第17話 キュアリス姉様

 翌朝、ディールは自室を出た所で、シルクに連れられたキュアリスと鉢合わせた。


「師匠、おはようございます」

「ディールか、おはよう」

「シルクもおはよう」

「ディール兄様、おはようです」


 互いに挨拶を交わし、三人で一階へと下りていく。向かうは食堂だ。

 シルクは楽しそうにキュアリスに話しかけていた。キュアリスも笑顔で言葉を返す。ディールは二人の様子を後ろから眺めつつ歩いた。その顔はどこか嬉しそうだ。


 食堂にはベルデスともう一人、青年がいた。父親ベルデスが座っている横に青年が立ち何やら話している。

 ディールはベルデスを一瞥してすぐに青年を見た。くすんだ金髪の青年。瞳の色は茶色で、目元はベルデスに、その他はペリアに似ていた。肌は母親や妹よりも暗めの色をしている。


「ケルナー兄さん」


 話し終えたのを見計らって、ディールは青年に声をかける。


「ディール。少しは背が伸びたか?」


 そう言った青年――ケルナーの背はディールより頭一つ分は高かった。ワイシャツとズボンに包まれた体は痩せているが、線が細いといった印象はない。

 五つ年上の兄は三年前に別れた時よりも大人の顔をして、ディールを見つめる。それからキュアリスへと視線を移した。


「初めまして。兄殿」


 キュアリスはワンピースの裾を軽く摘んで挨拶をする。


「それが魔法とやらの先生か」


 椅子に座ったまま、ベルデスが言う。その言葉にディールの表情が厳しくなった。


「お初にお目にかかる。ディールの父親殿」


 ケルナーにしたのと同じ挨拶をベルデスに返す。


「ふん。北方ほっぽうの出か」


 キュアリスの銀髪翠眼を見てベルデスが言う。彼女を見る視線は、値踏みするかのようだ。対するキュアリスは挑戦的な視線でそれを受ける。


「ディールに何やら妙なことを吹き込んでくれたようだが、お前の歳で世界の真理など教えられるのか?」

「妾が教えるのは世界の真理ではなく、それを探求するための方法じゃ。そして真理は本人が探求するものじゃ」

「真理の探究など、そう簡単にできるものでもなかろう。それとも魔法とやらを使えば簡単にできると言うのか?」


 キュアリスの口調に眉を潜めつつも、ベルデスは言う。


「難しいじゃろうの。一生かけても無理かもしれぬ。かつて数多くの魔導師が望み、誰ひとり為し得なかったのじゃからな」

「それみろ。無理なことをいかにも出来るなどとディールを唆し――」

「じゃが」キュアリスがベルデスの言葉を遮った。「学ぶかどうかを決めるのはお主ではない。もちろん妾でもない。ディール自身じゃ。困難であると知ってなお求めようとするのなら、妾は魔法を教えよう。ディールが諦めない限り、妾の持つ知識を惜しみなく与よう。

 期待だけさせて何も教えぬなど、妾は決してせぬぞ」


 キュアリスの言葉にディールの目が見開かれる。口が開き、でも何と言ったらいいのか分からず息のみがディールの口から漏れた。それから掠れるような声で「師匠」と言ってキュアリスを呼ぶ。


「お主には大きな借りもあるしの」


 ディールの方を向いてキュアリスが言う。その顔はにまりと笑っていた。


「言うではないか小娘」ベルデスがキュアリスを睨みつける。「ディールから何を聞いたのかは知らんが、客人であるということは忘れるな。すぐに追い出してもいいのだぞ」


 さらに睨みを利かせようとしたベルデスの前にシルクが現れた。まるでキュアリスを守るかのように、二人の間に割って入る。


「キュアリス姉様をいじめるのは、お父様でも許さないです」


 シルクが父親に向かって言い放つ。頬をぷくっと膨らませ、精一杯の怒りを表したその顔は可愛らしくすらある。

 そんな娘を見て、ベルデスの表情が緩んだ。娘の可愛さに、キュアリスに感じていた怒りが消失したせいだ。


「ふん。ディールに次いでシルクまでも、か。上手く取り入ったものだな。子供は騙しやすかったか?」


 そう言ってベルデスは立ち上がり、椅子の横にある杖に手をかける。杖は椅子にあつらえた差し込み口に差し込まれていた。


「父さん! そんな言い方はないです!」


 ディールが鋭い声を上げる。しかしベルデスはそれを無視して杖を抜き出す。そして片足を引きずるように歩きながら、食堂を後にした。


「妾は気にしておらぬ。それよりも悪かったの。お主の父親を怒らせてしまった」

「あれは、父さんも悪いです」


 ベルデスは、初めからキュアリスに対し高圧的に接していた。昨晩のこともありディールは父親に腹を立てていた。


「シルクも妾のためにすまぬな」キュアリスがシルクを見て言う。

「いじめるのは良くないです。キュアリス姉様はわたしが守るです」


 シルクが得意げに言う。そのままキュアリスの手を引っ張って席へとついた。

 そばで見ていたケルナーがなんとも言えない表情でディールを見る。ディールは兄の視線に気づき何事かと表情で訊ねた。


「いや。シルクの奴、お前が連れて来たに随分と懐いているな。昨日会ったばかりだろう?」

「母さんが言うには、シルクはずっと姉が欲しかったって」

「それは……少々複雑だな。ミュリーアを連れて来た時には、あそこまで懐くようなことはなかったのに」


 ケルナーの口から出た聞き覚えのない名前に、ディールは昨日の母親のと会話を思い出す。


「そう言えば兄さん、結婚するの?」

「ああ。母さんから聞いたのか」

「なんか上手くいってないんだって?」

「ミュリーアと上手くいってないみたいな言い方はやめてくれ」ケルナーが苦笑する。「邪魔をしたがるやつがいるんだよ」

「シルクたちが襲われたって聞いたよ。そのミュリーアさんっていうのはどこの人なの?」


 ディールの問いにケルナーは頭をぽりぽりと掻いた。


「あー。トリオス防衛軍の主計官の娘だ」


 軍における主計官は戦闘以外の職務を担当している。その中には補給に際しての物資の買い付けなどの渉外も含まれる。ケルナーの結婚は自分たちの商会にとって軍との太いパイプを作る絶好の機会となっていた。

 当然、それを快く思わない者も出てくる。


「恐らく、襲って来たのはシュタット商会うちを目の仇にしてるサラセール商会だろうって、父さんは言ってる。俺もそう思う。

 せっかく帰って来たのに、面倒事に巻き込むかもしれん。すまないな」


 ケルナーは申し訳なさそうな表情でディールを見て言う。


「そんな。兄さんのせいじゃないよ」

「だが、お前も狙われるかもしれん。外出する時は雇った冒険者について来てもらうようにしてくれ。特に新市街に出る時はな」


 ケルナーの言葉にディールは頷いてみせた。


        ☆


 トリオスの内郭の門を抜け、二頭立ての馬車が大通りを進む。その数は二台。先頭を行く馬車にはグートバルデ伯爵家の紋章が描かれている。

 馬車はやがて巨大な城館へと近づいていく。正面の城門で一度停まり、衛兵と御者が言葉を交わす。衛兵が馬車の紋章を見て敬礼し、二台の馬車は何事もなく進み城館前の広場へ停車した。


 馬車を出迎えるように並んでいるのは軽装の兵士たち。その奥には腰に剣を差した軍服姿の偉丈夫いじょうぶ。その横には同じく軍服を着た男が立っていた。こちらは武装をしていない。そして二人とも中年だった。

 紋章の描かれた馬車の扉が開き、中から人が出てくる。最初に革のベルトを腰に巻いたダルマティカ姿の少女。次いでローブ姿の老人。

 メリッサとウォールロックだ。


「ゲイル叔父様。わざわざ出迎えていただかなくても、こちらから向かいましたのに」


 金髪の偉丈夫の前まで来てメリッサが言う。


「可愛い姪が訪ねて来たのだ。迎えにくらい出させろ」


 髭を蓄えた口元に笑みを浮かべ、偉丈夫が応える。メリッサを見る青い瞳には優しい光が浮かんでいた。トリオス防衛軍の指揮官、ゲイル・グートバルデだ。


「グートバルデ将軍。この度は突然の訪問に快く応じていただき感謝する」

「よくおいで下さいましたウォールロック様。こちらこそメリッサがお世話になっております。この跳ねっ返りがご迷惑をかてはおりませんか?」

「叔父様!」


 ゲイルの言葉にメリッサが怖い顔をしてみせる。そんな彼女をゲイルは大笑たいしょうで受け流す。


「ところでトリオスへはどのようなご用件でいらしたのですか?」


 軍人としての表情に切り替え、ゲイルは老魔術師ろうまじゅつしに問うた。口調は穏やかだが視線は真意を確かめようとする者のそれだ。

 叔父の変化の意味に気づき、メリッサが信じられないといった表情になる。


「形式的なものだ。これでも一応、この街の防衛を任されているのでな」


 メリッサを見てゲイルが言う。その表情に先程のような親しさはなかったが、自分の師匠を疑っているわけではないことだけは彼女に伝わった。

 メリッサが何か言いかけた口を閉じる。


「ある少年に会いに。この街に帰ってきておるはずなのじゃが」

「帰って? ということはトリオスの生まれなのですか」

「そうじゃ。名をディールと言う。家がシュタット商会だと聞いたのだが」

「シュタット商会……でしたらこの男の方が詳しい」


 そう言ってゲイルは横に控えていた軍服の男に視線を送った。

 ゲイルと同じくらいの年代の痩せた男性。栗毛に青い瞳をしておりゲイルのような武人としての雰囲気は微塵もない。


「こちらは?」

「トリオス防衛軍で主計官をしておりますレイマンと申します」


 レイマンはウォールロックとメリッサに頭を下げてみせた。


「こやつの娘が、シュタットの倅と結婚するそうです」


 ゲイルの言葉にウォールロックとメリッサが驚いた表情を浮かべる。


「なんと。ディールは故郷に許嫁がおったのか」

「ディール?」レイマンが不思議そうな表情を浮かべる。「いえ、娘のミュリーアと結婚するのはケルナーという青年です」

「ケルナー?」

「はい。ディールというのはおそらく、魔術師になるべく修行に出ているという弟の方でしょう」

「そうじゃ。そのディールじゃ。トリオスに戻っておるはずじゃが」

「でしたら明日にでも私の娘に案内させましょう。あれもシュタット家に行く口実が欲しいでしょうから」

「なんだ? 破談でもしそうなのか?」


 面白がるような調子でゲイルが言う。


「そういうわけではないのですが……」レイマンが顔を曇らせる。「向こうの都合で式の日取りなどを決めるのは待ってくれないかと」


 そう言ったレイマンに怒ってる様子はない。彼の浮かべる表情は娘の将来を心配する父親のそれだ。単純に不安なのだろう。


「だから辞めておけと言ったのだ。シュタットの当主は確かベルデスと言ったな。前に一度会ったことがあるが、あいつは狸だ。それもとびっきりの古狸だな。

 お前の娘は騙されておるのではないか?」

「それは大丈夫です。ケルナーとも会いましたが誠実な青年です。頭もなかなか切れる。向こうの跡取りでなければ私の部下に欲しいくらいですよ」

「む。そうか。しかしなぜ……。おいレイマン、もし向こうが破談を言ってくるようなら俺に言え。話をつけに行ってやる」

「貴方が言うと冗談に聞こえないので辞めてください。とにかく娘も何か口実がなければあの家に行きにくいのです。ウォールロック様さえよろしければ、娘に案内させてやってください」

「この街に不慣れなこちらとしては願ってもないことじゃ。ぜひ頼む」


 ウォールロックは好好爺然こうこうやぜんとした顔で言う。レイマンもホッとした表情になる。


「なら決まりだな。レイマン。ウォールロック様をよろしく頼むぞ」

「はい」

「それと二人とも」ゲイルがメリッサたちを見る。「何かありましたらこのレイマンに言ってください。領地にいた時のような待遇は無理ですが、ある程度は融通してくれます。

 では仕事がありますので、俺はこれで失礼します」


 そう言うとゲイルは城館内へと入って行った。ゲイルを見送っていたレイマンが魔術師の師弟に視線を移した。


「お部屋にご案内いたします。メリッサ様にはあとで侍女をおつけいたしますのでご用があれば、侍女にお申しつけください。もちろん私に直接申しつけられても構いません」


 レイマンに案内されて、二人は城館へと入って行った。

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