったのはお前だろ?」


「すまん、オイゲン。久々に買い出しにいったらテンション上がりすぎちゃったみたいだ。気絶するように寝てしまってたな……」


「ほら、そんなんどーだっていいから早く食べようよー! ご飯冷めちゃうよ!」


 ミュウの明るい声に周りのメンバーも口々に同意をする。


「そうですね。早くしないとミュウがまた暴れてしまいます。もう少し私の姉らしい行動をとってほしいです」


「俺様の料理は温かいうちが一番ウメェんだぞ」


「せやなぁ、ほらほら、エルちゃんもおてて合わせて〜」


 クロエの音頭でそこにいた全員が手を合わせ、俺も急いで席に着いた。

「オイゲン、今日もありがとうな! それじゃあ皆、いただこう!」


 皆が一斉に料理に手を伸ばし、各々の皿へと料理を乗せていく。

 その時、俺はあることに気がついた。


「あれ、ムチョ=ムッチョはどうした?」


「ユート坊っちゃんよ、気づいてしまったか、本日の主役がまだここにいないことに……!」


 オイゲンはそう言って額に手を置き、大袈裟な動きと共に立ち上がった。


「紳士淑女の皆様! 今日このテーブルに着いたあなた達は強運の持ち主ださぁ、このメインディッシュの前に平伏すが良い!!」


 ガッハッハ、と大笑いしながらキッチンへ走って行ったオイゲンは、ニヤニヤした笑みを浮かべながら巨大なトレイ持って戻ってきた。

 トレイの上に威風堂々と鎮座していたものーーそれは待ちに待ったムチョ=ムッチョだ!

 ブイヤベース風に仕立てられたそれは、鼻をくすぐる魚介とニンニク、トマトの香りが最上級の芳しさを演出している。

 ジャガイモや玉ねぎ、ハーブやブイヨンでじっくり煮込まれただあろうムチョ=ムッチョの身も締まっていて見ているだけなのに脳みそが美味しいと錯覚する!!

 口の中にいっぱいになった唾液をごくん、と飲み込み、いざメインディッシュに手をつけようか、と極上の気持ちになった刹那、テーブルの空気がおかしいことに気付いた。


「おい、お前らどうしたんだ? 食べないのか?」


 オイゲンと俺は両手にナイフとスープスプーンを持って準備万端だというのに、他のメンバーは何故か視線をムチョ=ムッチョに釘付けにしたまま固まっている。


「ね、ねぇユート……これは、この食べ物は一体何なの?」


 ミュウが恐る恐る口を開く。


「ん? どう見てもムチョ=ムッチョのブイヤベース風、じゃないか。今日市場で見かけて買ったんだ。こんなに幸運なことはなかなかないぜ……! ちょっと値は張ったけど、まぁエルの歓迎パーティーとも思えば安いもんだ」


 そう言ってエルに目配せをしようとしたが、エルは顔面蒼白で小刻みに震えていた。


「エル、どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」


 俺が尋ねると、エルは蚊の鳴くような声で答える。


「ユートさん……。これ、食べるんですか……? 正気ですか……?」


 ……? 何を当たり前のことを言っているのだろう。これ以上のご馳走は中々ないぞ?

 周りを見渡すと、ニュウとクロエもムチョ=ムッチョと見合ったまま、放心状態になっている。


「これ……、どう見ても大きなダンゴムシ……」


 目を見開いたままニュウが呟く。

 確かに見た目は大きなダンゴムシであるムチョ=ムッチョだが、味は一級品。味さえ良ければ見た目なんてどうでも良い、と思うのだか、女性陣にとってはキツいのか?

 これ程までに美味しい肉も中々ないというのに……!

 ムチョ=ムッチョの美味しさをどう説明しようか考えていると、それまで死んだ魚のような目をしてテーブルの上を見ていたクロエが口を開いた。


「あかん。これはあかん。流石のウチでも無理や。ダンゴムシはあかん」


 ……おかしいな? 俺にとっては皆が好き好んで食べるカニ、だのエビ、だのと対して見た目に変わりはないと思うのだが……。カニやエビのような節足動物的見た目のものを、ありがたがって食べているじゃないか! ムチョ=ムッチョも変わらないぞ?

 衛兵時代に旅をしてきた中でも、コイツは一級品の美味しさだったんだけどなあ。当時は食べられるものは何でも腹にいれる、というスタンスでいたから多くのものを口にした。食文化の違いというのは中々興味深いものだった。


「いいから皆、騙されたと思って一度食ってみろって! エルソド地区では珍しい食材だが、ジャボルネ地区では超高級食材だぞ! 食べないと勿体無いぞ!」


「おう、ユートの言う通りだぞお前ら! このオイゲン様が丁寧に心を込めて作り上げた至極の逸品だ。口をつけねぇだなんて許せんぞ! ほら、食べ方を教えてやる」


 そう言ってオイゲンはムチョ=ムッチョの脚をひとつずつ胴体から切り離していく。それを見ている周りが絶望的に引いているのがわかるが、ここはあえて空気を読まない!

 そして俺は切り離された足を更に関節に沿って引きちぎり、中に詰まっている肉をブイヤベーススープの中に投下した。

 オイゲンはムチョ=ムッチョを裏返し、腹の方からナイフで切り込みを入れ、胴体から茶色くドロッとしたもの、そう、濃厚なムチョ味噌を取り出してスープに溶かし入れる。

 その瞬間、濃厚なムチョ味噌の匂いが立ちのぼり、ブイヤベーススープとの素晴らしいマリアージュとなった。

 呆然としていた女性陣達の目に光が戻り、ゴクリと喉を鳴らす声が聞こえてきた。


「ヤバ、ちょっと美味しそうかも……」


 そう呟くミュウの手には、もう既にスプーンが握られている。


「ま、まぁこれくらい見た目の原型を留めていなければなんとか食べられるかもしれません……」


 ニュウの口の端にも涎が光る。


「あ〜こんな美味しそうな匂いさせられてもうたら、食べんわけにはいかないわぁ〜」


 クロエはいつの間にか上機嫌だ。


「皆さん、本当にこれ、食べるんですか……?」


 身と味噌を全てかき出され、甲羅だけになったムチョ=ムッチョの残骸を指差してエルが不安そうに呟く。


「いいからいいから、一口だけでも騙されたと思って食べてみろって!」


 俺はそう言いながら、スープ皿を手に取り、全員分のブイヤベースを手早く取り分けた。

 自分の前に並んだスープを前に、未だに少しの警戒を続けている女性たちの中で、先陣を切ったのはクロエだった。


「物は試しって言うし、ちょっと勇気出してみるわ〜」


 スープ皿にスプーンを浸し、トマト色のスープを恐る恐る口元に持っていくクロエの一挙手一投足を、全員が見守る。

 クロエがスープを飲み込んだ瞬間、一瞬の沈黙が起きた。


「ーーーーっ。美味しい……っ!! 何、何なんコレ!? こんなんはじめて食べたわぁ、めっちゃ美味しいやん! もっと早く言ってほしかったわぁ。天才的な食べ物や!」


 そう言いながら凄い勢いでスープが皿から消えていく。それを見た他のメンバーも、意を決したように同時にスープを口に運ぶ。


「「「!!!???」」」


 ミュウ、ニュウ、エルがスープを一口飲み込んだ刹那、その顔に衝撃の色が浮かんだ。


「美味しい!」


「美味しいですわ……!」


 と感動するミュウニュウ姉妹に続き、ムチョ=ムッチョを食べることに一番の難色を示していたエルも感動の声を漏らす。


「すごく……美味しいです!」


 オイゲンの方に目配せをしてみると、腕を組んで得意気にしている。わかる、わかるぜその気持ち……!

 これだけ美味しい食べ物を、見た目が気持ち悪いってだけで食べないのは損だもんなあ!

 皆がムチョ=ムッチョの美味しさに気づいてくれて俺は嬉しいぞ!

 トマトとコンソメに魚介の出汁が滲み出たスープは、その香りだけで無限に食欲がわいてくる。たっぷりのムチョ味噌は超濃厚で、スープと絡んで元々の甘さがさらに引き立っている。

 このスープは熱々で食べるよりも、少しだけ冷めた方が美味しい。スープが冷めていくとともに、ムチョ=ムッチョの味が全体に染み込んでいくんだ。

 テーブルの上にはメインディッシュであるムチョ=ムッチョのブイヤベースの他、ポーチドエッグのコンソメゼリー寄せ、チーズとベーコンと旬野菜の焼きグラタン、新鮮な野菜とスモークサーモンのサラダ、オイゲン特製の焼き立てパン、綺麗に飾り切りが施された林檎、クロノスアイス、オレンジ、そして葡萄酒と葡萄ジュースが所狭しと並んでいる。

 すっかりムチョ=ムッチョに抵抗もなくなった女性陣も、笑顔でブイヤベースを飲み、パンを頬張り、夕食を楽しんでいる。

 食べることは生きることだ、というオイゲンの座右の銘はあながち間違ってはいないのかもしれない。

 皆で囲む夕食は、何にも代え難い幸せな瞬間だ。

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