5泊目 ムチョ=ムッチョ

 ゲストハウスを一歩出ると、昼下がりの通りは賑わっていた。

 シュトーレンの街は冬場の寒さが厳しく、冷え込む夜になると人通りはほとんど無くなってしまう。

 街人はそれぞれが短い昼間の時間を目一杯楽しむため、日中の人通りは多い。

 気持ちの良い太陽の光を浴びながらマルシェへと向かう道すがら、衛兵時代のことをふと思い出していた。

 来る日も来る日も戦いに明け暮れ、仲間たちとたくさんの時間を過ごした。

 もちろん、危険な目にあったことも一度や二度ではない。

 ゲストハウスを継いだ今は危険な街道を歩くことも、魔物が巣食うダンジョンに潜ることも少なくなってしまったけれど、たまにあの刺激的な日々が懐かしくなったりもする。

 だけどやっぱり、ゲストハウスの仕事が俺の天職だ。

 出身も種族も年齢も性別もバラバラの旅人たちから昔から様々な国の土産話を聴いているときは、まるで自分自身も旅に出ているかのような気持ちになるんだ。


 そんなことを考えながら石畳を歩いていると、目的のマルシェに到着した。

 果物、野菜、肉、魚、香辛料に薬草、種やキノコなど、様々な食材が並ぶマルシェ。その中にある魚屋をまず覗く。シュトーレンの冬は、とにかく魚が絶品なんだ。


「おばちゃん! 今日は何か良い食材入ってる?」


「ユート! 誰がおばちゃんだって? 今日はとっておきの食材が入ってるんだけど、口の利き方もわからない子供には売れないねぇ?」


「冗談冗談! 冗談だって! なぁ、姐さん、その素敵な食材ってヤツを見せてくれよ!」


「ほんっとに調子の良い子だねぇ、昔っから全く変わってないんだから! ほら、これだよ見てごらん」


「これは…! この近海じゃ滅多に見られないムチョ=ムッチョじゃないか…! この気持ち悪い形! 気持ち悪い顔! 気持ち悪い色! だけど最上級に美味しい幻の魚…!! おば……姐さん、これくれ! いくらだ!?」


「そうさねぇ、私もソイツの価値はわかっているからねぇ……ふむ。2万ゴールドでどうだい?」


「た、高ぇ……。でもこれを逃したら次にコイツと出会えるまでに何年かかるかわからないよな…」


「なーにブツブツ言ってるんだい!? これ以上は負けられないさね、いらないんだったら他の目利き料理人に売っちまうよ!」


「わ、わかった! 買う! 買わせてくれ!」


「よし! 取引成立だ! まいどあり!」


 旅の途中に一度だけ口にしたことのあるムチョ=ムッチョの味を思い出し、つい衝動買いをしてしまった……。

 食材ひとつに2万ゴールドはかなり痛い出費だが、コイツを食べられるチャンスを逃してはいけない。

 すぐにゲストハウスに戻りオイゲンに調理を依頼したいところだが、補充をしておかなければならない食材を全部買い集めるまでは帰ることはできない。

 はやる気持ちを抑えて、俺はまた果てなく並ぶマルシェのテントをひとつずつ覗いていく。


「ようやく……おわったあ! ここのマルシェは品揃えが良すぎるのが玉に瑕だな、毎回どうにも買いすぎてしまう……」


 両手に紙袋を抱え、腕に布袋をぶら下げながら既に茜色になっている帰路に着く。

 中央広場にある噴水は氷が張り、底冷えするような空気を更に冷たく見せている。

 煉瓦造りの建物と、大きな聖堂。街が出来る以前からそこに立っている時計台と、街の外れの湖。俺が生まれ育った街シュトーレンは、いつの時代も変わらずにただそこに存在し、見守ってくれている。

 城壁を一歩出れば魔物の巣となっている洞窟や手付かずのままに風化した遺跡、お宝が眠っているという地下聖堂などなど、冒険のやり甲斐がある地域ではあるのだが、衛兵を卒業した俺にとってはそれも関係のない場所だ。

 今は魔物や罠などよりも、この両手いっぱいの荷物と戦わなければならない。

 荷物の重さで傾く身体を気合いで起こし、帰路へと急いだ。

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