60話 地下


 京子は従業員用の裏口から誰にも気づかれずお化け屋敷に潜入することに成功した。それとほぼ同時に、翔和の妹からメッセージが届いた。


 内容を確認すると、4枚の見取り図が送られていた。お化け屋敷のものだ。1枚目の地下2階が描かれた地図には赤丸で囲まれた部屋がある。


『この赤丸の場所に翔和たちがいる可能性が高いわ。わたしにはこれぐらいしかできることがないの。後は、あなたに任せるわね』


 と、メッセージも添えられている。

 

 赤丸の部屋へ行くには階段を使うしか方法は無い。しかし、この赤丸の部屋は本来のお化け屋敷のルートとは異なっている。どうしてここへ向かったのだろうか。考えてみたが、全く分からない。とにかく、その部屋へ向かうために歩き続ける。

 

 しばらくして、通常のお化け屋敷ルートを外れ、地下2階へと続く階段までやってきた。今の所、周囲に人の気配はない。足音を立てないように階段を下りていく。


 下りた先では、大きな金属の扉が道を閉ざしていた。

 

 ……無理やり開けるしかない。しかし、この扉はそっと開けたとしても、金属の擦れる音で、京子の存在がバレてしまうだろう。だったら、強硬手段しかない。

 

 腰に隠していた拳銃を手に持って構える。元々手に入らない代物だったが、昨今の事情によって、より入手難易度は上がっている。だがそんなことは関係無い。相手は暗殺者。こちらにも、それ相応の武器は持っていなくてはいけない。実家の金庫にあった年代物だが、殺傷能力に不足はないはずだ。


 頭の中でイメージを膨らませる。

 

 後方に下がって脚に力を入れる。走り出したその力を利用して身体で扉を開ける。そして、速やかに女を射殺し、翔和の保護をおこなう。

 

 扉を開けた後の対処を構想していく。


 考えたくはないが、翔和がすでに暗殺されている可能性もある。その時のことも想定しなくてはならない。

 

 目を閉じる。深呼吸をして……。


——今だ。

 

 脚にかけた力を一気に開放して扉に向かって突進する。扉は想定よりも軽く開く。好都合だ。勢いをつけたまま部屋へ転がり込む。


 目の前に、翔和と女がいた。


 翔和はぐったりとした様子で椅子に座り、彼の前に女が立っていた。後ろ姿で顔は見えない。瞬時に女の頭に銃口を向け、引き金を——


「待ってください。わたしが死んだら、翔和がどうなるのか分かってるんですか?」


 女はゆっくりと振り返り、怪しげな笑みを浮かべた。


 失敗した。


 銃を撃つ。単純な作業を一瞬止めて相手の話を聞いた時点で、京子は最初の勝負に敗北した。

 

 さらに、すでに翔和が暗殺さているという絶望的状況以外で、一番最悪な展開である『交渉』だ。もちろん、翔和に何かがあっては大変だ。こうなれば女の指示に従うしかない。

 

「どうなる?」


「死にます」


——ダウト。

 

 翔和は死なない。


「私がここに来た時点で、翔和が生きている。つまり、翔和は、今後も生きている必要がある。翔和の生存に需要がある。交渉、下手?」 


「…………ですよね。そんな簡単なことに気づかないはずがないです」


 暗殺が目的なら、扉を開ける前に死んでいるはずだ。しかし、そうしなかったということは、翔和を生かしておく理由があるはずなのだ。切羽詰まった状況でない限り翔和を殺したりはしないはず。


「……あなた、クラウディでは無い」


 そもそも、クラウディともなれば人物が、暗殺対象を殺せる状況で長々と生かしている理由が無いはずだ。そうなれば、目の前に立つ彼女がクラウディ――そもそも暗殺者の可能性すら無くなる。


「ふふ、何を勘違いしているんですか? わたしがクラウディのはずが無いですよ」


「では、あなたは?」


「わたしは悪い人です、とだけ言っておきましょう。いまやろうとしているのは、誘拐ってとこですかね」


「……誘拐」


「そ。誘拐をして、依頼主に届けて、お金をもらいます」


「なぜ、翔和を、誘拐?」


「まぁ、教えてあげましょう。わたしは、とある組織に所属していて——これでもわたし、ナンバー2なんですよ? ——ボスが翔和のお父さんにかなり恨みを持っているんです。……そう、殺したいぐらいに」


 彼女は上着の袖からナイフを取り出した。


 油断など決して許されない。


「けれど、翔和のお父さんはそう簡単に殺せる相手ではありません。そこで、白羽の矢が立ったのが、息子である翔和。彼の誘拐っていうわけです」


 翔和を誘拐して翔和のお父さんに脅しをかけるということか。

 

 しかし、その計画には大きな問題がある。彼女の言う計画では絶対に成功はしない。


「……あなた、翔和と翔和のお父さんの関係について、理解できていない」


「いいえ。理解しています。翔和の両親が離婚した後、翔和とお母さんをおいてアメリカに渡った。そして、新しい女を作った。けれど、父親というものは、息子のことを大切に思うものです。いくら離婚したとはいえ、血が繋がっている息子の命の危機に、どう思いますかね?」


 今の発言で、彼女は2つの誤解をしていると悟った。ひとつ目は翔和のお父さんは血の繋がりがあったとしても、完璧でなければ絶対に興味を持たない。仮に翔和がアメリカにいるお父さんに会いに行ったとしても、「おまえは私の息子ではない」と言うはずだ。しかも、今はそのお父さんに命を狙われている。

 

 翔和のお父さんはクラウディと呼ばれる最高の暗殺者を雇ってまで、翔和の存在を良く思っていないのだ。


「あなた、2つの誤算、している」


「誤算?」


「ひとつ目、翔和のお父さん、あなたが考えている以上に、残酷。翔和を暗殺しようとしている」


「……」


 彼女は暗殺という言葉に反応して眉毛をピクリと動かした。


「それで、ふたつ目は?」


「それは――」


 京子が口を開いた瞬間、キイイィ……、と金属が擦れる音が部屋中に響いた。振り向くと、入って来た時よりも扉が大きく開いていた。


「あなたのお仲間ですか?」


 彼女が声色を低くして問う。


「いいえ、わたし、1人、あなたは?」


「わたしも1人です。……ってことは――」


 こんなところに入ってくる人間はいないだろう。考えられるのは、翔和を狙う第三の刺客だ。2人がその考えに辿り着いたその瞬間、ころんと音を立てて、丸いものが扉の奥から転がってきた。


――まずい!


 2人とも慌てて、その物体から顔を逸らしたが、どちらも1秒遅かった。2人の視界は真っ白になり、何も見えなくなってしまった。しかし、幸いにも視覚が使えなくなってしまっただけだ。自身の感覚を頼りに殺気のある方向へ向かって拳銃を2発発砲する。


 消音付きサプレッサーの銃だ。スプン、スプンという乾いた音が鳴る。

 

 だが、手応えは一切無かった。その代わりに手首に衝撃が走り、拳銃を落としてしまった。そして、気がつけば土門は床に突っ伏していた。


 少し間があってからカランという音が響いてからゴトンという鈍い音が聞こえた。隣にいた彼女もナイフで応戦したのだろうが、やられてしまったのだろう。

 

 静寂が過ぎ、ようやく視界が戻ってきたところでなんとか起き上がる。


「ちっ! ――やられた!」


 その言葉に振り返ると、椅子の上には翔和がいなくなっていた。

 

 襲撃者は翔和を誘拐してしまったのだ。

 

 先程の物体は閃光手榴弾フラッシュバンだろう。あれで2人の視界を奪って無力化、その後に翔和を誘拐したのだ。


「質問。自作自演では?」


「もちろん無いです! あなたこそ――」


「否定。どちらの主張も真実なら、襲撃者、特定できる」


「つまり、さっきあなたが言っていた暗殺者というわけですか。……はぁー、なんてクジ運の無さ。クラウディが絡んでるなら、こんな仕事なんてやらないですよ! わたしが死んじゃうじゃないですか! 部下にでもやらせれば良かったです!」


 彼女は1人で嘆いている。しかし、そんなことに気をとられている場合ではないのだ。


「あなた、どうする?」


「翔和のことを取り戻しに行きます」


「どこへ行ったか、分かる?」


「……いいえ」


「そこで、名案がある」


「名案?」


 京子は彼女に向き直った。そして、手を体の前に突き出す。


「手を組もう」



<あとがき>


 おててのしわとしわあわせてしわしわ わわわわわっ

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