38作品目

Rinora

01話.[聞かなくていい]

健人けんとくん、起きてください」

「おー……」


 こっちが上からどかす前に勝手に布団を取られてしまった。

 結果、冷気が一気に自分を襲い、がくがくぶるぶると体が震え始める。

 やばい、このままだと凍え死ぬと目で訴えたものの、奪った本人はにこにこ笑顔だった。


「早く起きないと遅刻してしまいますから」

「おう……」


 彼女、真里那まりなは「ちゃんと起きてくださいね」と言って部屋を出ていく。

 仕方がないから制服に着替えて――とはならず、あまりにも寒すぎるからまた布団をまとることにした。

 真里那は姉だ、弟が凍え死んだら嫌だろう。

 8時半までに登校すればいいことになっているため、8時までゆっくり寝ようとしたのだが。


「健人くん?」

「あー、いま起きようとしていたんだ」


 無駄な抵抗をやめることしかできなかった。

 朝から無駄な攻防戦を繰り広げたところで疲労しかしない。

 メリットがない、嫌われると毎日の弁当がなくなるし。


「まったく、毎日毎日学ばないんですから」

「まあそう言ってくれるなよ、行こうぜ」


 姉だから当然学年は違う。

 姉は3年生で、俺は2年生――ではなく1年生。

 別に不都合はないから気にしていない。


「真面目にやってくださいね」

「おう」


 怒られない程度には真面目にやる。

 それでも休み時間なんかには突っ伏して休むことを許可してほしかった。

 しょうがない、誰にだって一緒に盛り上がれる友達が同じ教室内にいるとは限らないのだ。


「またお昼に来ますから」

「友達を優先してくれよ」

「この前、人参を残したじゃないですか、今度は残させないように見ておく必要があるんです」


 うーん、姉は少し過保護なところがあるかもしれない。

 友達との約束があってもなにか気になることがあったら断ってこっちに来るから。


「真里那さんおはようございます」

「おはようございます、健人くんをよろしくお願いします」


 やって来た男子がオスの顔で姉を見ていた。

 こういうのは複雑だ、まあこいつは信用できるからいいけどさ。


「よう」

「おはよ、健人はいつも遅いね」

「だって寒いだろ? 出た瞬間に凍え死ぬかと思ったぞ」

「健人は雪国に行かない方がいいね、毎日死んじゃうことになっちゃうから」


 彼、浅谷元基あさやもときとは小学5年生の頃から一緒にいる。

 きっかけは姉だ、怪我して泣いていたところを助け、そして彼がお礼を言いに来たことによって関わるようになったと。

 ま、どう考えてもそれだけではないのは確かだ。

 彼も男だった、ということなのだろう。


「ふっ」

「待って、なにその笑い」

「元基もオスだったということだよな」


 恥ずかしいことではない。

 俺だってそういうことに興味があるんだ、そりゃ彼にだってあることだろう。

 幸い、彼は他人に優しくできる人間で女子からの評価も高いため、その気になれば彼女なんてすぐにできるのではないだろうか。

 姉だっていつも「元基くんみたいにしっかりしてください」と基準として設定しているみたいだし、努力すれば振り向かせることもできるはず。


「待って待って、なんで急にそんな話になるの? いや、確かに男だけどさ」

「だって、真里那に興味があるから近づいて来ているんだろ?」

「いや、確かに真里那さんは魅力的な人だけど僕には隣のクラスに好きな子がいるし……」


 これは初耳だった。

 言いふらす人間だと思われていたのか、それともつい最近好きになったから言えなかったのか、どちらにしても俺は興味を抱いた。


「ほう、誰だ?」

「……鈴木さん」


 聞いてみても分からなかった。

 同じ教室内にいる人間の名字名前だって分からないのに隣のクラスの人間まで把握しろという方が無理な話だ。


「友達がいないから大丈夫だろうけど、言わないでよ?」

「言わねえよ。なるほどな、頑張れよ?」

「うん、頑張る」


 こういうのはからかってはならない。

 そういう最低限の常識は俺にもあるのだ。

 とりあえずはSHRが始まるということで席に着いた。

 好きな人がいる、ねえ。

 1度もできたことがない自分にとっては、少し羨ましいことのような感じがした。




「あ、ほら、人参をきちんと食べてください」

「や、やるよ、人参だけは……勘弁してくれ」

「だめですよ」


 世界で1番嫌いな食材と言っても過言ではない。

 もっとも、外国の食材を食したことがないからもっと嫌いな物もあるのかもしれないが。


「健人はおこちゃま舌だなあ」

「食感とかも嫌いなんだよな……」

「真里那さん、頑張ってくださいっ」

「はい、頑張りますね」


 無駄な連携はいいねん。

 どうしてそういうときだけは頑張ってしまうのか。

 もっと自分に関することで頑張ってくれればいいものを。


「浅谷くん」

「うん? え、す、鈴木さんっ?」

「うん、鈴木です、ちょっといいかな?」

「ふぅ、分かった」


 派手じゃなくてお似合いに見える。

 にしても、急に来たからってあの慌てようはちょっとな。

 余裕を見せておかないと冷静に対応できる人間に負ける。

 あと、自分が来たときに限って露骨に慌てるのはいい気分にはならないよなあと。

 姉は「少し慌てていましたね」と言って柔らかい笑みを浮かべていた。

 その間に口をつけていない方で人参を掴んで姉の弁当箱にシュー、


「だめですよ?」

「はい……」


 はできなかったから諦めて食べておいた。

 おえ、なんでこんなものを好き好んで人間は食べるのだろうか。


「今日の放課後は付き合ってくださいね、お買い物に行かなければならないので」

「おう、荷物持ちぐらいならしてやるぞ」

「健人くんが嫌いな食材をたくさん買いましょうっ」


 姉のことが気になっている人間はよく理解した方がいい。

 相手の嫌がることを嬉々としてやるのが神埼真里那という人間なのだと。


「冗談ですよ、だからそんな顔をしないでください」

「冗談には聞こえないんだよな、弁当にも嫌いな食材を必ずひとつは入れてくるわけだし」

「彩りです、どうせなら蓋を開けたときにおぉってなってほしいじゃないですか」


 自分でも作ることはできるがどうせなら誰かに作ってもらいたいもの、だから誰かが作ってくれるというだけでおぉってなるから心配しないでほしい。

 母が適当だからな、十分ありがたいと思っているよ。


「俺は美味しければそれでいいからな、全部茶色でもいいぞ」

「はぁ……」

「これでも感謝しているんだぜ?」

「それならもう少しぐらい柔らかい表情を浮かべながら言ってください、なんにも伝わってきませんよ」


 いや、無表情というか真面目な顔であればあるほど、感謝しているということが伝わっていいと思うのだが……。


「ただいま」

「もういいのか?」

「うん、今日の委員会関連の話だった」

「同じ委員会なのか、あ、まさか……」

「ち、違うよ、たまたま一緒になったってだけ」


 逆にそれで気になり始めたという見方もできるわけか。


「健人や真里那さんといると落ち着くよ」

「じゃ、いまの内に休んでおけ、どうせ委員会中は落ち着かなくなるんだろうしな」

「僕のイメージ……」


 大丈夫、好きな人間ができた人間であれば自然だ、多分。

 ストーカーとか気持ちが悪いようなことをしなければ全くの無問題、誰かを好きになれることは悪いことではないのだから。


「真里那さんはどうですか? 好きな人とかいるんですか?」

「いませんね、男の子と関わる機会はほとんどないので」

「え、そうなんですか? 意外ですね」


 俺としては意外とは思えない。

 同性の友達とだってほとんど一緒にいない姉のことだ、男とやることやっているわけがない。

 ま、相手が悪い人間でなければ仲良くしてくれていいんだけどな、それどころかそうしてくれた方がありがたい。

 優先順位を家族から変えてほしいからだ、そういう変化がないと恐らくいつまで経っても変わることはないから。


「む、私のことを軽い女とかそういう風に思っているんですか?」

「いやそうじゃなくて……、真里那さんのことを周りが放っておかないだろうなと」

「関係ありませんよ、私にはしなければならないことがたくさんあるんですから」

「そうですか」


 こうなるからそういう存在が早く現れてほしいのだ。

 生き方を決めてしまっている、視野を限りなく狭くしてしまっている状態だ。

 後から悔やむことのないように家族としてはある程度コントロールしてやりたいが、どう頑張っても上手くいかないから難しいところだった。

 あまりに何度も重ねるとただの言い合いにしか発展しないし。


「その中のひとつが健人くんのお世話です、私がいないとだめなので」

「でも、甘すぎるのもどうかと思いますけど」

「甘い、ですか?」

「はい、真里那さんは健人に甘々だと思います」

「これで甘いんですか……」


 確かに甘いかもしれない。

 だが、敢えて厳しくしてほしいだなんてマゾ思考をする人間ではなかった。

 結構口うるさく言ってくるので、これ以上になると過剰になる。

 そうなると不満も溜まっていつか爆発してしまうかもしれない、姉と仲が悪くなると家にすら居づらくなるからやめてほしかった。


「すみません、そこは真里那さんの自由ですよね」

「……変えた方がいいですかね?」

「少なくとも起こしたりする必要はないと思います、健人だって同じ高校生なんですから。あとは学校でのことなんですけど、学校では基本的に放置しておけばいいんじゃないですかね、真里那さんが自分のことを後回しにしてまで優先する必要はないと思います」


 毎日7時頃に起こしてくるのが問題だった。

 8時半までに着けばいいわけなんだから8時起床でも普通に間に合う。

 心配なら姉だけ先に行ってくれればいいし、それなら朝食を作らないということならそれはもう仕方がない話だから。


「まあ、全て健人が適当なのが悪いんですけど」

「適当か? 不真面目なつもりはないんだけど」


 切り替えはきちんとやっているつもりだ。

 教室の連中みたいに馬鹿騒ぎしているわけでもない。

 提出物だって忘れずに出す、前日に準備を怠って当日の朝に慌てるようなこともない。

 それで駄目ならもうどうしようもない、ぜひどうすればいいのかを教えてもらいたいものだ。


「家事とかをほとんど真里那さんにやらせているとかありえないよ」

「いや、俺がやると言っても聞いてくれないんだよ」

「それでもやらなきゃ」


 謎のこだわりを持っていて調味料の場所などが変わっているとかなり怒られる。

 せっかく家族のためにと動いても何度も小言を言われると萎えてくるのだ。

 それなら余計な負担を増やさないためになにもしない方がいいんじゃないかとさえ思えてくるぐらいで。


「この件はとりあえず終わりな、食材が不味く感じてくる」

「はぁ……」


 ため息をつきたいのはこちらだった。

 どうやら彼や姉の中の俺は相当イメージが悪かったみたいだから。




 委員会は特に問題もなく終わったから校門のところで待っていた。

 急いで帰る理由もないし、なにより姉との約束があるから。

 ただ、16時半を越えても、17時を越えても来なかったので驚いた。


「ご、ごめんなさいっ」

「なにか用があったんだろ、それなら仕方がないだろ」

「……お買い物にはひとりで行ってきますから」

「いやいや、ここまで待ったんだから行かせてくれよ、そうじゃなきゃ無駄にしてしまったのと同じだからな」


 姉はある程度買い溜めたいのか結構な量をカゴに突っ込んでいた。

 やっぱり来て良かった、俺だってなにかしたいと考えているんだからな。


「……本当はお友達とおしゃべりをしていたんです」

「それで?」


 エコバッグ全てを受け取って歩いているときに急に言ってきた。

 珍しい、楽しめたのならそれでいいのではないだろうか。


「……怒らないんですか?」

「別に早く帰っても仕方がないからな、あとは元基も言っていたけど自分のことを1番に考えるべきだから」


 普段頑張ってくれていることは分かっている。

 そもそも、友達と話をしただけで怒られる世界なんておかしいだろう。

 ああ、約束をしていたからということか。


「気にするな、これからも友達とかを優先してくれればいいから」

「でも……」

「この話はもう終わりだ、冷蔵庫に早くしまわなきゃいけないからさっさと帰ろう」


 こういうことがなければ早く帰ったところでどうせぼけーっとしているだけだ。

 それなら手伝いでもしていた方がいい。


「じゃ、俺は課題をやってくるから」

「はい、ありがとうございました」


 椅子に座ってあーっと頭を掻く。

 これぐらいで礼なんか言うなよ。

 まるで普段からなにもしていないみたいじゃないか。

 あと、どうして家族である俺に対しても敬語なのか。

 母にもそうだからその徹底ぶりはすごいと褒めたくなるぐらいだけどな。

 父は数ヶ月に1回帰ってくるぐらいでしかないから分からない。


「ま、手伝うとも言わずに課題を優先している時点でそりゃイメージも悪くなるか」


 気にせずに終わらせてベッドに寝転んだ。

 暖房器具などはないから暖を取りたいなら布団にくるまるしかない。


「健人くん、入ってもいいですか?」

「おう」


 先程と違って制服から私服に着替えていた姉。

 なんかそうなると若い妻とかに見えるのは何故だろうか。


「明後日はお鍋にしたいんです」

「お、おう」


 それは先程、食材を選んでいた際に聞いていたから知っている。

 はっ、だからお前はその日、つまり土曜日に出ていけということなのかっ?

 もしそうなら元基の家にでも行くか、そこでお湯だけ貰ってカップラーメンでも食べよう。


「だから今日は親子丼でもいいですか? 明日は焼き鮭で」

「おう、真里那が決めてくれればいいけど」

「それならそういうことにしますね」


 これまでも聞いてくることはあったが、もう姉の中では決まっているのだから聞かなくてもいいと思う。

 作ってあげるんだから文句を言わずに食えぐらいの態度でいいだろう。

 数十分して姉作の晩ご飯が出来上がって、食べさせてもらった。

 んで、これから風呂~となったときのこと。


「やばいやばいやばい!」


 唐突に家にやって来たやかましい人間のせいで叶わず。


「今週の土曜日に一緒に遊びに行くことになっちゃったっ」

「良かったじゃねえか」

「いいけど良くないよ!」


 完全にふたりきりというわけではなく違う男子と鈴木の友達もいるみたいだ。

 俺からすればダブルデート的なものにしか聞こえないが、彼にとっては違うらしい。


「その男の子も鈴木さんの友達なんだよ……」

「あー」

「……目の前でいちゃいちゃされたら嫌だなって」


 それはまあ誰だって嫌だろう。

 気になっている人間が自分以外の人間と楽しそうにしていたらな。

 明らかに自分と接するときよりも楽しそうにしていたら?

 もしそうだったら俺でも嫉妬で爆発しそうだ、多分。


「よし、こうなったら真里那さんを連れて行くっ」

「待て待て、どうしてそうなるんだ?」

「その男の子が真里那さんに集中してくれるかもしれないから」


 そんなことだろうと思った。

 恋は盲目って本当なんだな、普段こんなことを絶対言わない人間が思わず口にしてしまっているんだから。


「そんな理由なら駄目だ、人の姉を利用しようとするんじゃねえよ」

「うっ、確かに……最低か」

「いいですよ」

「え」

「もっとも、そのお相手の方が許可をしてくれたら、ですけど」


 姉本人がこう言うならもう無駄だな。

 さっさと風呂に入ってしまおう、鍋にしたってどうせ夜からだしなにも問題はない。


「ふぃ~」


 ただ2時間突っ立って待っていただけでかなり疲れた。

 その後の食材運びもそこそこ大変だった。

 でも、ああいうときぐらいしか頼ってくれないから頑張らないとな。




「まさか真里那さんが行ってくれるとは思わなかったよ」

「困っている人間を放っておけない人だからな」


 土曜日の16時頃、ふたりは帰ってきた。

 テンションが著しく下がっているということもないし、これは楽しめたに違いない。

 にしてもお人好しだよな姉も、普通は行くなんて言わないぞ。


「今日はお鍋なんでしょ? 僕も食べるから」

「真里那に許可貰ったのか?」

「うん、誘われたんだ」

「じゃあ遠慮しないで食べてけ、俺は別に大食漢というわけでもないからな」


 美味しい美味しいと味わって食べてくれる人間がいる方がいいだろう。

 元基は結構食べるから食材を悪くすることもない。

 まあ焦って消費しなくても翌日とか翌々日とかに姉が上手く使用するだろうが。


「今日はなにをしていたの?」

「課題が終わったら部屋の掃除をして、そこからぼけーっとしていただけだな」

「しまった、健人も連れていけば良かったかな……」

「鈴木達からすれば邪魔なだけだろ、俺が鈴木と仲良くなったらどうするつもりだ?」

「そ、そんなの鈴木さんの自由だし……」


 あー、そういうことを言い続けてずっと前に進めないところが容易に想像できてしまった。

 駄目なんだ、もっとがつがついかなければ取られてしまう。

 好きな人間にぐらい積極的に動けってんだ。


「今日はちょっと浮かれ過ぎちゃってね、鈴木さんにも真里那さんにも恥ずかしいところを見られちゃったよ」

「楽しそうにしてくれていたら嬉しいだろ、そうマイナス方向に考える必要はない」

「真里那さんは健人に甘くて、健人は僕に甘いかも」

「別に浮かれたっていいだろ、それぐらい人間なら当然のことだ」


 俺だってこれから鍋ってことでテンションが上がっているんだから。

 やっぱり普通の料理も美味しいけど違うんだ、ただ鍋に食材を入れて煮込むというだけなのになんでだろうな。


「でも、恥ずかしいなやっぱり……」

「恥ずかしいって思うからだ、楽しめて良かったって考えておけ」


 もちろん、独りよがりになってしまっていたのなら反省する必要はあるかもしれないが。

 どうなのかは分からないからこれ以上は言えなかった。

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