Fox tail

ソメイヨシノ

1-1.絶望への道

ボクは父を偉大だと思っていた。

この頃のボクは尊敬の眼差しで父を見ていたと思う。

そして、父のセカンドであるレオパルドを名乗れる事を誇りにも思っていた。

たった5歳のボクが、本当にそう考え、思っていたかどうかは定かではないが、それに似た感情を抱いていたのは確かだ。

その感情が恐怖だと知ったのは、やはりこの頃だった。

父は誰よりも強く、逞しく、素晴らしく、皆の英雄なのだと疑わなかった、ボクの幼少期。

ボクは父のようになりたかった――。


「ほら、あの子よ、レオパルドさんの所の息子さん」

「まだ小さいのねぇ」

「うちの子と同じ年に生まれたのよ、なのにあんなに立派で、なんて賢そうなのかしら」

「アナタの所の子と同じって、じゃあ、まだ5歳!? あの子が!?」

「凄いわよねぇ」

ここはムジカナと言う田舎町。

この町を全て見下ろしている立派な屋敷。

主は、ムジカナも含む、このエリアを治める国の騎士隊長〝ベア・レオパルド〟

この田舎町で、彼を知らない者は誰もいない。

そして誰もが彼を敬い、頭を下げる。

彼の息子は、今、広場でひとり、剣の稽古に励んでいる。

名をシンバと言う。

シンバ・レオパルド。

小さな体に少し大きめの胴着を纏い、汗だくで、かなりの背丈のある竹刀を振り回し、剣の稽古を続けている。

ブラウンと言うよりはオレンジに近い明るい髪色、そしてやはり瞳も髪のようなオレンジ色を放ち、まるで夕焼け空を映しているよう。

白い肌が更に、その髪と瞳を特長化させる。

そして、シンバは5歳児の癖に、生意気にも生意気すぎる子供だった。

人を見下し、父の名があるが故に、皆からチヤホヤされる事に当然と思い、ベア・レオパルドに似ていると言われる度に天狗になっていく日々。

しかし父の名を落とす事だけはしたくないと、気高く振る舞うだけの努力を惜しまない子でもあった。

家族構成は、父のベア・レオパルド、そして母と妹がいた。

父は月に一度だけ帰って来る。

その時ベアは、必ずシンバに剣の稽古をつけ、課題をひとつ残し、また騎士隊長へと戻る。

田舎町とは言え、剣を教える道場もあるのだが、そこへシンバを通わせないのは、型にはまった流派を身に付けさせたくないと言うベアの考えである。

戦争で必要なのは、礼儀でも作法でもなく、強さであり、生き残る事――。

国の領土争いで、あちこちで戦争が起き、民達は貧しい生活を送っていた。

孤児も増え、格差が激しい中、賊も増え、戦いが常の時代。

しかしムジカナは戦争に巻き込まれる事も賊に襲われる事もないだろうと、民達は思っていた。

この田舎町にはベア・レオパルドがいるのだから。

国の騎士隊長を勤めるベアがいる町。

戦いが起きれば、一番に助けに来てくれるだろう。

ベア・レオパルドは世界を救う英雄なのだから。

誰もがそう思っていた。

「シンバ」

そう呼ばれ、振り続けていた竹刀を止めて振り向いたシンバの表情がパァッと明るくなる。

「父! 帰って来てたのですか!」

5歳にしては、呂律の回りも良く、しっかりとした台詞を吐く。

学がなければ父のようにはなれないと、勉学も励む日々がシンバの中身を大人にしていく。

シンバとベアの周囲には人だかりができ、皆が、ベアの帰郷に喜びを口にしている。

「シンバ、お前は言いつけ通り、毎日、稽古を続けているようだな」

「はい!」

「いい返事だ」

ベアは大きな手の平で、シンバの頭をすっぽり覆い、くしゃっと撫でる。

剣の握り過ぎで、ゴツゴツとして硬くなった手。

筋肉で覆われた大きな腕には、強さの勲章である深い傷跡が幾つか残っている。

少し浅黒い肌はシンバとは違うが、明るいオレンジに似たブラウンの髪色と瞳。

微笑む表情が少年を思わすヤンチャな雰囲気を出す辺りも、シンバの笑顔とそっくりだ。

「よし、一ヶ月の間で、どれだけ強くなったか確かめてやろう」

ベアはそう言うと、シンバから2、3歩、後退し、距離をとり、来いと指を動かし、シンバを招くと、シンバはキッと強い眼差しで剣を構え、ベア目掛けて踏み込む。

どよっとしたざわめきが起こったのは、5歳の小さなシンバが大きなベア目掛けて恐れもなく突っ込んだ瞬間、片手でシンバの体を叩き、容赦なくベアがシンバを返り討った事。

シンバの体が宙を舞い、後ろへ飛ばされ、砂煙を上げながらゴロゴロと転がる。

皆が、転がるシンバを避けるように道を開け、そのまま倒れるのかと思えば、まるで何事もなかったかのように、自分の足で立ち上がると同時に地面を蹴り付け、ベア目掛けて走る。その行動にはベアも少々、驚きを隠せなかった様子で、表情が変わった。

だが、やはり、シンバは返り討ちに合い、それでも何度も何度も立ち上がり、立ち向かう。

一歩たりとも動かないベアに、シンバは必死で剣を振り上げて飛び掛る。

泥だらけの傷だらけになっていくシンバは歯を食い縛り、何度も立ち上がる。

何も5歳の子に、こんな惨い仕打ちしなくてもと、誰もがそう思い始め、表情に不安を浮かべた頃、ベアが、手の平を広げ、飛んで来るシンバに見せた。

「シンバ、もういい」

ピタリと動きを止め、振り上げた剣を下へおろし、悔しそうな顔を伏せるシンバだが、

「言いつけをよく守り、稽古と言うより修行に励んだようだ。お前は強くなる」

と、ベアはシンバの頭を撫で、シンバは顔を上げて、ベアを見上げる。

「毎日の鍛錬で、お前の戦闘での長所が出て来た。身のこなしが素早く、まるで疾風のようだ。私の懐へ入り込んだのは、お前で、2人目でだ、シンバ」

ベアはそう言うと、更に、シンバの頭を撫でていた手を横にし、腕を見せ、

「そして私にその年齢で傷を負わせた事は誇りに思うがいい」

と、掠り傷だが、薄っすらと血が出ている怪我を見せる。皆がおおっと声を上げ、シンバの表情も明るくなっていくが、少し首を傾げた仕草。

そしてシンバは木で出来た丸く尖ってもない竹刀を見つめる。

この武器でどうやって掠り傷とは言え、傷を負わせられたのだろう。

その答えを知っているのはベア。

剣を振った時に起きた風が鋭い刃のようになり、傷ができたのだ。

ベアはシンバを見下ろし、我が子ながら恐ろしい子だと思う。

自分以上の戦いの天性を持っているのではないかと身震いしてしまう程。

――まだ生まれて5年しか経ってないにも関わらず、そして剣を持たせたのは3歳の頃。

――たったの2年で風を刃にする程のチカラを己で得たと言うのか。

――掠り傷で済んだのは、大剣使用の竹刀であったからこそ。

――この子は大剣ではなく、細身のソードか、短剣かを装備するべきだろう。

――しかしこの才は私の血筋か?

――それとも私の懐に初めて入り込んだアイツの血筋か・・・・・・

「シンバ、うちへ帰ろう。傷の手当をお互いにしなければな」

ベアはそう言って、シンバに微笑み、シンバもその笑みに返すように微笑む。

何度も叩き飛ばされたシンバは服も汚れてしまい、額も頬も腕も掠り傷だらけだ。

ベアはそんなシンバを気遣うように、優しく背に手を回し、共に歩いて行く。

皆が、強い親子の絆があるからこその2人だと、ベアとシンバがいなくなる迄、見送る。

ベアは誰もいなくなるのを確認すると、シンバを見下ろし、

「土産がある」

そう言った。シンバはベアを見上げ、少し首を傾げる。そんなシンバの手に持たせる銃。

「我が国も戦闘機と言うモノを手に入れ、空で活躍する軍に属する騎士を集めだしている。私も空軍の隊長にと名が挙がっている。舞台が変われば、武器も変わってくる」

「剣はもう必要ないのですか?」

「いいや、大剣を装備する事は絶対だ。他の剣はいらんがな。しかし、剣以外の新しい武器も扱えるようになってこそ、我が息子だ」

シンバは、そうかと、銃をギュッと強く持ち、ジッと見つめる。

「空気弾だから撃っても殺せない。だが、次に私が帰って来る時まで使えるようになっておくといいだろう。狙いを定めて、引き金を引く。おっと、少し重いか? だが、この程度の重さも支えられぬと騎士にはなれないぞ? 真剣はもっと重いのだからな」

そんな説明を受けながら、銃を手にするシンバに向かって駆けて来るは、妹のバニ。

「おにいたーん!」

手を振りながら駆けて来る2歳の小さな妹は今にも転びそう。

「調度いい」

ベアはそう言うと、バニを指差し、

「シンバ、撃ってみろ」

と、バニを指差した。

シンバはベアを見上げ、きょとんとした表情をするが、ベアがコクンと頷くので、バニを的にしろと言う事だと理解し、シンバはバニに向かって銃口を構える。

ちょこまかと動くバニにうまく狙いが定まらず、しかも銃が重くて、引き金も引けない。

とりあえず撃つだけでも撃たなければ、父の期待に応えれないと覚悟を決めた時、バニが転んで、直ぐに起き上がったが、その場に座り込み、ワンワン泣き出した。

「今だ、シンバ、撃て!」

ベアがそう言って、シンバの指が引き金を引く瞬間、

「シンバ!!」

母の悲鳴のような叫びで、呼ぶ声に、シンバは銃を下ろした。

今、走って来る母の名はカラ。カラ・レオパルド。

彼女は、血相を変え、今、泣き喚くバニを抱き上げて、息を切らし、

「何を考えているの!? 帰って来て、最初にやる事がそれなの!?」

と、ツカツカとベアに向かって歩きながら、怒鳴るように言う。

「そんなにギャアギャア喚くな、空気弾だ、死にゃしない」

「そういう問題じゃないわ! 怪我でもしたらどうするの!? バニの顔に傷が付いたらどうするの! 女の子なのよ!」

「ハッ! 望んでない」

「・・・・・・アナタが興味あるのは、アナタの全てを受け継いでくれる子だけなの?」

「当たり前だろう。私はやがて滅び行く。だが、私は私を残す。肉体は滅びても、私の魂は残るのだ。その素質がシンバにはある」

「馬鹿げてるわ。シンバはシンバよ。アナタにはならない」

そう言ったカラの頬を、加減してだろうが、引っぱたくベアに、シンバはビクッとする。

バニもカラに抱かれながら、驚いて、泣き止むと、カラにギュッと更に強く抱き付く。

「シンバ、お前は私のようになるのが夢だろう?」

ベアがそう言って、シンバを見下ろし、シンバはその瞳に逆らう事をせずにコクコク頷く。

すると、ベアはシンバの頭に大きな手を乗せ、

「いい子だ、それでいいんだ。私のようになれ。私の全てを受け継ぎ、何れ、私そのものとなれ。お前は偉大なる戦士として、国を背負うんだ。私のようにな――」

そう言うと、カラとバニを見て、

「そうでなければ、生きる価値はない。シンバにはその価値がある」

そう言った。それは嬉しい事の筈なのに、そして望んでいる事でもある筈なのに、シンバの表情は強張っている。

「もうやめて」

そう呟き、カラはバニを強く抱き締めながら涙を流し出すから、シンバはわからなくなる。

――どうして母は泣くのだろう?

――何が悲しいんだろう?

――父に叩かれた頬が痛いから?

――どうして父は母を叩いたのだろう?

「先にシンバと家に戻っている」

ベアはそう言うと、シンバの背を押し、カラの横を通り過ぎていく。

――父? 母を慰めなくていいの?

――バニも泣いてるけど、いいの?

――聞きたい事はあるけど、どうしてボクは言葉にできないのだろう?

「シンバ、さっきは惜しかったな」

「え?」

「バニを仕留められなかった」

「あ・・・・・・はい・・・・・・」

「いいか、シンバ、強くなりたいのなら経験を積まなければならない。その為には、まず己より弱い者を叩く。獣もそうやって強くなるんだ。最初から自分より強い獲物を狙うバカはいない。お前は百獣の王になる為に、強い連中を従える。そしてその連中に己の偉大さをわからせる為に、チカラを手に入れる。チカラを得る為に戦い続け、そして強さを手にし、いつか私のように強い騎士達を従える隊長になる」

「はい」

「だが、必ずしも、その全てを受け継ぐのが、お前とは限らない」

「え?」

「シンバ、私には、お前の他に息子がいる」

「・・・・・・?」

「その息子は違う町に住んでいる。その子もまた素晴らしい素質の持ち主でね、私の全てを継いでもらいたいと思う程」

「・・・・・・ボクより強いって事ですか?」

「いや、そうとは限らない。だが、シンバより剣術は長けている」

「・・・・・・」

「だが、シンバの方が動きは長けている」

「・・・・・・それって、どっちも同じくらい強いって事ですか?」

そう聞いたシンバを見下ろすと、ベアは、黙り込んで、歩いていた足も止まる。

――同じくらいの強さ?

――強さならシンバの方が上回る。

――シンバが大剣ではなく、自分に合ったソードか短剣、いや、爪などを装備すれば。

――だが、私の武器は大剣。

――無論、私を継ぐ者に、私の武器を継がせたい。

――だが、スピードを重視した戦い方をするシンバの強さは惜しい。

――人に生まれながら、獣並みの瞬発力と洞察力は努力だけで手には入らない。

――その天性の戦闘能力を手放すのは惜しい。

――惜しいが、邪魔な存在となるかもしれない・・・・・・。

――いや、このチカラを私の支配下におければ、これもまた私のチカラのひとつとなる。

――それにシンバはまだ発達途中。

――大剣も装備できるようになる可能性もある。

――そうなれば、私を継ぐに相応しいのは、今の所、シンバだ。

「父?」

「シンバ、お前が大人になる頃までに答えは出るだろう。今は学べ。そしてチカラを蓄え、戦える準備をしておけ。強さを誇れる程の自信を身につけろ」

「はい」

「お前の獣のような動きは長所だ。それを伸ばすといいだろう。だが、決して狐にはなるな。一匹では何もできぬ癖に、二匹、三匹と――。己の力でもない癖に、のうのうと我が力という顔で、肉を喰らう。ズル賢く、騙す事で、勝利するような汚い奴等だ。お前はプライドを持ち、独りでも戦える力を持て。そしてその誇り高き強さで、強い連中のトップに立ち、国の戦闘力を支配するのだ。まずはそこを目指し、今は地道に進め」

「はい」

素直に頷くシンバに、よしとベアは頷き、

「さぁ、帰って、風呂に入って、傷の手当だ」

優しい笑みを見せる。シンバの表情にも笑顔が戻る。

食事をする頃には、ベアもカラも、特に会話はなかったが、いつも通りといった風で、空気は張り詰めていたが、シンバもバニも、いつも通りに過ごした。

次の日、早朝からベアは行ってしまい、また一ヶ月間、会う事はできない。

ベアがいなくなった後、カラの緊張感が張り巡らされたオーラが消え、ピリピリしていた空気がなくなった。

シンバは自分の部屋で、ベアにもらった銃を手に取る。

これを扱えるようにならなければ・・・・・・。

ノックもせず、部屋に入って来たカラは、持っていたシンバの洗濯物をバサッと落とし、銃を持っているシンバを驚愕の表情で見る。

「・・・・・・母? 洗濯物、折角、たたんだのに、落ちちゃったよ?」

そう言って、シンバはカラに近づき、落ちた洗濯物を拾おうとした、その手を、カラが握り締め、強く強くギュッと握り締められ、シンバは痛いと言おうとしたが、余りにもカラの表情が悲しそうで、今にも涙が溢れ出しそうなので、唾と一緒に言葉を呑む。

「シンバ、それ・・・・・・ベアから・・・・・・お父様からもらったものなの?」

「うん」

「そう・・・・・・でも・・・・・・それは使わないで?」

「え? どうして? 父は次までにコレを扱えるようになっておけって」

「そう・・・・・・でもね・・・・・・シンバはまだそんなもの扱えなくていいと思うの」

「・・・・・・なんで?」

「それは・・・・・・お父様もね・・・・・・シンバと同じ年齢の頃、そんなもの扱えなかったと思うわ。お父様は少し急ぎ足で先へ先へと向かいすぎているの。もう少し、ゆっくり歩いても大丈夫。きっとシンバは立派な騎士になれるから」

「只の立派な騎士じゃ駄目だよ。父のようになるんだ。偉大で強くて勇敢で何者にも恐れない騎士に。そして、全ての騎士達を統一するんだ。それはボクだ。負けられない」

「負ける? 誰に?」

それは父のもう1人の息子にと、だが、それを言ってはいけない気がして、シンバは黙る。

5歳児ながらに、わからなくとも、何か察して、気を遣う。

俯くシンバに、聞いてはならなかった事なのかとカラも悟り、

「シンバ、負けたっていいじゃない?」

と、笑顔で、そう言うと、柔らかいシンバの頬にソッと触れる。

まだ小さな丸いホッペは子供特有の弾力のある柔らかさで、大人びた口調や表情のシンバに残された子供らしさのようで、カラはホッとする。

「負けたっていいわ。そしたらまた頑張ればいいだけじゃない?」

「・・・・・・母、知らないんですか?」

「え?」

「騎士にとって負けとは死を意味します。頑張れるチャンスなんて、次はありません」

そんな事までベアはシンバに話しているのかと、カラは悲しくなる。

町のシンバと同じくらいの子供達は楽しい笑い声を弾ませながら、走ったり飛んだりしている。生きてまだ間もない子供達が、生きる事を力一杯、体全部で表現している。

なのに、シンバは既に死について考えている。

そう育ててしまったのだ。

「・・・・・・兎も角、これは預かるわ」

「え!?」

こうなったら、無理矢理、親の権限で銃を奪う事しかカラは思いつかない。

「母! 返して! 父が帰って来たらどうしたらいいの!? 父を裏切る行為になる!」

「シンバ、ちゃんとお父様には、お話しするから、心配しないで」

そんな事を言われても、シンバはどうしていいか、わからない。

銃を持ち去られ、シンバは溜息を吐いて、落ちている洗濯物を拾い、たたみ直す。

「おにいたん、おにいたん、あしょぼ」

まだお喋りが上手ではない妹のバニがやってきて、シンバの腕を引っ張る。

「遊ばないよ、あっち行けよ、ボクはこれから剣の稽古するんだから」

「えぇぇ・・・・・・」

「母に銃をとられたんだ。せめて剣だけでも、かなり腕を上げておかないと父がガッカリする。母は何を考えてんだろう? ボクの事が嫌いなのかな」

溜息を吐きながら、シンバはそう言って、たたんだ洗濯物を片付け、また溜息を吐き、

「バニはどう思う? 母はボクの事が嫌いだと思う?」

そう問う。バニは首を傾げ、ニッコリ笑うから、シンバも聞く相手を間違えたかと苦笑いして、立て掛けてある竹刀を手に持った。

「おにいたん、いっちょにいくよ、広場、いくよ」

「邪魔だよ、どっか1人で遊びに行けば?」

「やだやだやだ、おにいたんといっちょいっちょいっちょ」

足をバタバタさせて、バニは駄々を捏ね始める。

「母ー! 母ぁ!!!!」

シンバは大声でカラを呼び、何事とやって来たカラに、

「バニがボクの剣の稽古の邪魔をするよ」

そう言うが、カラは、やだやだとその場でぐるぐる回っているバニにクスクス笑い、

「遊んであげて? たまにはいいでしょ?」

などと言い出す。

「困るよ!」

「どうして? 毎日やってるんだから、1日くらいサボっても平気よ」

「サボったりしたくない! 父の言いつけ通り毎日、ちゃんと稽古して、強くなるんだ」

そう言ったシンバの手を、カラはソッと握り締め、そして、シンバの手の平を見る。

「5歳の男の子の手には思えないわ。この硬い手の平はシンバが築いてきた強さね。もう充分だわ。充分、強くなったわ」

「手の平は肉刺が潰れて治った所が硬くなっただけだ。強さじゃない」

「いいえ、この手は強さの証よ」

「・・・・・・もっと強く、体も鍛えるんだ」

「体を鍛える事だけが強さじゃないでしょ?」

「なにそれ? 他にどんな強さがあるの?」

「強さは弱い者を守る為にあるんでしょう? シンバはその為に強くなるんでしょう?」

「違うよ、強い奴を従わせる為に強くなるんだ」

「・・・・・・そう、でも、それって本当に強さなのかな?」

「そうだよ、強くなきゃ強い奴なんて従わせる事はできない。沢山の強い騎士を統一するには父のように強くならなきゃならない」

「本当にそう思ってるの?」

「本当にそう思ってるよ」

「間違ってない?」

「間違ってないよ」

「そう・・・・・・シンバは沢山の本を読んでる癖に、こんな簡単な事もわからないのね」

悲しそうに言うカラに、わからないのは母だよと、やっぱり母はボクが嫌いなんだとシンバは思い、ムッとする。

そのシンバの表情で、なんとなく悟ったカラは、シンバの髪を撫でるように優しく触り、

「髪、伸びちゃったわね・・・・・・後で切ってあげるわ・・・・・・」

と、ご機嫌をとるように言う。

「いいよ、父に切ってもらう」

「でも、お父様が帰って来るのは一ヶ月も先よ? その間に結構伸びちゃうわよ?」

「いいよ、伸びても」

「そう・・・・・・シンバはお父様が大好きなのね」

「うん」

「そうね・・・・・・だから・・・・・・シンバはお父様の言う事しか聞いてくれないのね」

そう言われると、そうじゃないのにと子供ながらに焦ってしまい、シンバはカラを見ると、カラは優しい笑みを浮かべたまま、シンバを見つめている。

「ねぇ、シンバ? シンバは充分強いわ。お父様も言っていたの、シンバは普通の大人の男性くらいなら倒せる程だって」

「普通の大人の男性を倒せる程度じゃ駄目なんだよ」

「そうね、シンバの目標はお父様だものね。でもその長い道のりで時には休憩も必要だし、足を止める事があってもいいと思うの。そうする事で見えなかったものが見える時だってある。シンバはとても利口だと思うけど、折角、沢山の知識を得たものを持っているだけで使いこなせてないと思うわ。それはまだシンバが子供だから仕方ないけど、だからこそ同じ子供達と遊んだりする事で得るものがあるのよ。誰かと同じ目線で立って見るのも悪くないと思うわ。上から下を見るだけじゃ見えないものあるでしょ?」

「・・・・・・母が言う事は父とは違うからボクは困る」

そう呟いて、俯くシンバに、困らせてしまっただけかと、カラも俯く。

「でも」

と、顔を上げ、

「父の言う事しか聞かない訳じゃない、母の言う事も聞くよ」

そう言ったシンバに、この子にはまだ優しさが残っていると、カラは嬉しく思う。

だが、シンバは母の言う事が正しいのか、よくわからない。だから、

「ねぇ、母? 母は父が嫌い?」

そんな質問をする。

ギャアギャアと横で駄々を捏ね続けていたバニも、途端、静かになって、カラを見る。

カラは首を横に振り、

「大好きよ」

戸惑いもなく、そう答え、シンバはホッとする。

「ねぇ、シンバ。その質問、今度、お父様にしてごらんなさい?」

「え?」

「きっと、その時、シンバは傷つくかもしれないわ、でも、あの人はそういう人だと知ってほしい。自分でちゃんと知ってほしいの、自分の目で見て、本当にそれでいいのか自分で決めてほしいの、アナタが目指す者はそれでいいのか――」

カラはそう言うと、バニに、おにいちゃんに遊んでもらいなさいと言って、バニの頭を軽く撫でて、行ってしまった。

「・・・・・・いいに決まってるじゃないか」

そう呟くシンバ。

――自分で決めたよ。

――父のようになりたい。

――自分の目で父をいつも見てるよ。

――父を目指していいに決まってるよ。

――母はどうしてそんな事を言うんだろう?

「おにいたん? なにちてあちょぶ?」

「うん? あぁ、うん、バニはいつも何して遊んでんの?」

「うんとね、パンは食べるのが好きでね、でもね、カモメのね、お手伝いするから、おねえたんと集めるのよ」

ニコニコしながらそう言ったバニに、シンバも顔ではニコニコし返すが、心の中では、何を言っているのか、サッパリわからないと汗を流す。

「そうだ、バニ、本を読んであげるよ」

「本?」

「うん、おいで」

シンバはそう言うと、本棚から分厚い本を一冊とり、ベッドの上に腰をかけ、バニに横に座れと、ベッドをポンポンと手で叩いて、それから手招き。

大きな本は文字しかなくて、だけど、バニはシンバと一緒に本を覗き込む。

ツラツラと長い文章を上手に読んでいくシンバ。

時折、長くなった前髪が邪魔でシンバは髪を掻き上げる。

部屋のドアが開いていたので、そのシンバの仕草を何度か部屋の前を通り過ぎたカラが気付き、シンバの前髪をバニの赤いボンボンの付いたヘアゴムで括った。

本を読んでいたシンバはピョコンと上に結ばれた前髪に、顔を上げ、カラを見上げる。

「似合ってるわ」

と、クスクス笑いながら、カラは部屋を出て行き、シンバは前髪を触ってみる。

「うわっ、何してくれてるんだよ!」

と、大声を出した瞬間、バニが何か小さな声で囁いて、見ると、いつの間にか寝息を立てて眠っているから、シンバは自分の口を自分の手で押さえる。

「おにいたん・・・・・・ちゅまんない・・・・・・」

今、そう囁いたバニに、シンバはぷっと笑ってしまう。

「そっか、夢の中でもボクはつまんないか」

言いながら、バニに椅子に置いてあった膝掛けのキルケットをかけ、そして剣の稽古に出かけようとするが、バニが手を伸ばし、シンバの袖を引っ張った。

起きたのかと思うが、そうじゃないらしい。

そっとバニの手を解こうとするが、シッカリと袖を握り締めている。

参ったなと溜息を吐きながら、シンバもゴロンとベッドに横になる。

気がつけば、すっかり窓の外は暗闇。

隣で寝ていた筈のバニもいなくなっていて、しかもバニにかけてあげたキルケットが自分にかけられている。

飛び起きて、階段を駆け下りると、調度、バニが階段の下にいて、

「おにいたん、ごはんごはん」

と、シンバを呼びに行こうとしていた所のようだ。

「・・・・・・夕飯? そんなに眠ってたのか、ボクは」

そう呟いたシンバの手を握り、ご飯ご飯と連呼しながら、跳ねているバニ。

わかったと頷き、バニの手を握り返し、一緒にキッチンへ向かう。

リビングのテーブルには、パンやらサラダやらチキンやらが並んでいて、今、スープを運んで来るカラが、

「さぁ、お腹空いたでしょう? 座って、いただきましょう?」

と、言う。シンバはぐぅっと鳴る腹を手で押さえ、コクンと頷いた。

椅子に座ると、バニもカラも右手中指を額中央に触れ、目を閉じた。

シンバも同じように、右手の中指を額の中央に置く。

そして、その中指を胸の中央まで下ろし、

「光と」

カラがそう言って、また右手中指を今度は左腕の付け根辺りに移動し、

「大地の恵みと」

更にカラはそう言うと、今度は右手中指を、右腕の付け根辺りに移動し、十字を切り、

「ミリアム様の名の下に――」

そう言って、両手を胸の中央で重ね、目を閉じたまま祈るように、アーメンと呟く。

バニもシンバも同じように、アーメンと呟き、更に、

「ミリアム様のご加護により、感謝してこの食事を頂きます」

そう言い終わると、目を開け、カラはシンバとバニを見て、ニッコリ笑う。

それが合図のように、シンバとバニもスプーンを手に持って、食べ始める。

ミリアムと言うのは、この世界を創造したと言われる主である。

所謂、空想的な御神体だ。

宗教観はどこの国も同じで、いろんな神がいる訳ではなく、ミリアム様が唯一となる。

だが、どこの国もミリアム様のご加護があるのは、我が国だけと、その愛を奪い合う。

つまり領土争いが絶えないのも、宗教の流派さえ、ひとつしかなく、もしくは、完全に神など存在しないと言う無神論者しかいないのだが、その殆どは賊か、変わり者。

「母、どうして起こしてくれなかったの?」

「ん? 気持ち良さそうに寝てたから」

「今日は全然、剣を握ってない。そんなの困る」

「たまにはいいじゃない?」

そればっかだと、シンバは小さな溜息を吐く。

そして明日は剣の稽古は今日の分の2倍やろうと思う。

「戦争ばかりで、孤児も多くて、貧民も増えてると言うのに、ここでは、こうして毎日、美味しい御馳走が食べれて、幸せに生きられるのはお父様のお陰よね」

突然、そう言ったカラに、シンバはパンを咥えたままフリーズ。

「バニが寝たら、庭で少しだけ剣の稽古をしてもいいわ」

パンをゴクンと飲み込み、シンバはカラに頷く。

否定的なようだったり、肯定的なようだったり、シンバは母親の言動に悩む。

食事を終えて、バニと風呂に入り、部屋で本を読む。

夜はいつも剣の稽古はしない。

勉学に励む時間だ。だが、バニが眠ったとカラがシンバの部屋をノックした。

「本当に庭で稽古してもいいの?」

「ええ、町の広場はもう真っ暗だけど、庭なら、部屋の灯りとランプで稽古できるわ」

と、ランプと・・・・・・カラの手に持たれているのは、ランプだけではない。

「母、それ?」

「ええ、これはエストックと言われる細身のソードよ。女性でも軽くて使い易いわ」

「女性でもって? まさか母――」

「ええ、稽古をつけてあげるわ、シンバ」

「ちょ、ちょっと待って、母、剣を使えるの!?」

「ええ、シンバのお爺ちゃんはね、とある国の王様だったの」

「は?」

眉間に皺を寄せるシンバだが、カラはまるで御伽噺をするように弾んだ声で話を続ける。

「小さな島にある小さなお城で、小さな城下町があるだけの、なんにもない国。王に跡継ぎはなく、やっと生まれてきた子は女の子。いつか、こんな小さな国でも守って行きたいと思ってくれるどこかの王子が婿養子に来てくれる事をミリアム様に祈ってたわ。だけど町の民達を不安がらせてはいけないと、生まれてきた女の子は男の子として育てられて、兵を率いる立派な王子になる為にと、剣を学ばせたの」

「・・・・・・」

「でも国は大きな国に領土を奪われ、王は殺され、負けとなった後も、王子として育てられた王女は、若い騎士相手に戦い続けたわ。その若い騎士を追い詰めた所までは良かったけど、王女は彼を殺せなかった。勝敗がついた戦いに、更に敵とは言え、死を増やす事を誰が望むでしょう。王族とは聖なる神の教えを学び過ぎる――」

「・・・・・・」

「若い騎士は、王子が王女だと知り、女相手に負けたとなったら我が国の面汚しだと、王子を殺したと言う事にし、手柄を得て、出世したわ。そして国を失った王女を我妻にと迎えたの。出世と引き換えだ、それにアナタは私を殺さなかった、だから私はアナタを一生かけて守ろう。そう言って、王女を匿った――」

「・・・・・・」

「王女はね、心を開かなかったのよ。だって全てを失ったんだもの。でもそれを奪ったのは誰でもない、悪いのは戦争だわ。なのに申し訳なさそうに、王女を大切にする彼に心を閉じたままでいるのは苦しい。きっと彼はもっと苦しい。騎士という立場で、敵だった王女を匿って生きなければならないのだから――」

「・・・・・・」

「やがて、王女は彼の子供を身篭ったの。そしてとても可愛い男の子が生まれたわ。その頃から彼は変わり始めた。多分、超えれなくなってきたの」

「超えれない? なにを?」

「大きな壁。年齢と共に、衰えるものよ。人は永遠じゃないから。でも彼は永遠がほしいみたい。元々、彼は自分の力で出世できる程の強さを持っていたのよ。それを知った彼は強さに対し、執着し、その強さが失われる事を恐れ、全てを誰かに継いでもらいたいの。いいえ、継ぐのではなく、もう1人の自分を育てたいの。コピーを――」

「・・・・・・」

「そうする事で、自分は永遠に存在できると思ってる」

「・・・・・・母、それ、誰の話? 母と父じゃないよね?」

そう聞いたシンバに、カラはニッコリ微笑み、

「只の昔話よ」

と、それは誰の昔話?と聞きたくなるが、御伽噺のひとつとも言える言い方で、シンバはフーンと頷くと、黙り込んだ。そんなシンバの頭を撫でて、ふふふと笑うカラ。

「シンバ、お風呂入って、髪も洗ったのに、また結んだの?」

と、前髪をバニのボンボンの付いた髪留めで括っているシンバの髪を触る。

「・・・・・・本を読むのに前髪が邪魔だったから」

そう言ったシンバに、カラはふふふと更に笑う。

父に頭を撫でられる感じとは、また違う感じで、シンバも少し微笑んで見せる。

「さ、庭で稽古しましょう?」

薄暗い庭で、小さな灯りの中、カラは鞘からは抜かず、エストックを構える。

鞘の重さもあるので、エストックを両手で構えるカラに、シンバは大剣用のいつもの竹刀を構え、踏み込んだ。

最初に驚いたのはカラ。

シンバの思った以上のスピードと、それを兼ね備えたパワー。

だが、大きな竹刀はそのスピードとパワーを半減させている。それに気付いたカラは、もっと軽装備の武器を与えれば、シンバは更にスピードもパワーも上げる事ができると知り、幼いながらもその底知れぬ潜在能力値を脅威に思う。

しかもこの薄暗い中、しっかりとカラの動きを目で追えている。

そしてシンバも驚いている。

攻撃を受け止め、弾き返し、受け流し、避けるにしても隙が全くないカラに、掠り傷ひとつ負わせられない。

ベアにさえ、偶然かもしれないが掠り傷を負わせられたと言うのに、カラはシンバの動きを全て読みきっているように、シンバの大きな一振りにさえ、歩幅をジャンプする程に大きな動きで避ける。

まさかの母親の動きに、シンバはビックリしている。

だが、シンバは動きを止めず、攻撃を仕掛け続ける。

カラは成る程と思い、防御をやめ、反撃に出た。

突然の攻撃に、あわあわするシンバはカラの攻撃を受け止めると言うより、構えている場所にカラが剣を当てて来るのを、只、待っている状態で後退するだけ。

今、カラはシンバの竹刀を強く弾き、そしてシンバの手から竹刀が離れ、宙を飛ぶ。

地に落ちる竹刀。

そして、少し息を切らし、シンバの喉辺りに鞘の先を向けているカラと、カラを見つめて動かないシンバ。

「・・・・・・シンバ、強いわね、驚いたわ」

と、カラはニッコリ笑い、鞘を下におろす。

「驚いたのはボクの方だ」

――もしかしたら母は父より強いかもしれない・・・・・・。

「シンバ、武器を変えたらどうかしら?」

「え? 武器を変える?」

「アナタは大剣に向いてないわ。いえ、使いこなせてはいるのよ、装備もできてるわ。だけど、アナタの、その動きと、スピードやパワーをフルに使うなら、もっと自分に合った武器を手にするべきだわ。そうね、軽めのソードか、短剣か、いいえ、剣に拘らないならナックルのような手に直接装備できるものでもいいかもしれないわ、爪とかね」

「父が、大剣は絶対だって」

「・・・・・・ねぇ、シンバ? お父様の為に強くなるのは違うと思わない?」

「・・・・・・」

「シンバがシンバ自身で強くなろうと決めて、剣を持ってるんじゃないの?」

「・・・・・・」

「お父様が怖い?」

「・・・・・・」

「怖がらなくていいじゃない? お父様はアナタのお父様よ」

「でも・・・・・・ボクは父に見放されたくない。バニのように――」

そのシンバの台詞はカラにとって心臓が止まる程で、ベアがバニを全く相手にしていない事を悟られまいとして来たのに、やはり気付かれていたんだなと悲しく思う。

俯くシンバに、カラは、膝を曲げて、シンバの顔に、自分の顔を近付ける。

「シンバ」

そう呼ぶカラに、シンバは上目遣いで見る。

「シンバ、バニは女の子だから、お父様はバニには自分を残せないと興味がないだけ。バニを見放したりはしてないわ。でもね、お父様は自分を残す為に、もしかしたら、別の子も用意しているかもしれない」

今度は、そのカラの台詞に、シンバの心臓が止まる程に跳ねる。

カラは、ベアには、シンバの他に息子がいると言う事実を知っている――。

「もし見放されるならば、それはバニじゃなく・・・・・・シンバ、アナタだわ」

残酷なカラの台詞。

カラの瞳には涙が溜まっている。

だが、既にシンバは泣いている。

歯を食い縛り、ダラダラと涙を流すシンバを、カラは抱き締める。

「だから見放されないように、自分をシッカリ持って、お父様に主張して? 怖がらないで、お父様をちゃんと見て? シンバが教えてあげて? お父様はお父様なの。他の誰でもない。それはシンバもそうだから。シンバの個性を潰さないでほしいから、せっかくのシンバが持っている素晴らしいモノを失ってはいけないから、だから教えてあげて? 本当のシンバの存在を――」

わあああああと声を上げて、カラの胸で泣き喚くシンバ。

「大丈夫よ、きっと、シンバの言葉なら聞いてくれるわ」

もうカラはシンバに託すしかなかった。

ベアを変えれるのは、シンバしかいないと――。

幾ら強くても、幾ら知識を持っていても、まだ5歳の男の子。

大きな声で泣いた後は、泣き疲れて、気絶するように眠ってしまった。

だが、次の日からシンバは本の少しだけ変わった。

それは本当に、本の少しだけだったが、カラは、良き方向へ向かう前兆だと感じた。

シンバは、バニの面倒をよくみるようになった。

そして、カラの言う事をよく聞くようになった。

だが、いつも通り、父の教えである剣の稽古も勉学も励んだ。

シンバなりに考え、次にベアが帰って来る時迄には、大幅に強くなっていればいいと、そうすれば、きっと自分を認めてくれるだろうと、その為にカラからも稽古を受けた。

只、剣術と言う型に嵌る事はベアの教えにはなく、またカラもシンバの動きを封じてしまう剣技を教える事はなかった。

シンバは5歳なりに強くなろうとしていた。

シンバは信じていた。

父が自分の強さをもっと認めてくれさえすれば、自分の存在も認められる筈。

きっと大丈夫、うまくいくと、信じて、信じる事で不安を掻き消しながら、たった5歳の子が毎日を生きている。

怖いのは、父から見放される事だけ――。

そう、消えてなくなる自分の存在など、疑いもしなかった、この頃のボク・・・・・・。

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