59話 世間知らずの御令嬢
私の家系は随分と長い歴史を持つようで、そのお陰で大きな土地や財力を保持していた。その分、次世代を育てるという意味で、教育にも熱心だった。特にお母様からは、過酷と言える程の英才教育を受けていた。
テーブルマナー、護身術、茶華道、将来の指導者なる為に帝王学を受けた。
だがその当時、土門家は傾きの兆しを伴っていた。それが教育熱心だったお母様を加熱させた。
過激な教育は私を蝕み、心を抉ったが、その殆どを精神が壊れるギリギリ手前でこなしていた。
そんなある日、翔和の父親はボロボロになっていた私を見つけた。
彼は初めて会った時「土門の御嬢さん。君はまだ未熟だ。しかし、君はきっと完璧な人間になれる」と言った。そして「将来の旦那さんに私の息子はどうだろう?」とお母様に進言した。
お母様はとても喜んだ。何しろ、彼は世界的な企業に関係があるらしい。そんな相手の息子と私が将来結婚するのだ。傾き始めていた土門はこれからも安定するだろうし、社交場での自慢話になるだろう。
そんなことどうでも良かった私は隙を見て自室に戻った。
権利欲に塗れた汚い大人の世界で、今日はこれ以上の息を吸いたくなかったのだ。
外を眺める。嫌なことがあった時にする、いつもの癖だ。
決して晴天とは言えない灰色の空の下で、白い大きな鳥が飛んでいる。
「……あの鳥さんのお名前が知りたいわ」
ぽつりと、その言葉は自然に口にしてしまった。
「カラスって言うんだよ」
自分ではない、別の声がわたしの疑問に答えを出した。
驚き後ろを振り返ると、そこにはわたしと同じぐらいの身長をして、タキシードを着ている男の子が立っていた。わたしに気づかれず、どうやって部屋に入ったのだろうと考えていると、その疑問を察した彼は答えた。
「扉、開いていたよ」
彼に言われてからそうだったと思いだした。今日のわたしは注意力が散漫になっている。昨日の厳しい懲罰のせいだ。
「……カラスと言うのですね。教えて頂きありがとうございます」
そう言ってお辞儀をすると、彼は顔を顰めた。何だろうと考えて、挨拶をしていないことに気づいた。
「あ、挨拶がまだでしたね。失礼しました。私の名前は土門
「翔和。志水翔和だよ」
「あぁ、先程の……」
「さっきは父さんの後ろに隠れていたんだ。気づかなかったでしょ?」
「……まったく気づきませんでした。すみません」
「いいんだよ。気づかれないようにしていたんだし……えっと、君はあの鳥を今まで見た事がなかったの?」
「えっ、ええ。お名前は伺ったことはおりましたが、実際に見るのは初めてでしたわ」
彼は急に寂しそうな顔をする。私は驚いて尋ねる。
「どうなされたのですか?」
「絵本とか読まないの?」
「読みません。お母様の方針です」
「学校は?」
「行ってません。お母様の方針です」
「……君は、外の世界を知らずに生きていくつもりなの?」
「私はこの血筋を永久に続くものにする。そう、教育されてきました。ですので、外の世界なんてもの必要ないのではないでしょうか。私はお母様の言う通りに生きていれば良いのです。それで上手くいくのですから」
彼はもっと悲しい顔をする。今この場で涙を流しそうな程だ。
「君はそれでいいの? 鳥の名前すらろくに知らず生きていくんだよ」
「どういう意味でしょうか」
「……君はあの鳥をカラスだと思っているのかい?」
その言葉で、彼の言いたいことがなんとなく分かった。
「私を騙していたのですね? あれはカラスではないのですか」
「ごめんね。僕としては、君が『カラスの訳がないでしょう』と言って終わる、初対面の女の子に対して緊張を和らげる冗談を言ったつもりだったんだ。でも結果は違ったね」
彼はもう一度「ごめん」と言って謝る。そして話を続ける。
「君は外の世界を見るべきだよ。親の言うことに従っているだけじゃなくて、自発的に行動をしなきゃ」
自発的に行動する。つまりは、自分で物事を考えて行動をする。お母様の言うことだけを聞いていた私にとって、それはとても難易度の高いことだ。
私は思ったことを素直に口にした。
「不可能ですわ」
けれど、彼はそれを否定する。
「できる。君ならできる」
「それでは、どうやって?」
「んー、そうだね」
彼は腕を組んで、考える。
「そうだ、まずはその言葉遣いを止めよう」
「言葉遣い?」
「そう。君と初めて話してからずっと気になっていたんだ。君の言葉遣いは丁寧なものだけど、なんだか接しにくいよ。それじゃあ、友達もできない」
「でも、お母様の言いつけです。丁寧な言葉を遣いなさいと言われています」
「うーん、そうだけどさ、せめて僕にだけでも軽口で喋ってよ」
「軽口……具体的に何をすれば?」
「相手に伝えたいことを的確に、短くまとめればいいんじゃないかな?」
「……分かりましたわ。意識してみます」
「でもね、自分で言っといて申し訳ないけど、君のお母さんはそれを許さないと思うけど、どうする?」
彼の言う通りだ。言葉遣いは気づいたらこの言葉遣いだった。これは教育の賜物であり、まるで足首に付けられた鉄球でもある。
「……そうですわね、反抗期ですわ。これは私の反抗期ですので、仕方がないことにすればいいのです」
私の回答に彼はしばらく無言でいたのだが、いきなり口から空気を吹き出して笑い始めた。
「はははっ、面白い! 君、冴えてるよ。頑張って!」
確かにその発想は冴えていた。私も彼に吊られて笑い始めてしまった。
その時、彼は無理やり笑っていたのかもしれない。翔和の事情を知った今では、私に外の世界を見るように言った理由が分かる。彼自身が見れないから、せめて私に見せようとしていた。
それは、わたしだけが知っている彼の昔の記憶。
——私と翔和しか知らない、知られたくない、優しくてほんのひと握りの記憶。
*
私がこうして翔和と同じ学校にいるのは、彼自身のお陰だ。今では、私はあの家を飛び出して血筋のことなど考えずに生活できている。
私の人生に確実な変化を与えてくれた翔和が、命を狙われていると知った時、後先考えず、翔和の助けになると決めた。
これは懺悔だ。
翔和の両親が離婚した時、私は翔和を助けることができなかった。だから、休日は翔和が外へ出掛けるたびにこっそりと見守っていた。そして、何か起これば彼を助けてあげたいと思っていた。
そして今日こそ、絶好の機会なのだ。
お化け屋敷に2人の男女が入っていくのを目撃してから数分後、京子のスマホが小刻みに震えだした。ポケットからスマホを取り出すと、翔和の妹からの電話だった。
『土門京子! あなたの助けが必要なの!』
電話に出ていきなり、耳が壊れそうな音量で叫ばれた。
「理解。だけど、経緯、知りたい」
妹の話を聞けば、後輩である畦地星奈という少女が有名な暗殺者だという。
「話は分かった。だけど、疑問。ここは人の目が多い。暗殺難しい」
『相手は凄腕の暗殺者なのよ! クラウディよ! 最終的には人目とか手段を選ばないはず。とにかく、お願いだから翔和を助けて欲しい!』
クラウディ。その名は聞いたことがあった。最強の暗殺者の名だ。
「それは、あなたに言われなくとも、実行する。電話、切る」
通話終了ボタンをタップすると、スマホをポケットに突っ込み、お化け屋敷へと走る。
畦地星奈とは翔和と一緒にいる少女のことだ。彼女のことは前々から調べていたが、幾度となく何者かの妨害を受けていたので警戒リストに入っていた。
こんなところで翔和を失うわけにはいかない。
<あとがき>
カントリーマーム このあじー ずうとー 食えばー あのあじにー つづいてーる 気がするー カントリーマーム
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