SS4

27話 滴らせし雨


 4月の中旬。土曜日。


「ご主人様、今日の夕飯にご希望はありますか?」


 リビングでテレビを観ていると珠李がキッチンからやって来た。


「うーーーん、何でもいいよ」


 そう答えると珠李は眉をハの字にした。


「何度も言っていますが、その回答が一番困ります」


「それじゃあ……コロッケ!」


「…………それじゃあ、でコロッケを選ばないでください。爪剥がしますよ」 


「なんで!?」


「ご主人様、料理について再指導する必要がありますね」


「ごめんなさい。それだけはやるにしてもお手柔らかにお願いします……」


 先日行われた料理の特訓では、散々な結果を叩き出してしまった。もう少し料理以前に、もっと初歩的なことから始める必要があるのだ。


「まったく、仕方がありません。ともかく、ご主人様の要望通りにコロッケの具材を買ってまいります。首を長くして待っていてください」


 そう言って、珠李は外出の身支度を始めた。


「俺も行くよ」


「結構です。これぐらい私だけで良いのです」


「なんか、ごめんな」


 玄関先で足を止めた。


「ご主人様、謝罪はやめてください。こういう時は感謝の気持ちを伝えていただくべきかと、私は思います」


「……ありがと」


 素直な言葉を述べると、珠李はそっぽ向いて出かけて行った。




     *




「あ、雨だ」


 勉強を一通り終えてリビングでダラダラ過ごしていると微かに雨音が聞こえてきた。


「雨が降る予報なんてあったか?」


 ネットで調べると、降水確率が30パーセントだった。ゼロではないから降ることもあるか。


「舞桜~」


 確認したいことがあったのに返事がない。寝転んでいたソファから起き上がり、フラフラと舞桜の部屋に行く。


 扉をノックしても返事はない。朝、俺が起きた時に眠そうな顔をした舞桜と遭遇したので、少なくとも外出はしていないはずだ。


「入るぞ?」


 不思議に思ってドアノブに手をかけた瞬間だった。


「ういっす!」


 元気な掛け声と共に扉が勢い良く開いて、俺の額と鼻にクリーンヒットした。


「いででええええ!!!」


「なっ、何が起きたんだガク様! こんな酷い顔をして、一体誰にやられたってんだ!」


「オマエだよ……」


「そりゃ可哀そうに。それで何の要件だ?」


「珠李って傘を持って外出したか?」


「多分持って行ってないと思うぞ。珠李の手提げ袋には最低限の物しか入れてない。折り畳み傘なんて邪魔になるから不要ですとか言ってる始末だ……ってか、見送ったのはガク様だろ。傘持っているかなんてアタシに聞くなよ」


 舞桜の言う通り、最後に見送ったのは俺だった。記憶を辿るが、傘を持っていた様子はなかった。


「んだよガク様、雨でも降るのか?」


「もう降ってるよ」


「へー、そんじゃあ傘を届けに行けよ。アタシは寝る」


「いや、別に傘なんて……」


「ふーん。――――まぁ、メイドをどう扱うかはご主人様の勝手だな」


「お、おい!」


 舞桜は大きな欠伸して乱暴に扉を閉じた。今日の舞桜は機嫌が悪そうだった。


 とりあえずリビングに戻り、ソファで寝転がる。


 曇天の空模様を遠目で見ていると、耳元では雨音がやけに煩く聞こえていた。




     *




「あっ」


 つい、声を漏らす。


 いつものスーパーから出ると、雨が降っていた。天気予報に雨はあっただろうか。


 小雨ならば走って行こうと思ったが、そこそこ強い雨だった。仕方がないので中に戻りビニール傘を探す。しかし、このスーパーに傘は置いていないようだ。面倒だが、交差点の向かいにあるコンビニに寄って傘を買うことにしよう。


 信号が青になったら小走りでコンビニに向かう。最近この交差点で交通事故があり、その名残である腰の曲がった電柱に目が向いた。運転手は行方不明。被害者は重症だったものの、奇跡的に一命を取り留めたらしい。

 

 コンビニまで辿り着くと、雨の強さが少し増していた。タイミングが良かったようだ。すぐさま自動ドアの近くにあった透明なビニール傘を買う。傘を持っていなかったのは珠李だけではないようで、在庫は残り3つと少なかった。


 会計を済ませて外に出る。傘を広げると、小柄な珠李の身体には少し大きかった。大きいことには越したことはない。前は見えにくいがビニール袋片手に帰り道を歩いていく。


 赤信号で足を止める。


 顔を上げると。都会の雑踏には多くの色鮮やかな傘が花開いていた。見上げるような摩天楼に未だ慣れない珠李にとって、雨に濡れた都会の光景は非日常のようで少し見惚れてしまった。


 道中、びちゃびちゃと水溜まりを駆け抜ける男の人とすれ違った。


 ゆっくりと足の動きを止める。


 傘を持っていなければ走るしかあるまい。珠李自身が彼のようになった可能性もあったのだ。


 幸運に助けられたことで自分を納得させて再び足を歩めようとする。


 しかし、踵が地面を離れたその瞬間、脳裏にすれ違った男が刻銘に映し出された。確信なんてものを持ち合わせているわけではない。こんなところにいるはずがない。


 慌てて振り返ると、その人は傘を持って走っていた。


 後ろ姿に見覚えがあった。


「――ご主人様!」


 無意識に叫んでいた。


 淡い期待なんてほどでもない。そうであればいいな、という願望にも満たない感情。例えるならば、宝くじの1等に夢を馳せるのと大して変らない。当たるはずもないのにくじを買ってしまうようなもの。珠李の叫び声が誰かにとっての雑踏。ノイズであればいいと割り切ったのかもしれない。だから無意識のうちに彼の名が出てきたのだろうか。


――と、ここまでの感情もとい、言い訳は照れ隠しのようなものだった。深層では彼が何者であるのかわかっているのだ。


 返事があることだって――。


「珠李」


 私の名を口にした彼はずぶ濡れだった。


「一体どういうことなんですか?」


「雨、降って来たから、傘、持ってきた」


 息も絶え絶えに傘を差しだす。


「……その、ありがとうございます」


 たった今買ったばかりのビニール傘を身体の後ろに隠す。が、隠せるはずもなかった。


「あ……そ、そっか。ビニール傘ぐらい買えばよかった話だもんな」


 沈黙が流れる。突如、それを打ち破るかのよう2人の間に白い光が差し込んだ。


「雨、止みましたね」


 空を見上げると、灰色の雲の隙間から途切れ途切れに太陽が顔を見せていた。天使が地上へ舞い降りたような幻想的空間だ。


 これではもう傘なんて必要ない。それがわかって学は引きつった顔をしていた。見かねた私は半ば強引に彼の傘を奪った。


「…………ご主人様、傘、お借りします」


 手に取った傘を開くと、やはり小柄な珠李には少し大きい傘だった。


「一緒に入りましょう、ご主人様」


「雨、止んでるけど?」


「関係ありません」


 学の腕を引っ張り、傘の中に引き入れる。


「ほら、帰りましょう」


「ああ」


 帰路の一歩を踏み出した足元の水溜まりには、ビルの隙間を渡る虹が反射して美しく輝いていた。 


「………………………ございます」


「ん、なんか言ったか、珠李?」


「何も言ってません。熱々のコロッケを鼻に詰め込みますよ」


「やめてくれ」


 学はいつもの冗談にいつものような引き攣った顔ではなく、曇り1つない、爽やかな笑顔を返した。




<あとがき>


なんか構成が上手くいかなかった話です。なんか書き直すのも微妙だったので、そのまま供養。

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